ええいああしりからモダン焼き。 ええいああ尻からモダン焼き

【DMM/角川】艦隊これくしょん〜艦これ〜6606隻目

ええいああしりからモダン焼き

もらい泣きとは、 関連項目• 泣いている相手に誘われて泣く事。 のとしては「」と似たような意味で使われる。 本稿で詳述する。 概要 楽曲 曲名 もらい泣き 発売日 収録 心 溝渕大智、、武部聡志 武部聡志 の曲。 特にがあったわけでないがを記録、「」と共に代表曲の一つとして有名である。 の第回・有線大賞・歌謡祭・大賞でそれぞれ新人賞を受賞。 の他の曲にも言えることであるが、唐突にが開いていたり、「、」「。 」「・」「-」が入っていたり(あまり言われないがの中に句やを入れるは非常にしい)、一部がになったりと独特のが反映されている。 トリビア 番組『』にて、「の「もらい泣き」の再生を遅くするとが歌っているように聞こえる」というが紹介され、反を呼んだ。 これは等で「もらい泣き」をのをので再生するとが歌っているように聞こえるというもの。 番組に登場した研究所のによると 裏()で歌っている部分の周波数が4ツと全く同じな上、歌い方や息継ぎのが非常に酷似しているためそのように聞こえるらしい。 ちなみにの曲をで再生するとやはりっぽく聞こえる。 他の曲に関しては「」のを参照。 関連動画 関連商品 関連項目• ええいああ.

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【DMM/角川】艦隊これくしょん〜艦これ〜6606隻目

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子育て随筆byはやし浩司(101) 上には上…… もう一五年ほど前になるだろうか。 そのころ、スキーにでかける若者たちが、手ぶらででか け、手ぶらで帰ってくるようになった。 「?」と思っていると、こう教えてくれた人がいた。 「みん な、(スキー用具は)、宅急便で送るのですよ」と。 ナルホド。 これに驚いていたら、空港から荷物を宅急便で送るという人もふえてきた。 外国から帰ってき たような人が、それを利用する。 それはわかるが、若者たちも、それをまねし始めた。 大学生 までそれをしていたので、私はこう言った。 「お金をかけるくらいなら、自分で荷物くらい運べ」 と。 それに答えて、みな、こう言った。 「疲れて帰ってきて、その上、荷物まで運ばされたら、たま んないヨ〜」「先生、遅れてるウ〜」と。 さらに……。 都会で、豪勢なマンション生活をしている大学生がいた。 母親はパートの仕事に 出て、爪に灯をともすようにして、生活費を送金していた。 で、ある日、その母親が、その学生 のマンションを訪れて、驚いた。 春先だったというが、一日中、暖房はつけっぱなし。 玄関先に は、五〇CCだったが、三〇万円もするような、キンキラキンのバイクが置いてあったという。 そんな中、一人の母親から、こんな相談があった。 二五歳になる、娘についての相談だっ た。 いわく、 「家事は、まったくしません。 フリーターとかで、結構、それなりに収入があるようですが、家に は、一円も入れてくれません。 すべて衣服と、化粧代、それに遊興費に消えていきます。 洗濯 すら、自分でしません。 育て方が悪かったといえば、それまでですが、しかし、どうしたらいいで しょうか」と。 が、私は、こう言った。 「その程度なら、まだいいほうですよ」と。 実際、上には上がいる。 (下には、下と言うべきか……?) こんな話を聞いた。 その家には、二人の娘がいる。 上が、二八歳、下が二六歳。 ともに結婚する様子は、まったく なし。 生活費は一円も入れないばかりか、毎日、夕食は、母親が、娘たちの部屋まで運んでい るという。 居間兼食堂には、クーラーがないからである。 娘たちは、こう言っているという。 「今ど き、クーラーのない台所なんかで、食事はできない」と。 が、さらに上がいる。 自称、シングルマザー。 本当は、父親がだれだか、わからない。 で、本人は、子どもを親に預 けて、遊び放題。 狭いマンションだが、娘は、しょっちゅう男を連れてくる。 そのたびに、両親と 子どもは、どこかへ疎開。 男には、「私が仕事をして、両親を養ってやっている」と、うそぶいて いるという。 子どもについては、男によって、「私の子」と言ってみたり、「姉の子を預かっている だけ」と言ってみたりしているという。 そういう娘だが、親はこう言う。 「何も言えません。 何かを言うと、すぐけんかになってしまいま す」と。 こうした話は、決して、他人ごとではない。 今では、そうでない子どもをさがすほうが、むずか しい。 あるいはあなた自身が、ここでいうドラ息子、ドラ娘かもしれない。 が、あなたはともかく も、これだけは覚えておくとよい。 子どもドラ息子であるにせよ、ドラ娘であるにせよ、いつか結局は、苦労するのは、子ども自 身であるということ。 子どもというのは、一度ぜいたくを覚えてしまうと、あともどりができない。 それだけの生活が維持できれば問題はないが、しかしこういう時代になってくると、それもむず かしい。 子どもは、質素に育てる。 決して、目いっぱいのことは、してはいけない。 もしあなたが、子ど もを楽しませること、子どもに楽をさせることが、親の愛の証(あかし)と考えているなら、そうい ったまちがった子育て観は、今すぐ、改めたほうがよい。 