ライ麦 畑 で つかまえ て。 天気の子を『ライ麦畑でつかまえて』から読むんだったら

ライ麦畑でつかまえて【あらすじ・書評・考察】

ライ麦 畑 で つかまえ て

版の表紙 作者 国 言語 ジャンル 、 刊行 、 訳者 (1964年) (2003年) 『 ライ麦畑でつかまえて』(ライむぎばたけでつかまえて, : The Catcher in the Rye)は、による。 にリトル・ブラウン社から出版された。 日本語訳版の題名としてはこの最も広く知られたもの の他にも、『 ライ麦畑の捕手』(ライむぎばたけのほしゅ) 、『 キャッチャー・イン・ザ・ライ』 、『 危険な年齢』(きけんなねんれい) などがある。 高校を放校となった17歳の少年が前のの街をめぐる物語。 的な文体で社会の欺瞞に対し鬱屈を投げかける内容は時代を超えて若者の共感を呼び、の古典的名作として世界中で読み継がれている。 あらすじ [ ] 物語は語り手であり主人公の ホールデン・コールフィールドが西部の街の病院で療養中、去年のクリスマスの出来事を語るという形式で叙述される。 ホールデンはプレップスクールであるペンシー校から成績不良で退学処分を受ける。 ホールデンはの試合を観戦せずに、歴史教師のスペンサー先生に別れの挨拶に行くが、酷い内容の答案を読み上げられうんざりする。 その後、寮に戻り、隣の部屋に住むにきびだらけの男 アックリーや、ルームメイトの ストラドレイターと会話し、ストラドレイターから作文の宿題の代筆を頼まれる。 ストラドレイターは ジェーン・ギャラハーという、ホールデンが一昨年の夏に親しくしていた女の子とデートするために出て行く。 ホールデンは食事をとった後、で死んだ弟の アリーの野球について作文に書く。 デートから帰ってきたストラドレイターは作文に文句を付け、ジェーン・ギャラハーのことで興奮していたホールデンと喧嘩になり、ホールデンは殴られて鼻血を出す。 気がめいったホールデンは学校を追い出される前に自分からここを出て行くことを決める。 ニューヨークに向かう電車の中、ホールデンはモロウというペンシーの同級生の感じのいい母親と乗り合わせるが、ホールデンは偽名を使い、脳にができていると嘘をつく。 につくとホテルを取り、ロビーでから旅行に来ていたな女の子たちどダンスしたり、ナイトクラブでピアノ演奏を聴くが、会う人間たちの俗物性に嫌気が差し、ますます気分が落ち込む。 ホテルに戻るとエレベーター係の男にを買わないかと持ちかけられ、5ドルで了承すると、 サニーという女の子が部屋にやってくるが、やはり気が滅入り、会話だけして帰らせる。 しばらくするとエレベーター係が部屋にやってきて、代金は10ドルだと言いがかりを付けられ、反抗したホールデンはまたしても殴られる。 翌朝、ホールデンは女友達の サリーに電話してデートの約束を取り付ける。 朝食をとっていると、感じのいい二人のと隣り合い、『』について話し、10ドルを寄付する。 その後、道で小さな子供が「 ライ麦畑で誰かが誰かを捕まえたら(If a body catch a body coming through the rye. )」という唄 を歌うのを目にし、少し気分が晴れる。 に向かったのち、サリーと待ち合わせて、での出演する演劇を観るが、役者や観客の欺瞞に辟易する。 その後、ホールデンとサリーはリンクに行きをする。 ホールデンは突然、今から二人で田舎にいってそこで結婚して自給自足の生活を送ろうと持ちかけるが、サリーにはまったく相手にされず、「スカスカ女」と言ってひどく怒らせてしまう。 サリーと別れたホールデンは、映画を観たり、かつて高校で指導係だったカール・ルースと会って会話するが、ますます気分は落ち込んでいき、一度家に帰って妹の フィービーに会うことにする。 家に帰ると両親は出かけており、フィービーの部屋で妹と再会する。 放校になったことを知ると、フィービーは、ホールデンは「世の中のことすべてが気に入らない」のだと言う。 ホールデンはそれを聞いて落ち込み、考えた末、自分がなりたいのは、ライ麦畑で遊んでいる子どもたちが、崖から落ちそうになったときに捕まえてあげる、 ライ麦畑のキャッチャーのようなものだと言う。 