項羽本紀 書き下し文。 高等学校古典B/漢文/鴻門之会

彼取りて代はるべきなり・項羽と劉邦 現代語訳・書き下し文

項羽本紀 書き下し文

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緊急です!項羽本紀について!多分項羽本紀だと思うんですけど、項羽の若...

項羽本紀 書き下し文

原文 三年。 章邯等。 將其卒圍鉅鹿。 楚上將軍項羽。 將楚卒。 往救鉅鹿。 冬趙高為丞相。 竟案李斯殺之。 夏章邯等戰數却。 二世使人讓邯。 邯恐使長史欣請事。 趙高弗見。 又弗信。 欣恐亡去。 高使人捕追不及。 欣見邯曰。 趙高用事於中。 將軍有功亦誅。 無功亦誅。 項羽急撃秦軍虜王離。 邯等遂以兵降諸侯。 八月己亥。 趙高欲為亂。 恐群臣不聽。 乃先設驗。 持鹿獻於二世曰。 二世笑曰。 丞相誤邪。 謂鹿為馬。 問左右。 左右或默。 或言馬。 以阿順趙高。 或言鹿者。 高因陰中諸言鹿者以法。 後群臣皆畏高。 書き下し文 三年、 ( しょうかん )等、其の 卒 ( そつ )を 将 ( ひき )いて 鉅鹿 ( きょろく )を囲む。 楚の 上将軍 ( じょうしょうぐん ) ( こうう )、楚の卒を 将 ( ひき )い、往きて鉅鹿を救ふ。 冬、 ( ちょうこう )丞相と為り、 竟 ( つい )に ( きし )を案じて之を殺す。 夏、 ( しょうかん )等、戦ひて 数 ( しばしば ) 却 ( しりぞ )く。 二世 ( にせい )、人をして 邯 ( かん )を 譲 ( せ )む。 邯 ( かん )恐れ、 長史 ( ちょうし )・ 欣 ( きん )をして事を請はしむ。 趙高、 見 ( まみ )へず、又た信ぜず、 欣 ( きん )、恐れて 亡 ( に )げ去る。 高、人をして 捕追 ( ほつい )せしむも及ばず、 欣 ( きん )、 邯 ( かん )に 見 ( まみ )へて曰く、 趙高、事を 中 ( うち )に用ゆ。 将軍、功有るも誅せられ、功無きも亦た誅せられん、と。 項羽、急に秦軍を撃ち、 王離 ( おうり )を虜にす。 邯 ( かん )等、遂に兵を以て諸侯に降る。 八月 己亥 ( きがい )、趙高、乱を為さんと欲し、群臣の聴かざるを恐る。 乃ち先づ験を設け、鹿を持して二世に献じて曰く、 馬なり、と。 二世笑ひて曰く、 丞相誤れるか。 鹿を謂ひて馬と為す、と。 左右に問ふ。 左右或ひは黙し、或ひは馬と言ひ、以て趙高に 阿 ( おもね )り 順 ( したが )ふ。 或ひは鹿と言ふ、高因りて 諸 ( もろもろ )の鹿と言ひし者を法を以て 陰 ( ひそ )かに 中 ( あ )つ。 後、群臣皆な高を畏る。 現代語訳・抄訳 二世皇帝の三年、章邯等は兵を率いて 鉅鹿 ( きょろく )を包囲した。 楚の上将軍である項羽は楚の兵を率いて救援に向かい、これを撃破した。 冬、趙高は丞相と為り、ついに李斯を謀殺した。 夏、章邯等は項羽と戦闘して度々敗れた。 二世皇帝は人を遣わして章邯を非難した。 章邯は恐れ、長史の司馬欣を使者にして事情を訴えようとした。 趙高は司馬欣に会うことなく、また信じることもなかった。 司馬欣は趙高を恐れて逃亡した。 趙高は追っ手を差し向けたが及ばず、司馬欣は章邯の元に戻って言った。 趙高は全てを自分の思うがままに執り行っています。 将軍は功を為しても誅殺され、功が無くても誅殺されることになるでしょう、と。 項羽は急進して秦を攻め、 王離 ( おうり )を虜にした。 章邯等はついに手勢を率いて降伏した。 八月 己亥 ( きがい )の日、趙高は悪化する形勢が皇帝に露見してしまうことを恐れ、謀反を起こそうと考えた。 群臣が自分に従うか心配した趙高は、一計を案じ、鹿を引いて二世皇帝に献じて言った。 馬です、と。 皇帝は笑って言った。 丞相は何を言っているのだ。 鹿を指して馬と為している、と。 そして左右に尋ねた。 ある者は黙して答えず、ある者は同調して馬といい、趙高を恐れて曲従した。 中には鹿と答えた者も居たが、趙高はこれを法に引っかけて罪に陥れた。 これより後、群臣の誰もが趙高に恐怖した。 秦末の名将。 陳勝・呉広の乱を破竹の勢いで鎮圧し、斜陽の秦を救った。 後に秦中枢の腐敗から楚に帰属。 秦滅亡後は三秦として雍王(ようおう)に封じられ、漢の侵攻を数ヶ月にわたって防ぐも水攻めにあって自刃した。 項羽(こうう) 項羽。 秦末の武人。 向かうところ連戦連勝、わずか三年にして覇王を称すも劉邦との一戦に敗れて滅亡。 四面楚歌の故事は有名。 趙高(ちょうこう) 趙高。 秦の宦官。 奸臣の代表。 権力を得るために多くの功臣を粛清し、恐怖政治を行った。 二世皇帝に鹿を献じて馬と為し、自身の権勢を試した故事は有名。 李斯(りし) 李斯。 秦の政治家。 秦建国の功臣。 荀子に師事し法家として有名。 富国強兵を献策し、統一国家樹立後は焚書坑儒による思想統一、文字や度量衡の統一など国家体制の構築に尽力した。 後に趙高の姦計によって刑死。 司馬遷は「人々は忠を極めて五刑を被り死すというが、その本質を察すれば間違いであろう。 本当に忠義の人であったなら、李斯の功は古の周公や召公にすら匹敵するものである」と述べている。