最後に、私は、その母親にこう言った。 「私たちの世代は、かわいそうな時代です。 親に取られ、子どもに取られ、いわば両取られの 世代です。 しかも大部分の人は、家族にひもじい思いをさせたくないと、懸命にがんばってき た。 しかし今の子どもたちは、(ひもじい)という言葉の意味すら、わからない。 がんばって、家 族のためにしてきたことが、かえって裏目に出てしまった……。 そんな感じですね」と。 限度をわきまえる。 サービス過剰は、決して子どものためにはならない。 たとえば子ども(小学生)が、八月の終わりになって、夏休みの宿題が、まだやってないと訴 えたとする。 そのときあなたは、どうするだろうか。 (1)子どもがかわいそうだから、徹夜をしてでも、いっしょに宿題を片づけてやる。 (2)子どもが悪いのだから、放っておく。 「学校で叱られてきなさい」と、子どもを突き放す。 (1)と(2)は、両極端な考え方だが、子どもにとっては、(2)に近いほうがよいことは言うまで もない。 「ほどよい親」「暖かい無視」が、子どもの自立をうながす。 もし(1)のようであれば、家 庭教育のあり方を、基本的な部分で見なおす。 でないと、あなたの子どもは、まちがいなく、こ こでいうドラ娘、ドラ息子になる。 +++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 子育て随筆byはやし浩司(102) サービスと限度 子どもには、どこまでサービスをすべきなのか。 また限度があるとすれば、どこにそれを求め たらよいにか。 サービスと限度……この二つの問題は、子育てをしていると、いつもついてまわ る。 【サービス】 以前、クリスマスになると、部屋中どころか、家中を、飾りたてる人がいた。 「近所でも、私の 家ほど、クリスマスを祝う家はない」と、その人(女性・三四歳)は、言っていた。 もちろん二人の 息子(上が小一、下が年中児)のためだった。 あるいは「子ども新聞」と称して、毎月、新聞を発行している人(女性・三〇歳)がいた。 そして それを親戚や、近所、幼稚園の先生たちに配っていた。 子どもが六歳になったときのこと。 市内のホテルを借りて、七五三の祝いを開いた人がい た。 会費制だったが、費用は一人、二万円。 子どもは、結婚式の新郎新婦よろしく、豪華な衣 装を身につけ、ひな壇に座っていた。 こう書くからといって、クリスマスをしてはいけないとか、子ども新聞を発行してはいけないと か、あるいはホテルで七五三の祝いをしてはいけないと言っているのではない。 ただやり方を まちがえると、サービス過剰となり、子どもの生きザマを、ゆがめてしまうということ。 それに は、こんな理由がある。 子どもを大切にするということと、子どもをかわいがるということは、まったく別のこと。 古来よ り日本では、親にベタベタ甘える子どもイコール、かわいい子とし、子どもをかわいがるというこ とは、子どもに、その甘える子どもにすることを意味した。 そしてその「かわいい子ども」にするために、子どもを「かわいがった」。 日本では、「子どもを かわいがる」というのは、「子どもに楽をさせること」「子どもにいい思いをさせること」を意味し た。 わかりやすく言えば、依存心をもたせることに、日本の親たちは、あまりにも、無頓着すぎ た。 それは自分自身も、子どもに依存したいという、「甘えの構造」が、その背景にあったから にほかならない。 よい例が、「産んでやった」「育ててやった」という、恩着せである。 つまり親は、子どもに恩を着せることで、自分も、子どもに依存しようとした。 そして子どもに 対するサービスは、そのためのものでしかなかった。 「これだけ子どもにしてあげたのだから、 子どもは、私に感謝しているはず」「親子のパイプは太くなったはず」と。 そのためのクリスマス であっては、いけないということ。 そのための子ども新聞であっては、いけないといこと。 そして そのための七五三の祝いであっては、いけないということ。 一方、子どもを大切にするということは、子どもの人格や人権を認め、一人の人間とて、自立 させることをいう。 これは簡単なようで、むずかしい。 そのむずかしいのが、子育てということに なる。 【限度】 そこで私たちは、どこでどのような限度を、もうけるべきかということになる。 やりすぎはよくな い。 (もちろん足りないのもよくないが……。 )こんなことがある。 私たちの世界には、「手取り、足取り教育」というのがある。 子どもの手を取り、足を取るよう にして、ていねいに教えることをいう。 しかしこの方法は、一見親切に見えるが、子どもは依存 心をもつようになり、かえって子どものためには、ならない。 どこかで子どもを突き放す。 たとえばあと一歩で、子どもが理解できそうなときは、「自分で考 えてごらん」と言って、自分で考えさせる。 そのタイミングのよさとコツが、子どもを伸ばす。 家庭教育もまさにそうで、その手綱(たづな)さばきこそが、家庭教育の真髄(しんずい)という ことになる。 もう少し、具体的に考えてみよう。 私はそのため、いくつかの教育格言を考えた。 やりすぎがよくないことは、言うまでもない。 でき、ふできは、問題にしない。 「何 でも半分」と決めておくと、一つの行動規範になる。 