麻生 大久保利通。 麻生太郎の家系図は?祖父が吉田茂!安倍晋三や三笠宮家と親戚!

大久保利通の子孫と家系図を調査!麻生太郎などの著名人を数多く輩出!

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家系図 華麗なる一族・大久保家 大久保利通の子どもたちの功績を調べていくと、 実に華麗なる一族であることがわかりました。 それでは、まぶしすぎる利通の子どもたちをご紹介しますね。 大久保利通の息子たち 長男である 利和 としながは、父親の 勲功 くんこうによって華族になっています。 次男の 伸顯 のぶあき(以下「伸顕」)は利通の従姉の嫁ぎ先であった、牧野家の養子に入ります。 そうです、日本史に詳しい方はご存じだと思いますが、彼が 牧野伸顕です。 牧野伸顕については、後で詳しくご紹介しますね。 そして三男の 利武 としたけはアメリカとドイツに留学後、 西郷従道 さいごう・つぐみちや 松方正義 まつかたまさよしの秘書官などを務めます。 さらに内務省や農商務省では局長を務め、 鳥取・埼玉・大分の県知事を歴任、そして大阪府知事まで務めています。 一番下の 利賢 としかたは、父の利通が暗殺されたときにはまだお腹の中にいたそうです。 そんな利賢ですが、戦前には横浜正金銀行(現在の三菱東京UFJ銀行)の頭取を務めています。 さらに首相や外務大臣を務めたことでも有名な、 高橋 是清 これきよの娘と結婚しています。 とてもキラキラした家系ですね! 関連記事 >>>> 莫大な借金を残した大久保利通 大久保利通は意外なことに、 大きな借金を家族に残して亡くなっていたのです。 その額は8,000円、 現在の価値でいうと1億とも2億とも言われます。 そんな大金を大久保は何に使っていたかというと、 やはり国の発展のためだったようです。 日本の農業を近代化させるねらいで、 駒場農学校が設立されたときにも、 5,400円もの大金を奨学金として寄付したこともあったそうです。 大久保が紀尾井坂の変で凶刃に倒れたとき、 明治天皇からは 祭祀 さいし料のほかに3万円を下賜されたようです。 遺族にとっては、大変ありがたかったことでしょう。 次男・牧野伸顕は政治家として有名 先ほど少しご紹介しましたが、 大久保利通の次男が牧野伸顕です。 牧野家は子供を戊辰戦争で亡くしてしまい、 伸顕が養子に入ることになったのです。 伸顕は優秀で、イタリアやオーストリアの駐在公使を務め、 さらに外務大臣や宮内大臣などを歴任しました。 さらに1919年のパリ講和会議(第一次世界大戦後、フランスのパリで開かれた平和会議)には 西園寺公望 さいおんじきんもちとともに日本全権として出席しました。 そして、のちに内務大臣も務めます。 伸顕の長女である 雪子は、 戦後においてサンフランシスコ平和条約の締結などを行った 吉田茂元首相へ嫁いでいます。 麻生太郎元首相も大久保利通の子孫だった そして吉田茂の三女・和子と麻生太加吉との間に生まれたのが、 麻生太郎元首相です。 麻生元首相はお金持ちであることはご存じの方も多いでしょうが、 まさか大久保利通と血がつながっていたとは驚きですね。 きょうのまとめ 今回は大久保利通の家族・子孫たちについてご紹介しましたがいかがでしょうか。 大久保利通の.

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麻生太郎の家系図は?祖父が吉田茂!安倍晋三や三笠宮家と親戚!