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項羽本紀 書き下し文

初起時,年二十四。 其季父項梁,梁父即楚將項燕,為秦將王翦所戮者也。 項氏世世為楚將,封於項,故姓項氏。 項梁怒之。 劍一人敵,不足學,學萬人敵。 項梁嘗有櫟陽逮,乃請蘄獄掾曹咎書抵櫟陽獄掾司馬欣,以故事得已。 項梁殺人,與籍避仇於吳中。 吳中賢士大夫皆出項梁下。 每吳中有大繇役及喪,項梁常為主辦,陰以兵法部勒賓客及子弟,以是知其能。 秦始皇帝游會稽,渡浙江,梁與籍俱觀。 籍長八尺餘,力能扛鼎,才氣過人,雖吳中子弟皆已憚籍矣。 吾聞先即制人,後則為人所制。 吾欲發兵,使公及桓楚將。 項梁持守頭,佩其印綬。 門下大驚,擾亂,籍所擊殺數十百人。 一府中皆慴伏,莫敢起。 梁乃召故所知豪吏,諭以所為起大事,遂舉吳中兵。 使人收下縣,得精兵八千人。 梁部署吳中豪傑為校尉、候、司馬。 有一人不得用,自言於梁。 於是梁為會稽守,籍為裨將,徇下縣。 聞陳王敗走,秦兵又且至,乃渡江矯陳王命,拜梁為楚王上柱國。 聞陳嬰已下東陽,使使欲與連和俱西。 陳嬰者,故東陽令史,居縣中,素信謹,稱為長者。 東陽少年殺其令,相聚數千人,欲置長,無適用,乃請陳嬰。 嬰謝不能,遂彊立嬰為長,縣中從者得二萬人。 少年欲立嬰便為王,異軍蒼頭特起。 今暴得大名,不祥。 不如有所屬,事成猶得封侯,事敗易以亡,非世所指名也。 今欲舉大事,將非其人,不可。 我倚名族,亡秦必矣。 項梁渡淮,黥布、蒲將軍亦以兵屬焉。 凡六七萬人,軍下邳。 今秦嘉倍陳王而立景駒,逆無道。 秦嘉軍敗走,追之至胡陵。 嘉還戰一日,嘉死,軍降。 景駒走死梁地。 項梁已并秦嘉軍,軍胡陵,將引軍而西。 章邯軍至栗,項梁使別將朱雞石、餘樊君與戰。 餘樊君死。 朱雞石軍敗,亡走胡陵。 項梁乃引兵入薛,誅雞石。 項梁前使項羽別攻襄城,襄城堅守不下。 已拔,皆阬之。 還報項梁。 項梁聞陳王定死,召諸別將會薛計事。 此時沛公亦起沛,往焉。 初めて起る時、年、二十四なり。 其の季父の項梁、梁の父即ち楚の将の項燕なりて、秦の将王翦の戮する所と為る者なり。 項氏世世楚の将と為し、項に封ぜられ、故に項氏と姓す。 項梁之に怒る。 籍曰く、「書以て名姓を記すに足るのみ。 剣は一人を敵し、学ぶに足りず、万人に敵することを学ぶ。 」是に於いて項梁乃ち籍に兵法を教え、籍大ひに喜び、略ぼ其の意を知り、又竟に学ぶを肯んず。 項梁嘗て櫟陽に逮はれること有りて、乃ち請ひて蘄の獄掾の曹咎の書、櫟陽の獄掾司馬欣に抵る,故を以て事已に得。 項梁人を殺し、籍と呉中に仇を避く。 呉中の賢士、大夫皆項梁の下に出づ。 呉中の大繇役及び喪すること有る毎に、項梁常に主弁を為し、陰かに兵法を以て賓客及び子弟を部勒し、是を以て其の能を知らる。 秦の始皇帝会稽に遊び、浙江を渡り、梁は籍と倶に觀る。 籍曰く、「彼は取りて代はるべきなり。 梁其の口を掩ぎて、曰く、「妄言する勿れ、族せられん。 梁此れを以て籍を奇とす。 