その楽しみの中 へ、子どもを引き込むようにする。 子どもの機嫌をとらない。 子どもにへつらわない。 「産んでやっ た」式の恩着せは、しない。 子どもに何かをしてほしかったら、 まず自分でそれをしてみせる。 子どもの心を 満腹にしてはいけない。 社会性が生まれるのみなら ず、根性も、忍耐力も、そこから生まれる。 見せたく なくても見せてしまうかもしれないが、「見せない」という前提で子育てをする。 こういう姿勢の中から、自然に、「親としての限度」が現れてくる。 してよいことと、してはいけな いことの、限界が見えてくる。 あとは、その限界にしたがって、行動すればよい。 (030825) ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 子育て随筆byはやし浩司(103) クーラー 今年、はじめて、二つの部屋にクーラーを設置した。 もう一部屋、クーラーのある部屋がある が、そこは以前、「教室」として使っていた。 私の世代にとっては、クーラーは、ぜいたく品。 そういうことになっている。 それにあの不自然 な冷気は、どうも体に合わない。 そこで今まで、基本的には、クーラーなしの生活に、こころが けてきた。 が、数年前からの猛暑。 体のほうが、それに耐えられなくなった。 そこで今年、クーラーを設 置した。 二台で、ちょうど、一〇万円。 安くなったものだ。 私とワイフは、「これで一人前」と喜ん だ。 ところが、である。 今年は、まれにみる冷夏。 八月だというのに、毛布をかぶって寝ることもあ った。 クーラーは、使わないままでいた。 しかしここ数日、猛烈に暑くなった。 そこでワイフと私 は、クーラーのある部屋で、寝ることにした。 「温度は、何度にする?」と私。 「二五度くらいじゃ、ない」とワイフ。 「一番、快適なのは、二二度ということだ」 「それじゃ、冷えすぎよ」 「じゃあ、何度にする?」 「二四度くらい?」 「タイマーは、どうする?」 「二時間くらいかな」 「三時間にしようか?」と。 何とも、初心者的な会話がつづく。 そしてなれないせいか、一晩中、クーラーが気になってし かたなかった。 ときどき目をさまし、タイマーが作動しているかどうかを見た。 冷えすぎていない かどうを確かめた。 ワイフも、同じだったようだ。 朝、起きると、いつものように、窓があいていた。 扇風機も回って いた。 「夜中に、二度もトイレに行った」と、ワイフは言った。 私は、三度だ。 寝る前にスイカを食 べた。 それにクーラーのせいで、汗をかかなかった。 それで三度になった? 健康のためには、自然に合わせた生活のほうがよいことは、言うまでもない。 東洋医学でも、 そう教えている。 夏の暑気を体に蓄えることによって、冬の風邪(ふうじゃ)に耐えることができ る、と。 夏に汗をタラタラとかいておけば、冬に、風邪(かぜ)をひきにくくなるということ。 朝食のとき、私が、「やっぱり、扇風機だけのほうが、よく眠られる」と言うと、ワイフも、「そう ね」と、ポツリと言った。 そこで小学五年生たちに、こう聞いてみた。 「君たちは、寝るとき、クーラーをつけている か?」と。 すると、九人のうち、一人をのぞいて、八人が「つけている」と。 そのうち、三人は、一 日中、つけていると答えた。 都会のマンションでは、クーラーなしの生活は、考えられないよう だ。 そのせいか、その三人は、どこか青白い顔をしていたが……。 Is not life more important than food, and the body more important than clothes? Matthew 6-25 それゆえに、あなたが何を食べたり飲んだりしようとも、あなたの命のことは心配するな。 あな たが何を着ようが、体のことは心配するな。 命が、食べ物より大切なのか。 衣服が体より大切 なのか(マタイ伝6章25節)。 快適な生活というのは、一方で、何か、もっと大切なものを、犠牲にする。 快適な生活をする ことによって、自分を見失うこともある。 あるいは快適な生活をしたからといって、その人が崇 高になるということは、ありえない。 だからといって、快適な生活を否定しているのではない。 快適さを求めることが、人間の生き る原動力にもなっている。 しかしそれに溺れてはいけない。 どこかでしっかりとした歯止めをか けておかないと、ズルズルとその深みにはまってしまう。 小さな虫一匹を見ただけで、逃げ回る子どもは、いくらでもいる。 自分の家のトイレ以外は、 使えない子どもも多い。 さらにその意識もなく、おしっこをもらしてしまう子どもも多い。 これは紙 おむつのせいだと思うが、生きザマが、どこか不自然になる。 これから先、しばらく、心の中で、クーラー問答がつづきそうな感じがする。 インターネットで、「幼児・心因性・便秘」のキーワードで検索し て行きましたところ、このホームページにたどり着きました。 私は、岡山県W市に住んでいます、HEと申します。 現在、2才10ヵ月と1才4ヵ月になります男の子の母親です。 今日は、その2才10ヵ月の長男(就 園前です)について、御相談にのっていただきたく、メールさせていただきました。 発端は、一年と少し前の事になるのですが、それまで生まれてこの方、便秘などしたこともない 長男が、急に1週間程、便が出ない日が続きました。 