「 「とにかくね、僕にはね、広いライ麦の畑やなんかがあってさ、そこで小さな子供たちが、みんなでなんかのゲームをしているとこが目に見えるんだよ。 何千っていう子供たちがいるんだ。 で、僕はあぶない崖のふちに立ってるんだ。 そんなときに僕は、どっかから、さっととび出して行って、その子をつかまえてやらなきゃならないんだ。 一日じゅう、それだけをやればいいんだな。 ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ。 馬鹿げてることは知ってるよ。 でも、ほんとになりたいものといったら、それしかないね。 馬鹿げてることは知ってるけどさ」 」 その後、両親が家に帰ってきたため、ホールデンは見つからないようにこっそり抜け出し、かつての高校の恩師である アントリーニ先生の家を訪れる。 アントリーニ先生はホールデンに助言を与えるが、ホールデンは強烈な眠気に襲われる。 カウチで眠りにつくが、しばらくして目が覚めると、アントリーニ先生がホールデンの頭を撫でている。 驚いたホールデンはすぐに身支度して、そのまま家を飛び出し、駅で夜を明かす。 翌朝、街を歩きながらホールデンは、森のそばに小屋を建て、のふりをして、一人で世間から身を隠して暮らそうと考える。 別れを告げるためにフィービーにもう一度会うが、フィービーは自分もホールデンに付いていくと言う。 ホールデンは拒否するが、フィービーも譲らず、険悪な雰囲気のままに入るが、そこのに乗ったフィービーを降りだした雨の中で眺めたとき、ホールデンは強い幸福感を覚える。 ホールデンは家に帰る。 解説 [ ] ホールデンは社会や大人の欺瞞や建前を「インチキ(phony)」と唾棄し、その対極として、フィービーやアリー、子供たちといった純粋で無垢な存在を愛し、その結果、社会や他者と折り合いがつけられず、孤独を深めていく心理が、口語的な一人称の語りで描かれている。 社会への影響 [ ] ホールデンの言葉遣いや態度を、1954年、カリフォルニア州の教育委員会が問題とし、本書は学校や図書室から追放されることになった。 21世紀おいてもなお、アメリカ国内では的な記述や、過度の暴力、性行為のシーンが問題視されることがある。 続編騒動 [ ] 、『ライ麦畑でつかまえて』の続編と称したのから発売される予定の小説『60年後:ライ麦畑をやってきて( 60 Years Later:Coming Through the Rye) 』(著者は「J・D・カリフォルニア」名義、正体はフレドリック・コルティングというスウェーデンの作家で本書の出版社のオーナー )の米国内出版差し止めを求め、サリンジャーは作者と出版社をでした。 訴状でサリンジャーは、「知的財産を被告に使わせるつもりはない」「続編はでも批評でも批判でもない」としている。 2009年7月1日、ニューヨーク連邦地方裁判所はアメリカ合衆国内での出版差し止めを命じた。 日本語訳 [ ]• 『危険な年齢』 訳、、1952年。 『ライ麦畑でつかまえて』訳、〈新しい世界の文学 第20〉、1964年。 『ライ麦畑でつかまえて』野崎孝訳、白水社、1984年5月1日。 『ライ麦畑の捕手』訳、英潮社、1967年。 『キャッチャー・イン・ザ・ライ』訳、白水社、2003年4月1日。 『キャッチャー・イン・ザ・ライ ペーパーバック・エディション 』村上春樹訳、白水社、2006年4月1日。 関連作品 [ ]• - 1969年のの小説。 本作との文体や作風の類似が指摘された。 - 1997年の映画。 洗脳された主人公が本書を買うことが作中のギミックになっている。 - 2002年のアニメ作品。 本作からの引用が多く見られ、作中での架空の事件である『』では重要な鍵を握る。 - 1999年のスティーブン・チョボスキーの小説、及びそれを原作にした映画。 高校生の主人公が読者に語りかけるような文体が本作と類似しており、「現代版キャッチャー・イン・ザ・ライ」とも評された。 - 2015年の映画。 本作の舞台化を目指す高校生が、その許可を得るためにサリンジャーに会いに行こうとすることがストーリーの中心となっている。 - 2019年の映画。 1939年の華やかなニューヨーク。 作家を志す20歳のサリンジヤーは編集者バーネットと出会い短編を書き始める。 だが太平洋戦争が勃発し、サリンジヤーは戦争の最前線での地獄を経験することになる。 数年後、苦しみながら完成させた初長編小説「ライ麦畑でつかまえて」は出版と同時にベストセラーとなり、サリンジャーは天才作家としてスターダムに押し上げられた。 だが、彼は次第に世間の狂騒に背を向けるようになる。 - 2019年の映画。 東京まで家出した主人公の帆高が本書の邦訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ ペーパーバック・エディション 』を持ち歩いている描写があり、主人公と社会全体という対立にも類似性がある。 参考文献 [ ]• ポール・アレクサンダー『サリンジャーを追いかけて』訳、、2003年• ケネス・スラウェンスキー『サリンジャー 生涯91年の真実』訳、晶文社、2013年 脚注 [ ]• 訳、1964年。 原題を意訳したものと考えられるが、この題名は誤訳ではないかと見る意見も多い。 訳、1967年。 原題の意味に最も近い訳出。 訳、2003年、原題をそのまましたもの。 訳、1952年。 原題にこだわらない創作題名。 1999年時点までに米国では1500万部、全世界では6000万部売れたと概算されている。 (ハミルトン、319頁)• 2002年には野崎による日本語訳の累計発行部数が250万部を突破した(『文學界』2003年6月号「サリンジャー再び」)。 唄はスコットランド民謡の『』で、歌詞は正しくは「ライ麦畑で誰かが誰かと出会ったら(If a body meet a body coming through the rye. )」であり、ホールデンは間違えて覚えていた。 サリンジャー自身も後にマスコミを避け、作品も発表しない隠遁生活を送った。 スラウェンスキー、517頁• KAI-YOU 2013年10月9日. 2019年10月23日閲覧。 ミスターCという76歳の老人が家を出てマンハッタンを放浪した後、サリンジャー自身と対面するという内容。 スラウェンスキー、596頁• 、2009年6月2日。 asahi. com 朝日新聞社. 2009年6月2日. の2009年6月3日時点におけるアーカイブ。 MSN産経ニュース. 共同通信 産経デジタル. 2009年7月2日. の2009年7月5日時点におけるアーカイブ。 著者名は「J. サリンガー」表記。

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465夜『ライ麦畑でつかまえて』J.D.サリンジャー

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まあ、青春の話だけど。 理解能力っていうか、こういう心境を経験していない人が私にはむしろ理解できないんです。 若い時には自分以外の誰も自分を理解してくれていない、そう思う時がある。 ホールデンは自分の自己意識というものを絶対視しているんだけれど、作者は作家的手腕が高いので、それを外側から批判もさせている。 その批判者が、妹のフィービーとアントリーニ先生。 その両者からホールデンの絶対的なエゴが批判されていき、物語は重層性を増している。 作者はホールデン自身というのは正しい見方だけど、それと同時に、その虚しさや悲しさも作者は意識していた。 そしてそれは、大きく言えば神を失った現代の人間が、空虚な冷たい世界の中で自我という殻に閉じこもるしかないという現状を象徴している。 まあ私はそう考えているけど。 こういう本はわかる人には一生ものだけどわからない人にはわからない。 私には、わからない人がむしろわからないという気持ちがしてしまう。

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『ライ麦畑でつかまえて』は誤訳か大胆な意訳か?ドイツ語やフランス語への翻訳は?