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この記事の目次• 大久保利通とはどんな人物? 大久保利通は、薩摩藩の下級藩士の家で生まれ、 幕末時代はその中心勢力となった薩摩藩の要職にあった人物です。 公武合体政策で、ゆるやかな改革を目指していましたが、 江戸幕府、15代将軍・徳川慶喜と対立し、討幕に方針を変えます。 そして、長州藩との同盟をなし一気に明治維新を成し遂げる原動力となった人物のひとりです。 明治維新後は、明治政府の中心として、 当時の日本のスローガンだった「富国強兵」、「殖産興業」を進めます。 私財を投げうってまで、彼は近代日本の建設にまい進しました。 大久保利通は、中央集権的な政治形態が無ければ、 欧米諸国と対等になれないとう確信を持っていたのでしょう。 彼は「版籍奉還」、「廃藩置県」を行い、江戸時代にあった分権的な勢力を解体します。 そして「学制」で教育の全国統一。 「徴兵制」で国防の体制を創り上げるのです。 大久保利通は、中央集権的な近代日本の基礎を創り上げた清廉潔白な政治家だったのです。 大久保利通の家系図を読み解くと麻生太郎元総理と繋がる 大久保利通の家系図をたどっていくと、麻生太郎元総理につながっていきます。 その血縁の道筋、家系を見ていきましょう。 大久保利通の次男である牧野伸顕(養子となったので苗字が違います)は、 外交官として太平洋戦争終結まで活躍した外交官です。 そして、牧野伸顕の長女、雪子は戦後の名宰相・吉田茂の妻になります。 吉田茂と雪子の間に生まれた三女の和子は、麻生家に嫁入りします。 麻生太郎元総理の父である麻生太加吉と結婚するのです。 そしてその間に生まれたのが、麻生太郎元総理です。 麻生太郎は大久保利通の血縁となる子孫なのです。 大久保利通は麻生太郎から見れば、高祖父にあたります。 お爺さんのお爺さんということです。 大久保利通から見れば、孫の孫ということですね。 関連記事: 関連記事: 麻生太郎元総理の家系図 (画:) 今度は麻生太郎元総理の生まれた「麻生家」の方の家系図を見ていきましょう。 大久保利通の子孫というだけではなく、すごい血筋でつながりがあります。 麻生太郎元総理の妹、信子様(様をつけるべきですね)は、寛仁親王妃殿下です。 皇族につながっているのです。 また、姪っ子も皇族に連なる家系となっています。 日本最高レベルの血統のサラブレッドのような血縁に麻生太郎元総理はつらなっているのです。 同じ総理経験者でも小泉純一郎元総理の父親・小泉又次郎元逓信大臣は 彫り物入りの「元とび職」として有名でした。 政治家には色々な血筋の人物がいるものです。 幕末から受け継がれるロイヤル政治家の血脈 幕末に活躍した人物に連なる血筋の持ち主は麻生太郎元総理だけではありません。 安倍晋三総理は祖父に安保問題で揺れた時代に総理となった岸信介氏の孫にあたります。 そして、岸伸介の兄・母方の佐藤家は、 吉田茂にもつながる家系となることが、家系図を調査するとわかるのです。 つまり、麻生太郎氏と安倍晋三氏は家系図で繋がっている一族ということになります。 ですので、家系図を調査すれば、安倍晋三氏も大久保利通につながってくるということが分かります。 この家系図の中だけで、吉田茂、岸信介、 そしてノーベル平和賞受賞した佐藤栄作と両者の他に3人の総理大臣を輩出しているのです。 すごい家系図だというしかありません。 幕末ライター夜食の独り言 幕末に活躍した大久保利通から連なる家系図をみていきますと、 総理経験者が5人も排出されていることに驚くしかありません。 しかも、明治天皇のひ孫の寛仁親王妃殿下は麻生太郎元総理の妹ですから、 天皇家にも連なるロイヤルな血統といえるわけです。 こういった見事な血筋中から総理大臣が生まれることもあれば、 とび職で彫り物をした人物が政治家になり、その子どもが総理大臣になることもあるわけです。 小泉純一郎元総理のようにです。 大久保利通の目指した「富国強兵」と「殖産興業」は彼が直面した日本の危機の中で取られた方針です。 そしてそれが近代日本の基礎になっています。 国民が豊かになり、外国の脅威を排除できる安全な国を創るということが目標だったのです。 明治維新に創り上げたシステムは太平洋戦争によって崩れたように見えますが、 アメリカを中心とする連合国が日本で行った改革は、 戦前の日本の官僚が目指したものとほとんど同じだったのです。 財閥の解体と戦争の放棄くらいが違っていたくらいです。 その意味では、明治維新から始まる日本の近代化は、 根柢の部分で現代日本につながっているのではないかと思います。 そして、その課題も今の日本人に託されているのかもしれません。 西郷どん: 関連記事: 関連記事:.

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大久保利通と麻生太郎元総理は血縁!家系図にみる意外な関係!