1週間後にやっと便が出たときには、ウ ンチはカチカチで少し出血してしまいました。 ですがその時はただの便秘だろうと、あまり気に はしなかったのですが、その日から現在まで、ずっと便秘(?)がつづいています。 これだけなら小児科へ連れて行って便秘薬をもらってくれば済む話なのですが、どうやら息子 は、便秘(便意をもよおさない)なのではなく、「意識的に便意を我慢している」ようなのです。 最初はそれに気づかず、小児科でもらった薬を根気よく飲ませていたのですが、どうにも息子 の様子がおかしいので、よくよく観察して見ると、便意をもよおすと、最初のうちはジッと動か ず、それでは我慢しきれなくなってくると、今度はトントンとイスやテーブルなどに、つかまりなが ら足踏みを始めます。 親に力一杯、抱きついてくることもあります。 そこで、再度小児科を受診して、今度はちゃんと「ウンチを我慢してしまうんです」と、お医者様 に訴えたのですが、「反抗期なのでしょう」「お母さんの方で頑張ってみて」とおっしゃっていただ くにとまり、いただいたお薬の方も子ども用の便秘薬では息子が我慢し切れてしまうため、効 果がありません。 仕方がないので3〜4日程度たって、いよいよ、お腹が満杯状態だなと思うころ、浣腸やぬるま 湯などをおしりから入れてやり、どうにも我慢できない状態にして無理に出させています。 それ も当然の事ながら、息子がとても嫌がるので、見ていると、とてもつらいです。 小児科へ行ってもダメ、自分なりにインターネットや知りあいなどからも情報収集してみたもの の、ただの便秘ならとてもポピュラーで色々ヒットするものの、「ウンチを我慢する子ども」となる と全くと言っていい程情報が入ってこないのです。 そこで、わらをもすがる思いで先生に御相談 させていただこうと思った次第なのです。 それ以外の息子の様子、性格ですが、他に親から見て、「困った事、歯がゆく思うこと、変わっ た癖」など、気になることはほとんどないと思います。 性格も明るく、人懐っこいので、誰からも 割と好かれますし、子どもどうしでも、例えばスーパーのガチャガチャコーナーなどに居合わせ た初対面の子どもなどとも、スムーズに溶け込んで友達になれたりしています。 家と外での態 度も、ほとんど変わりませんし、いつも大声で騒ぎ笑っています。 そういう時には、あまり様子を見に行ったりしないのですが、長男が次男を、親が見ていない所 でいじめている様子もないようです。 時々「ワーッ」と次男の泣き声が聞こえてきたりもします が、積み木で作ったものを壊された長男が、怒って次男を叩いたり突き飛ばしたりと、長男にし てみればちゃんと理由がある事のようですし、長男によって、次男がひどい怪我をしたようなこ とも、今までに一度もありません。 なので、やっぱり「赤ちゃん返り」とはちがうのではない か・・、と思ってみたりもするのです。 数少ないインターネットから獲た情報で、「これくらいの歳の幼児(とくに男児)に、時に自分の ものを出したくないという心理から、ウンチを我慢してしまう子がいる。 」というような事が書いて あるのを見ました。 それ以外には、「何か心にトラウマみたいなものがあって、それが影響す る」とも・・。 ですので、私としては、「きっと大した意味もないのだろう。 いつか良くなる」と思えたり、「何か 私が気付かないうちに、息子の心に傷を負わせてしまったのだろうか」などと、ぐるぐると前向 きと後ろ向きの考えが行ったり来たりする毎日です。 この件についての夫の意見は(夫婦仲は良好です)、「便意にまでいどむなんて、RT(息子)ら しい。 きっとそのうち飽きるよ。 ほっとけ」です。 (夫と息子の仲も良好だと思います)ですが、毎 日必死で便意を我慢している息子を見ていると、やはり何か深い理由があるのではないかと 思えて来てしまうのです。 今日、恐る恐る、お絵書き中の息子に、「お母さんの絵描いてみてよ」と頼んでみました。 する と、その時持っていたブルーの色鉛筆で、紙一面に「これ母ちゃん」と言って、この位の歳の子 特有の、顔から手足が伸びているような絵をニコニコと嬉しそうに描いてくれました。 Vリーグキ ャラクターのバボちゃんに似た感じの絵です。 その後、頼んだ訳ではないのですが、「これはRT」と言ってその紙の裏側に自分の絵、そのす ぐ隣に「これはSEくん(弟)」と言って、SEちゃんを含め、全部で3人、楽しそうに描いてくれまし た。 この子が本当に何か、大きな心の傷に苦しんでいるんだろうか・・。 考えれば考える程、分から なくなってくるのです。 便意を我慢してしまう、という以外には何も息子に対して重大な心配事が無いにも関わらず、 何故そこまで私がウジウジと悩んでしまうのか、それには私個人の問題が関係しているのかも 知れません。 一つの家庭しか知らなかったので、子 ども時代はそれに気付きませんでしたが、いわゆる「だれのおかげだ」的なことを言う父と、自 分の思い通りにならないとすぐキレる母でした。 子ども時代の私はいつもビクビクおどおどして いましたし、今思うと、かなりの分離不安もあったのだと思います。 小学校低学年までは、母が参観会でもないのに一人で教室のうしろで見学していたこともあり ます。 何十人といるクラスの中でも極めて心に大きな問題のある生徒だったのではないでしょ うか。 