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戦後のを代表する偉大な作品のひとつ。 文学に詳しくない方でも、タイトルだけは耳にしたことがあるんじゃないでしょうか? 2003年にはによって『』というタイトルで新訳も出ました。 未読の方には、個人的には旧訳の訳をお勧めしたいですが、なぜなら「作家」ではない、特殊的人物のフィルターを通していない翻訳のほうがよい、とあくまで個人的にですが、判断するからです。 主人公のキャラクター造形が、二冊ではやや異質なのです。 それで、の作品についてレビューするには、まず語らねばならないことがあります。 謎の多い作家、J. 1919年ニューヨーク生まれのは、その経歴、人生後半の隠遁生活にしろ、謎の多い人物として知られています。 たとえば、訳の『』の最後にはこんな文章が、自身によって書かれてあります。 本書には訳者の解説が加えられる予定でしたが、原著者の要請により、また契約の条項に基づき、それが不可能になりました。 残念ですが、ご理解いただければ幸甚です。 『』 J. 訳 プロフィールを訊ねられても、安易に応えないの頑ななというより、もはや病的な姿勢は、21世紀へと跨いでも変わらずか、とぼくは唸らされました。 亡くなったすぐ後の2016年の春先に、彼を一躍世界的に有名にした『』 1951 が、実際は10年以上の歳月を要して書かれた、という書の発見がされ記事になりましたが、訳者であるがどういう意図と興味でを訳したかを知りたかった人も多かったはずでしょう。 実は、というか、ゆえに『翻訳夜話2 』 2003・文春新書 として、は一冊の本まるまるの翻訳のことについて語っていますが。 唯一の短篇集である『』 1953 では、訳者である氏は、その相手をはぐらかしつづけるの頑固たる非妥協性について、彼の言葉を引用して、こんなふうに書いておられます。 どうしても略歴が必要だから、と要請してきた編集部に対して、返答したは、「ぼくなら執筆者の経歴などを載せる欄は絶対に設けない」などと偏屈な答弁をしたのちに、「僕はこれまでにも二、三の雑誌に略歴を書いたことがあるにはありますけれど、果たして正直なことを書いたかどうか、保証の限りではありません」と最後を結んでいます。 『』・解説 の文学を解するにあたって、今回は『』をとりあげます。 彼を一躍世界的に有名にした処女長編です。 結局この作品が彼の最も優れた作品であると、僕は納得せざるを得ないからです。 そして実はもう一冊重要な作品があります。 『』 1961 です。 端的にいうと、彼の文学的業績に関しては、大きく三つに分けられると思います。 まず一つは『』 1953 です。 これは彼自身が選択した代表的作品を集めた短篇集ですが、『』の成功の翌年に出版されています。 そして三つ目が、当然のごとく『』です。 は生涯で29篇の短篇をものにしていますが、残りは雑誌掲載に留まり、書籍化を拒んでいます。 ただ、選集において、『』の原型作品となった「気ちがいのぼく」という短編作品を読むことは可能ですし、他の著書でもいくつかの『』に収められなかった作品を読むことが可能です。 短編もすごくよいです。 彼がどのような意図で短篇小説集を編んだのかは謎ですが、どれも巧妙な筆致と構成の技がしかけられたみごとな短編です。 結論からいうと、ぼくから見るに、は、まず自身がユダヤ人であったこと、そして戦争体験で相当な精神的ダメージを負ったこと、がその作家の内実の作品形成に多大な影響を及ぼしていることが重要だと思います。 『畑』を読んだけど、よくわからない、という方にこそ、このレビューは読んでもらいたいです。 先に書いた彼の民族性、戦争体験等を今一度想起してもらって、この作品が持つ「絶対的な孤独という自我、その美しさ」についてもう一度考え、再読後、その感動が胸に迫ってくることを願わずにはいられません。 『畑でつかまえ』のストーリー 主人公は17歳のという少年です。 彼はニューヨークの有名高校の寮生活に入って生活を送っているわけですが、放校処分となります。 理由は自ら志願したからです。 