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下記クリックで好きな項目へ移動• 大久保利通が殺された場所 大久保が暗殺されたのは1878年5月14日でした。 東京紀尾井坂での殺害でした。 出典: 暗殺の場所からとって、「 紀尾井坂の変」と呼ばれます。 自宅のある麹町から、明治天皇の仮皇居に場所で向かうところでした。 大久保は馬車から引きずりおろされ、刀で斬り殺されます。 16か所刺され、うち8か所は頭部でした。 脳は飛び散り、刀は首を貫通し、地面に突き刺さっていました。 相当恨みをもった犯行であり、残虐な殺害でした。 大久保利通を暗殺した犯人 スポンサーリンク 大久保を殺したのは不平士族6人でした。 明治に入り、武士はそれまでの特権を奪われ不平、不満が蔓延している状態でした。 そのような元武士を不平士族といいます。 西南戦争など多くの内乱を生んだのはこの不平、不満に起因しています。 犯人は島田一郎、長連豪、杉本乙菊、脇田巧一、杉村文一、浅井寿篤の6人で、主犯は石川県の島田一郎です。 殺害後6人は出頭し、2ヶ月ほどで斬首を受けました。 大久保利通はなぜ殺された?暗殺された理由 日にちやルートなど、事前に下調べをしたうえでの犯行でした。 主犯の島田一郎は 征韓論の支持者でした。 西郷らが主張していた征韓論が岩倉、大久保らに反対され、西郷隆盛らが下野することになります。 関連記事: 盟友の西郷隆盛、木戸孝允も去り、当時大久保利通の権力は強まり、独裁のようなかたちにうつっていたのかもしれません。 関連記事: 幕末から断固実行する意思、力がある大久保は時に敵を作ってしまうこともありました。 そのような状況で西南戦争では西郷や多くの不平士族が死に、島田らとしては大久保への恨みが頂点に達しました。 斬奸状には、国のお金を無駄遣いしている、新政府における制度構築や外国との条約改正が遅い、内乱を起こしている(西南戦争等)などが書かれ、暗殺の理由としています。 当然一日二日で制度が構築されるわけでもないですし、大久保は新しい日本のために邁進していました。 大久保は無駄遣いどころか、国のために大久保名義で借金してまで奔走していたのです。 しかし、それは全員には伝わりませんでした。 大久保利通暗殺の影響 大久保利通の暗殺後、盛大な葬儀が行われました。 葬儀には1,000人を超す人たちが訪れ、偲んだと言われています。 当時、政治家に護衛をつける慣習はありませんでしたが、この事件後から制度化されることになります。 明治維新に大きな活躍をした人物が暗殺されるのは大久保だけではありません。 伊藤博文がそうですし、未遂でしたが岩倉具視も刺客に襲われます。 改革を進めるにはそれだけ前進させる力が必要ということでしょうか。 その覚悟を想像するだけで背筋が伸びるようです。 関連記事: 関連記事: 大久保利通の墓について 大久保利通の死後、遺骨は故郷鹿児島には帰されませんでした。 大久保は西南戦争の影響で島田らだけではなく、故郷鹿児島からもよく思われておりませんでした。 それは明治6年の政変に見られるように、西郷隆盛との対立が影響しています。 東京港区の 青山霊園に眠っています。 生前の功績をたたえるように、鳥居もあり、非常に立派なお墓です。 お墓からすら大久保利通の凛々しさを感じます。 まとめ 大久保は口数が少なく、冷たい印象を与えることが多かったようです。 西郷との最期の関係についてもきっと多くを語らなかったのではないかと想像します。 実は大久保利通が暗殺された日も西郷からの手紙を持っていました。 西郷が死んでからも、いつでも 西郷のことを大切に想い、西郷の教えを心に留めておいたんだと思います。 下記ページにて西郷隆盛と大久保利通の熱い関係をご紹介させていただいております。 ご覧下さい。 江戸から明治と大きな変化ですので、断行しなければならないことが多かったと想像しますが、武士たちの不満をどうにかすることはできなかったのかと、どうしても考えてしまいます。 大久保利通らの勇気と行動力が歴史を進め、今の日本の基礎を創り上げました。 心から尊敬します。 最後まで読んでいただきありがとうございました! 関連記事: スポンサーリンク 当サイトをご覧になっていただき誠にありがとうございます。 運営しております原田と申します。 明治維新に関心を持つようになったのは、「竜馬がゆく」がきっかけでした。 坂本龍馬に惚れました。 また、その当時の志士の志の高さ、命をかける覚悟、行動力などに感化され、明治維新に関わる人物から学ぶことが多いことに気づきました。 そして、もっと学びたいと思うと同時に、この素晴らしい方々のことを発信したいと考えるようになりました。 当サイトは、明治維新を中心に、歴史上の人物や出来事を通して、今に生きる私たちの生活や仕事、人生に活かせる何かを、少しでも感じて、行動を起こす機会となるサイトを目指しております。 どうか少しでもご覧になっていただき、何かを感じていただけることを願っております。 まだまだ未熟者ではございますので、お気づきの点ございましたらご意見いただけますと幸いです。 運営者:原田 Mail:mail meiji-revolution. com.

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