ちなみに、担任の先生に呼ばれて見学した母は「あの先生細かいこと言い過ぎ」などと言って いました。 子ども時代の私は、それを「そうなんだ、先生の方が悪いんだ」と思ってしまっていた のです。 母は絶対でしたから。 父や母に言われたりされたりした事の中で、強く印象に残っていることを幾つかあげさせて下さ い。 後から知ったのですが妹が入院する事になったためだったそうです が・・・。 悔しかったです。 母はずっと専業主婦でしたが、あまり遊んでもらった記憶はありません。 保育園や学校から帰 って来ると、たいてい母が家にいましたが、私がしつこく話しかけたり、遊ぼうなどと言ったりす ると、怒られました。 いつも部屋の隅にまでおいつめられ、物や素手で叩かれていました。 小学 生の頃一度、腕をつねられて倍の太さはあろうかと思うほど腫れ、痛みで一晩眠れなかったこ ともあります。 髪型も中学に上がってしばらくは母に決められていました。 美容院に連れて行かれ、「短くして 下さい」などと、母が注文をするのです。 私は黙って従うしかありませんでした。 自分の好きな髪型にできないので、当然の事ながら私は美容院が大嫌いだったのですが、美 容院に行く事に対して抵抗すると、ハサミを持って家中追いかけまわされました。 風呂場へ引 きずっていかれ、頭から水をかけられたこともあります。 美容院で髪をつんつるてんにされ家に帰って来てからメソメソ泣いていると、また「わずらわし い」と言って怒鳴られました。 そのころ、ちょうど思春期に入るような頃だったと思うのですが、少しずつ私も胸が出はじめ、 母にブラジャーをすすめられた時の事ですが、私はまだ気恥ずかしいし、窮屈だしで「まだシャ ツでいい」といったのです。 すると母は、「へっへ〜! おっぱい、ブーヨブーヨ〜!! 」と言いました。 私は恥ずかしさと悔しさで、その場で泣叫びたい気持ちでした。 それが原因で胸を隠そう隠そう としているうちに、私は猫背になってしまったのですが、それについても、母には「お前は姿勢 が悪い。 だらしない」と怒られていました。 いつもそんな感じでした。 「お前はセンスがないね。 ださいね」とか、「明日引っ越しなのに、熱 なんか出さないでくれる?」とか・・。 今さら恨んでも何にもならないのは分かっているのですが、いまだに心のどこかで母のことが 許せないでいるのです。 ですが、母もまた不幸な家庭に育ちました。 母は4人兄妹の末っ子なのですが、母がまだ赤ん 坊の頃、母親が出て行ってしまったそうです。 原因は父親にあるのですが、(酒、女遊び)そう いう子どもって、捨てた(?)側の母親を恨むものなのですね。 そのあたりは私にも理解できな いのですが。 それでもやはり祖母は自分の子どもが気がかりだったらしく、私が中学生の時に一度、祖母か らうちの母に、電話がかかってきたことがありました。 当時は父の仕事柄、引っ越しが多かった ので、色々な人に行方や電話番号を聞いて、かけて来てくれたのだと思うのです。 しかし母は、「いいえ私じゃありません。 知りません」と言って、他人のふりをして切ってしまった のです。 理屈ではなく、どうしても自分の母親を許せなかったのでしょう。 母もまた、自分の中 のトラウマと闘っているようでした。 そう考えてみると、離婚もせず一つの家庭を守り抜いた母は、母なりに悪循環のリングを断ち 切る事ができたのでしょう。 そういう意味では、母には一定の評価はしています。 冷たい言い方 なのですが・・。 でも、祖母を許せなかった母、母を許せないでいる私・・。 この悪循環が、私の子育てにもし影 響を及ぼしていたらと思うと、不安で仕方がないのです。 息子たちも、私や母がそうだったよう に、親を恨むようになってしまうのではないかと。 そう言うわけで、子どもがうんちを我慢してしまう、というそれだけのことで、「私のせいなのか 私のことが嫌いなのか不満があるのか」とぐるぐるぐるぐると考えてしまうのです。 息子たちには、誰かを恨むことなく、自由に生きて欲しいと思っているのですが・・。 長々しくなってしまって、申し訳ありません。 つたない文章をここまで根気よく読んでいただき、 本当にありがとうございます。 どうか、息子の心因性の便秘の件、良きアドバイスをお願いしま す。 原因を取り除くカギや、息子がモジモジとし始めたとき、知らんふりをしていれば良いもの なのか、それとも積極的に「我慢なんてしてはだめだよ」みたいな言葉をかけてあげたほうが 良いのか、対応に迷っているのです。 何か、アドバイス頂けたら幸いです。 どうかよろしくお願いします。 最後に、もし先生の専門外のとんちんかんな質問でしたら、どうかお許し下さい。 赤ちゃん がえりが、依存うつを併発し、それがこじれて、心因性の便秘になったものと、私は考えます。 排便、排尿障害には、定型がありません。 多いのが、夜尿、頻尿、遺尿、おもらしなどです。 便 秘もその一つですが、排便をこらえるため、ふつうでない太いウンチや、大量のウンチ、下痢 をしたりします。 HEさんのお子さんのように、血便まじりの便秘については、私もはじめての経 験ですが、ありえないことではないと思っています。 よくあるのは、受験期にいる子どもが、気うつが原因で、便秘になるケースです。 この時期に は、一週間〜一〇日という便秘も珍しくありません。 (修学旅行先で、それが原因で、救急車で 病院へ運ばれた子どものケースを知っています。 浣腸がささらなかったほどの便秘だったそう です。 ) 赤ちゃんがえりを、親たちは軽く考えますが、決して軽く考えてはいけません。 「嫉妬」という、き わめて原始的な感情をいじるため、症状も千差万別、かつ複雑です。 おとなでも、嫉妬に狂う と、自分を見失うことは、よくありますね。 表面的な症状だけをみると、弟思いの、よい兄といった感じがしますが、反動形成が疑われま す。 嫉妬が転じて、よい兄を演ずるというのが、それです。 RT君は、外では明るい子どもという ことですが、それもやや気になります。 その反動形成は、こういうケースでは、よく見られる現 象で、決して珍しいものではありません。 (反動形成については、原稿をここに添付しておきま す。 ) で、なぜ便秘か、ですが、年齢によります。 逆算すると、ちょうど満一歳六か月のときに、下の 子どもが生まれたことになります。 うまくいかないと、消極・内向 的になりと言われています。 またがんばりすぎるタイプは、ケチになると言われています(精神 分析的人格理論)。 排便による快感を覚える時期に、それができなかった……? もし私がフロイトなら、こう結論 づけるでしょう。 「肛門期の排泄(トイレットトレーニング)障害」と。 ですから、対処方法は、ただひとつ。 濃厚なスキンシップの復活です。 子どもの側からみて、絶 対的な安心感を覚える環境づくりを大切にします。 ここで重要なのは、このことには、HEさんの 過去が、密接にからんでいるということです。 それについては、もう少しあとで説明するとして、 便秘について、もう少し、考えてみます。 フロイトがいう肛門期というのは、「体内にたまった不要なものを排泄する喜びを感ずる時期」 という意味です。 大便は、その象徴でしかありません。 抑圧された心を、外に排泄することに対して、恐怖をいだき、それが便秘という症状になったと 私は考えます。 こうした無意識下の行為は、子どもの世界では、珍しくありません。 そのため、 つぎのような症状も見られるはずです。 (1)親の前でいい子ぶる。 (よい兄を演ずる。 ) (2)愛想がよい子に見え、周囲の人に迎合する。 自分を隠す。 好かれようと無理をする。 (3)親からは、がまん強い、できのよい子どもに見える。 (お父さんが、「RTらしい」と思ってい る部分が、それです。 ) (4)どこか親からみて、何を考えているかわからないところがある。 (5)ほかにも、神経症による症状があるはず。 (くわしく観察してみてください。 神経症による症 状は、私のサイトの、子ども診断のところに書いてあります。 爪かみ、髪いじり、指しゃぶりな ど。 症状は千差万別です。 定型がないのが、特徴です。 ) あとは赤ちゃんがえりに準じて、対処します。 全体に、もう一度、RT君に、すべての愛情を注 ぎ、様子をみながら、少しずつ手を抜きます。 ただしかなり根気のいる作業で、赤ちゃんがえり (退行性)が、数年にわたってつづくように、簡単にはなおらないと覚悟してください。 まだ三歳 ということを考えるなら、一年単位での観察が必要かと思われます。 が、本当の問題は、このことではありません。 もう一つ、大きな問題が隠されています。 それ が、HEさん自身の、トラウマ(心的外傷)の問題です。 またその可能性が大です。 つまりHEさん自身が、心 の開き方を知らないでいる。 だから長男のRT君も、母親である、HEさんに、心を開けないでい る? 本当なら、RT君は、母親のHEさんに向かって、大声を出したり、泣き叫んだりしながら、愛情 の復活を要求しても、おかしくないのです。 弟に対して、乱暴したり、意地悪したりして、よいの です。 (むしろ、そのほうが自然であり、あとあと、問題も軽くすみます。 ) しかし、RT君は、言いたいことも言えず、したいこともできないで、「いい子」ぶっている。 もっと も甘えたい時期に、下の子どもが生まれ、それができなくなってしまった。 RT君のかかえた、 欲求不満は、相当なものであったと考えられます。 で、その原因はといえば、親として、自分の子どもにすら自己開示できない、HEさん自身にあ るということです。 HEさんは、RT君に対して、自分をさらけ出していますか? 自分の心を正直に、話しています か。 HEさん、あなた自身が、子どもの前や、夫の前で、あるがままの自分をさらけ出していま すか? 実は、ここが重要なのです。 あなたはひょっとしたら、あるがままの自分をさらけ出すことに、大きな不安を覚えている。 だ からこう悩むのです。 「この悪循環が、私の子育てにもし影響を及ぼしていたらと思うと、不安 で仕方がないのです。 息子たちも、私や母がそうだったように、親を恨むようになってしまうの ではないか」と。 こういうのを心理学では、基底不安と言います。 HEさんは、そのため子どものときから、他人と のかかわりが苦手だったはずです。 孤独で、さみしがり屋である反面、人とかかると、心的な 疲労感を覚えやすいというように、です。 で、他人とのかかわりは、それでよいとしても、多くのばあい、親子、さらには夫婦の間でも、同 じような問題が起きるということです。 そしてそのことが原因で、今度は、子どもの側も、安心し て、親であるHEさんに心を開けないということになります。 