作品はそのが寮生活の同部屋であるふたりの学友たちとちょっとした小競り合いをし、その後はっきりと退学届を申し出た先生の元へ行き、ニューヨークのクリスマスの夜の街を彷徨う三日間が、時系列的に描かれている内容です。 ここで留意しなければならない点がひとつあります。 いささかネタバレになってしまいますが、この小説は西部の、たぶん精神病院であるだろうそこで療養中のが語っている、という回想形式になっているということです。 小説の出だしが、とにかく鮮烈なのです。 もし君が、この話をほんとに聞きたいんならばだな、まず、僕がどこで生まれたとか、僕のチャチながどんな具合だったとか、僕が生まれる前に両親は何をやってたか、とかなんとか、そんな《デーヴィッド・カパーフィールド》式のくだんない話から聞きたがるかもしれないけどさ、実をいうと僕は、そんなことはしゃべりたくないんだな。 『』 J. そういう意味では、ぶっきらぼうな口調で語られたこの一見反抗的に見える小説は、他のの短編集とよく似て、とても隅から隅まで細やかな仕掛けが施された、精緻な小説形式を整えているのです。 『デーヴィッド・カパーフィールド』 1849-50 はもちろんイギリスの国民的作家チャールズ・の有名な自叙伝的小説ですが、はここで19世紀的小説を破壊しにかかっている、ともいっていいわけですけれども、からへと繋がる20世紀小説の方法意識とはまったく違った、新しい文学作法がここには表されているともいっていいでしょう。 本当のことなんて語るつもりなんてない、と彼はここで宣言しているのです。 は年齢を偽って酒を飲んだり、娼婦をホテルに呼びこんだり、サリーという女性とデートしたり、友人と会ったり、といろいろするのですが、彼は誰とも心を通えあわせず、自分が無力だということを痛感するに至るだけです。 そして重要なのは、この作品の最後の部分です。 妹であるフィービーとのやりとりと、恩師である人との会話のシーンが、この小説の締めくくりとして描かれるのですが、この投げやりで、やけくそで、反抗的であるにも関わらず、ひどく繊細でとても優しいという少年が抱え持っている「絶対的な孤独」がみごとに対象化されているのが、ここにきてやっと読者の腑に落ちることと思います。 『』に描かれたものとは、つまるところ文学的に、的存在、といっていいと思いますけど、これほど直接的に人間の「存在性」を作品化した文学は類例がない、といってよいです。 有名な一節があります。 はニューヨークをぶらぶらした後、高校を退学したあとは、どこか遠くの牧場にでも行こうと思うのですが、所持金も足りなくなっていましたし、なにより一目大好きな妹のフィービーに会いたい、と家にこっそり一度帰ります。 でも、フィービーと口論になってしまい、そのときフィービーにいわば追いつめられるように、こういわれます。 「兄さんは世の中に起こることが何もかもいやなんでしょ」と。 それでは、ぼくにも好きなものだってある、といい、それをフィービーにこう語って聞かせるのです。 「あれは詩なのよ。 の」 「それは知ってるさ、の詩だということは」 それにしても、彼女の言う通りであることはそうなんだ。 「畑で会うならば」が本当なんだ。 ところが僕は、そのときはまだ知らなかったんだよ。 「僕はまた『つかまえて』だと思ってた」と僕は言った。 「とにかくね、僕にはね、広い畑やなんかがあってさ、そこで小さな子供たちが、みんなでなんかのゲームをしてるところが目に見えてくるんだよ。 何千っていう子供たちがいるんだ。 で、僕はあぶない崖のふちに立ってるんだ。 僕のやる仕事はね、誰でも崖にどこを通ってるかなんて見やしないだろう、そんなときに僕は、どっからか、さっととび出して来て、その子をつかまえてやらなきゃならないんだ、一日じゅう、それだけをやればいいんだな。 畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ。 馬鹿げてることは知ってるよ。 でも、僕がほんとになりたいものといったら、それしかないね、馬鹿げてることは知ってるけどさ」 『』 J. Bという兄も彼ら家族にはいるのですが、彼らの兄弟にはもうひとりアリーという幼いときに死んだ兄弟がもうひとりいたのです。 