籍の長け八尺余り、力は能く鼎を扛げ、才気は人に過ぎ、呉中の子弟と雖も皆已に籍を懼れる。 其の九月、会稽の守の通、梁に謂いて曰く、「江西皆反し、此れ亦た天の亡す時なり。 吾先んずれば即ち人を制し、後るれば則ち人の制する所と為る。 吾兵を発し、公及び桓楚に将たらしめんと欲す。 この時桓楚亡げて澤中に在り。 梁曰く、「桓楚亡げ、人は其の處を知る莫し、独り籍之を知るのみ。 梁乃ち出でて、籍を械めて剣を持し外に居りて待たしむ。 梁復た入り、守と坐りて、曰く、「請ひて籍を召し、命を受け桓楚を召さしむ。 守曰く、「諾。 梁は籍を召して入る。 須臾、梁籍に眴きして曰く、「行ふべし。 是におひて籍遂に剣を抜きて守の頭を斬る。 項梁守の頭を持し、其の印綬を佩 お ぶ。 陳王の敗走するを聞きて、秦の兵又た且に至らんとし、乃ち江を渡り陳王の命を矯 いつわ り、梁に拝し楚の上柱国と為る。 曰く、「江東已に定む、急に兵を引き西にし秦を撃つ。 項梁乃ち八千人を以て江を渡りて西す。 陳嬰已に東陽を下すと聞き、使ひを使はし与に和を連ねんと欲し西す。 陳嬰は、故に東陽の令使なり、県中に居り、素より信謹して称して長者と為す。 東陽の少年其の令を殺し、相聚まること数千人、長を置かんと欲し、適用するもの無し、乃ち陳嬰に請ふ。 嬰能はずと謝す、遂に強ひして嬰を立て長と為し、県中の従者二万人を得。 少年嬰を立て王と為さんと欲し、軍を異にし蒼頭なるもの特 ひと り起く。 陳嬰の母嬰に謂いて曰く、「我汝の家の婦と為りしより、未だ嘗て汝の先古の貴者有るを聞かず。 今暴 にわ かに大名を得、祥 きざ しとせず。 属する所有るに如かず、事成らば猶ほ封侯を得て、事敗れ以て亡げ易し、世の指名する所に非ざるなり」と。 嬰乃ち敢えて王と為らず。 其の軍吏に謂いて曰く、「項氏世世して将の家なりて、楚に名有り。 今大事を挙げんと欲し、将に其の人に非ざれば、不可なり。 我名族に倚り、秦を亡ぼすこと必ずや。 是に於て衆其の言に従ひ、兵を以て項梁に属す。 項梁淮を渡り、黥布・蒲將軍も亦兵を以て属す。 凡そ六七万人、下邳に軍す。 項梁軍吏に謂いて曰く、「陳王先に事を首 はじ め,戰ふこと不利なり,未だ所在を聞かず。 今秦嘉陳王に倍 そむ きて景駒を立つ、逆無道なり。 乃ち兵を進め秦嘉を撃つ。 秦嘉の軍敗走し、これを追ひ胡陵に至る。 嘉還た戰ふこと一日、嘉死し,軍は降る。 景駒走りて梁地に死す。 項梁已に秦嘉の軍を并せ,胡陵に軍み,將に軍を引きて西せんとす。 章邯の軍栗に至り、項梁別の將の朱雞石、餘樊君をして與に戰はしむ。 餘樊君死す。 朱雞石の軍敗れ,胡陵に亡げ走る。 項梁乃ち兵を引き薛に入り,雞石を誅す。 項梁前に使項羽をして別の襄城を攻めしむ、襄城守り堅く下らず。 已に拔き、皆なこれを阬 あな にす。 還り項梁に報ず。 項梁陳王の定めて死するを聞き,諸の別の將を召し薛に会し事を計る。 此時沛公も亦沛に起り,往く。

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