こういう関係が積み重なって、子ども は親の前で、仮面をかぶるようになり、一方、親は、本来楽しいはずの子育てが、苦痛に満ち たものになります。 そこでその原因は何かというと、HEさんご自身がすでに気づいておられるように、HEさんと両 親の問題がからんでいます。 しかし今さら、HEさんの幼児期を悔やんだり、両親を恨んでもしかたのないことです。 ただ事実 は冷静に見ます。 この問題は、「そういう過去」があったということがわかるだけでも、問題の大 半は解決したとみます。 あとは時間が解決してくれます。 同時に、あなた自身の複雑な過去が、それにからんでいます。 いくつかのポイント を、もう一度、整理してみます。 (1)ゆがめられたRT君の心……嫉妬するならするで、本来なら、RT君は、それを全身をつか って表現したら、よかった。 しかしそれができなかった。 よくある例は、下の子いじめ。 嫉妬がか らむと、上の子は、下の子を、「殺す」寸前までのことをします。 これをプラス型というなら、ネチ ネチと甘えたり、赤ちゃんのようにグズったりするのは、マイナス型ということになります。 が、R T君のケースは、母親との特殊な関係が、症状をこじらせたと考えられます。 時期的には、まさ に肛門期の排泄障害となったわけです。 (2)自己開示できないRT君……メールからだけでは、よくわかりませんが、RT君は、便秘だ けではなく、生活のさまざまな面で、かなり無理をしていることが、考えられます。 だいたい「い いお兄ちゃん」であること自体、おかしいのです。 本来なら、親に対して、欲求不満を、正面か らぶつけてよいはずです。 が、それができないというのは、RT君に責任があるというより、母親 であるHEさんが、子どもに対して、全幅の自己開示をしていないことに原因があると考えられ ます。 (3)不安を基底としたHEさんの子育て……HEさん自身が、不安を基底とした子育てをしてい ます。 しかし本当は、子育てが不安なのではなく、HEさんのようなタイプの母親は、何をして も、不安なのです。 その一つが、たまたま今、子育てに向いているだけです。 「子どもはいつ か、自分の心を見ぬくのではないか」とです。 そしてさらにその原因はといえば、HEさんと、 親、とくに、母親との関係があります。 HEさんの母親自身も、不幸にして、不幸な家族関係を 経験している。 そういうリンク(HEさんの言葉)が、つながって、今のHEさんとRT君の関係をつ くっています。 (4)HEさんの過去……しかしここが重要ですが、こうした過去があることを、とやかく言っては いけません。 だれしも、その程度の不幸(失礼!)は、もっています。 問題は、そういう過去があ ることではなく、そういう過去があることに気づかないまま、その過去に振りまわされることで す。 しかし幸いなことに、そしてとても賢明なことに、HEさんは、そういう過去があることにすで に、気づいています。 つまりすでに、問題の大部分は、解決しているということです。 (5)では、どうすればよいか……もっと心を解き放ちなさい。 あなたはRT君の便秘のことで悩 んでいますが、RT君の「ウンチ」は、あなたの心の中にたまったゴミだと思ってください。 あなた がそのゴミを外に出さないでいる。 それをそっくりそのままRT君が、自分の体を使って、あなた に教えているのです。 わかりますか? この子育ての深遠な不思議を、です。 あなたが母親を うらみたいなら、もっと大声を出してうらめばよいのです。 うらんで、うらんで、うらみまくる。 その 結果として、つまりそれが限界に達したとき、あなたは、母親に対して、ある種のあわれみを覚 えるはずです。 そのとき、あなたの心は解放されます。 RT君もあなたの心を開き、「ママ、さみ しいよ。 ぼくもかわいがってよ」と言うだろうと思います。 あなたがいい子ぶっていて、どうしてR T君が、仮面をはずすことができるでしょうか。 (6)夫との関係……HEさんは、夫との関係は、良好だと言っておられます。 もしそうなら、それ は問題ありません。 しかし本当に、あなたは夫に対して、全幅に心を開いているかどうか。 そし てあなたの夫は、あなたを全幅に受けとめているかどうかを冷静に、判断してみてください。 ひ ょっとしたら、そういうあなたに対して、あなたの夫は、心さみしい思いをしているかもしれませ ん。 あなたは夫の前で、すべてをさらけ出していますか? 夫の胸の中で、過去や、つらかった 思い出を、すべて話すことができますか。 あるいは話していますか。 もしHEさんが、夫の前で、 仮面をかぶったり、いい妻を演じているなら、そうであってはいけないということだけを、よく覚 えておいてください。 (7)最後に……身体的な変調、つまりがんこな便秘については、ドクターに相談なさっておられ るようですから、そのドクターの指示に従うのが、よいか思われます。 しかし夜尿症が簡単にな おらないのと同じように、心因性の便秘も、簡単にはなおりません。 環境が大きく改善されて も、症状だけは、今、しばらくつづきます。 そこでつぎのことに注意してみてください。 下の子が生まれる前の状態に、生活習慣を、一度、もどしま す。 添い寝、いっしょに風呂に入る、手つなぎ、抱っこなど。 子どもが求めてきたら、こまめに、 そしてていねいに応じてあげるのが、コツです。 