は、死んだからって、好きであってもいいじゃないか、といい、フィービーは、兄がいっていることは、ぜんぶ実際のものじゃない、と反論します。 誰よりもフィービーを愛しているというのことを、フィービーはいくらかはわかっているのは、確かです。 もまた同じです。 実際、ひとりで旅立とうとするのもとに突然フィービーが旅行鞄を持って、いっしょに行く、と後に現れるのです。 しかし、この2人の関係は、とてもせつないもので、これはフィービーがまだ幼いからの悲しみや孤独がわからない、というのじゃなく、家族であっても、溢れんばかりの愛情が互いにあっても、「わかり合うことができない」ということが、この世にはあるということを説明しています。 この小説を「絶対的な孤独」にしているのはそのことです。 この「関係性」は恩師であるアントリーニ先生との最後の場面でも同じように出てきます。 先生はに対し、「僕には、君が、きわめて愚劣なことのために、なんらかの形で、高貴な死に方をしようとしていることが、はっきりと見えるんだよ」とを心配していいます。 「君がいま、堕落の淵に向かって進んでいると思うと僕は言ったが、この堕落は特殊な堕落、恐ろしい堕落だと思うんだ、堕ちて行く人間には、さわってわかるような、あるいはぶつかって音が聞こえるような、底というものがない。 その人間は、ただ、どこまでも堕ちて行くだけだ。 世の中には、人生のある時期に、自分の置かれている環境がとうてい与えることのできないものを、捜しもとめようとした人々がいるが、今の君もそれなんだな、そういう連中は、また、自分の置かれている環境では、捜しているものはとうてい手に入らないと思ってしまう。 そこで捜し求めることをあきらめちゃった。 実際に捜しにかかりもしないであきらめちまったんだ。 わかるかい、僕の言うこと?」 『』 J. 「『未成熟な人間の特徴は、ことにあたって高貴な詩を選ぼうとする点にある。 これに反して成熟した人間の特徴は、ことにあたって卑屈な生を選ぼうとする点にある』」 『』 J. 実際は小説の題材を宗教と狂気と自殺に求めました。 がこの小説にこめたものとは、という主人公の孤独というより、小説そのものの孤独、この世界の孤独さ、というものにほかなりません。 しかし、この小説が今なお世界中の人に愛されつづけているのは、それ以上の純粋さと美しさを、この作品が内に秘めているからです。 『の』の文学性について これまで多くの論者によって、この半世紀以上にも渡って絶大な読者を得つづけている作品は、多方面にわたって論じられてきました。 この作品は学の対象本にもなっているようですが、ぼくがいいたい要点はひとつだけです。 ぼくがこの作品の読解に対して懸念するポイントがひとつあるのですが、この小説があくまで未成熟な若者の青春小説である、と付与される性格についてです。 これは、そのような年齢や時代と共に色褪せてしまう一面的な小説ではない、ということです。 この小説は確かに17歳の少年を主人公にして、学校や周囲の大人に反抗する態度を描いています。 実際に当時の1950年代の若者たちの不良言葉を小説に持ち込んで、作品は一人称の告白体で書かれています。 そのような反抗期の青春小説として読むことも可能でしょう。 事実は高校を一年で退学しています。 これは自伝小説であることにも疑いなく、自分の過去を振り返りながら、それを確かに風に・ロマンとして描いたものだといってもよいのです。 誰しも思春期に、悩みを抱え、孤独な境地に陥り、ともすれば、社会の規範から外れてしまうことも実際にあります。 しかし、この『』に描かれた「絶対的な孤独」は、大人になれば解消され、忘れ去って癒えていく類のものではなく、他のの作品を読めば明確なのですが、このの中でもアントリーニ先生とのやりとりでそれははっきりしているように、この少年はすでに「この人生の出発前」に世のすべてをわかってしまっているのです。 これこそが、この作品の「絶対的孤独」であり、小説の孤独、なのです。 たとえばは「ぼくの作品はほとんど若い人たちのことを書いています」といっているようですが、訳者のさんが『』の解説で書いておられるように、それは言葉通り若い人のことを書いている、ということを意味してはおらず、それはある種の「比喩」であって、いうならば「宿命」を背負い続けなければならない人たちのこと、さらにいい変えれば、若いままでしかいられない人たちのことを描いているのだといってよいです。 はユダヤ人であり、高校を退学して陸校に入隊し、実際にノルマンディー作戦に立ち会って兵士として戦地に赴いた、その背景を持ちながら、人間が持つ「宿命」というものを、最も多感な時期に感知する「思春期」という季節に焦点をあてて、それを当時の1950年代のアメリカの持つ時代性と呼応させて、『』において結晶化しました。 この「若い人たちのことを書いている」という作家自身の発言を鑑みるに、たとえば「ゾーイー」において興味深い描写があったりします。 彼が「若い人」という場合、それは狂気に憑かれた人であると同時に、制御された大人には理解されない人、という意味合いで用いていることは明らかです。 さらに彼はそれを「」解釈までをも持ちこんで、イエスもまた若い人である、といっているのです。 『』については、戦場から戻ったが最初に手掛けた処女長編だということをなにより想起してください。 これは自伝的要素がある、と先ほどぼくはいいましたが、大人になった彼が自分の若かりし頃を懐かしく思い出して書いた小説といえるでしょうか? 『』の冒頭作品である「バナナフィッシュに」では、戦場の傷の癒えない主人公の自殺を、極めて日常的な光景の中に衝撃的、突発的に描いていますが、 実はこの自殺する男は、が後に連綿と書き続けることになる「グラース一家」の長男なのです。 の描く人物たちの病は日常に溶けこみ、はっきりとは輪郭を持っていません。 『』が十代の反抗的な小説などと呼べないのは、なによりこれらの理由のない死、に象徴的に表れており、『』のこの少年というのもまた、人物としてなにひとつ「主張」を持っていないことを注視すべきです。 彼はなにをしてもとにかく無力なのです。 彼は確かに自ら放校処分になる態度をとるのですが、これは「なし崩し的な」ともいえて、彼が行うことは一見そう見えながら、まったく反抗ではなく、やはりここが最も重要なところなのですが、すべてをもう諦めているのです。 彼は誰もが素通りしていくものを看過できない繊細な感受性を持ち得ています。 それをどうにかする術を自分がなにも持っていない、ということがわかってしまっていて、それを誰とも共有できないのです。 もう一度冒頭の引用した部分を思いだして欲しいです。 はこの本で、実は自分のことなど本当はなにも語ってなどいないと解釈してもよいと思います。 語るつもりもないし、語ることは不可能だ、と初っ端にいっているわけです。 そして『』というこのが、これだけ多くの読者に支持をされるのは、なにより作者によってこの本にこめられた、ぼくが先に述べたような、純粋さと美しさがあるためです。 主人公は反抗しようと確かにします。 でも、彼はただ純粋なものに真っ直ぐに目を注視しているから、そうなっているのが、読み進むにつれ読者にわかってくるはずです。 ひとつの解答が、先ほど書きましたように「ゾーイー」という中編に書かれてあります。 それはイエスについての解釈です。 その後、彼はだんだん作品を発表しなくなり、家の周囲に壁を張り巡らせて、隠遁生活を送りはじめますが、その「沈黙」は、実は悲観的なものではなく、禅、に似た悟りの境地に彼が行き着いたからかもしれない、と僕は思うのです。 誰もがこの『畑でつかまえ』に共感を持ち得るとは、ぼくは思いません、が、少なくともここに描かれた絶望と美しさを、読んだ読者は一生涯忘れないだろう、と思います。 このあまりに孤独、絶望と同時に悲しみとせつなさに満ちた小説は、世の中とは同時に、純粋で、美しいものだ、ということを読者に教えてくれています。 そして彼は苦闘の末、それをとうとう見いだしたのです。

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