海産物、魚類が好ましいことは、言うまでもありませ ん。 もちろん便通によい食生活も、大切にします。 Ca、Mgは、天然の精神安定剤と思ってくだ さい。 あなたはあなたです。 居直りなさい。 そして先にも書いたように、心を解放しな さい。 あなたがまず、心を開いてみせるのです。 RT君は、あなたにつづいて、自分の心を解放 します。 とくにあなたの過 去について、です。 徹底した自己開示をしてみます。 そして悲しいことや、つらいことが頂点に 達したら、ワーッと泣けばよいのです。 泣いて、叫んで、怒鳴ればよいのです。 「チクショー、バ カヤロー!」とです。 こういう自己開示を。 カタルシスと言いますが、カタルシスをすると、そのあ と、心が安らぐはずです。 一度、試してみてください。 なぜなら、あなたの夫も、ひょっとしたら、 心のどこかでさみしい思いをしているかもしれないからです。 以上、ざっと考えてみました。 繰りかえしますが、もうすでにHEさん、あなたは自分の過去に 気づいています。 多分、若い方だと思いますが、その若さで、ここまで気づいておられるという ことだけでも、すばらしいことです。 だから自信をもって、前向きに進んでください。 トンネルの 出口はそぐそこですよ。 またRT君の便秘も、あなたが考えるほど深刻な問題ではありません。 むしろ心配するとすれ ば、RT君が、あなたの前で仮面をかぶっていることです。 こうした仮面は、扱い方をまちがえる と、心の遊離、さらには、さまざまな心の問題へと発展していきます。 くれぐれもご注意くださ い。 言うなれば、便秘は、その黄信号ということになりますね。 以上が、私のアドバイスです。 参考にしていただければ、うれしいです。 また何かあれば、ご 連絡ください。 これを心理学の世界では、「反動形成」という。 学校の教師を例にとって、考え てみる。 今でも、聖職者意識をもっている教師は多い。 そういう教師が、聖職者は、禁欲的でなければ ならないというイメージをもったとする。 するとその教師は、そのイメージに従って、徹底的に、 禁欲者であろうとする。 自らを、そうしむける。 そして結果として、生徒が「セックス」という言葉 を口にしただけで、それを露骨に嫌ったり、そういう会話をたしなめたりするようになる。 子どもでも、幼いときから、「あなたはお兄ちゃんだから……(お姉ちゃんだから……)」と言 われつづけると、本来の自分を押し殺して、別の子どもを演ずるようになることがある。 そして 「さすが、お兄ちゃんだね……(お姉ちゃんだね……)」とか、ほめられたりすると、さらに別の 自分を演ずるようになる。 もちろん本人には、演じているという意識はない。 もちろんすべての反動形成が悪いわけではない。 その反動形成が、よいほうに作用して、そ の人や子どもを伸ばすこともある。 たとえば何かの欲求不満をもっていて、その欲求不満を克 服するため、別の自分を演ずることがある。 つい先日までヘビースモーカーだった人が、自分 が禁煙したとたん、猛烈な嫌煙家になるなど。 そういうことはあるが、しかしどこか不自然にな ることは多い。 たとえばウーマンリブ闘争の闘士のような女性に、Z女史という人がいる。 マスコミにもよく顔 を出し、相手の男性に向かって、「それはセクハラだ! 謝れ!」とか、「女性蔑視発言だか ら、取り消せ!」などと言って騒いでいる。 一見、女性の代表のような顔をしているが、しかしあ のZ女史ほど、「女」を感じさせない女性はない。 動作やものの言い方まで、男性そのもの。 お そらく子どものときから、「女の子」に扱ってもらったことがないのだろう。 それから生まれる欲 求不満が、Z女史をして、今のZ女史にしたと考えられなくもない(失礼!)。 一方、子どもの世界でも、「ブリッ子」という、よく知られた言葉がある。 勉強もよくできる。 スポーツも万能。 その上、容姿もきれい。 そこで親や先生から、「あなたは すばらしい子」と、言われる。 で、このタイプの子どもは、そういう親や教師、さらには周囲の仲 間からの期待に答えようと、ますます拍車をかけて、よい子を演ずるようになる。 まだ小学生なのに、「地球の環境を守るのは大切なことです」「皆が、平和に暮らすことは大 切なことです」「弱い人を助けるのは、私たちすべての義務です」などと、言ったりする。 あるい はいじめの現場を目撃したりすると、いじめている子どもに向かって、「そういうことをして、恥 ずかしくないの!」と、まさに優等生ぶって見せる。 しかしこうした反動形成が問題になるのは、その底流に、抑圧された自己欺瞞(ぎまん)があ るということ。 はっきり言えば、エセ。 それだけではない。 本当の自分をどこか別のところに置 き、別の自分を演ずるというのは、それ自体、たいへん疲れることである。 その「疲れ」が、あ る一定の範囲内に収まっていれば問題はないが、その限界を超えたとき、この反動形成は、 一挙に崩壊する。 たとえば小学生の間は優等生だったが、中学生になったとたん、集団少年(少女)になるとい うケースは、よくある。 J君(中三男子)が、そうだった。 J君は小学六年生のときには、その学校の児童会長までした。 夏期合宿のときは、リーダー として、大活躍した。 しかし中学へ入ったとたん、そこでプツン。 夜な夜な、コンビニの前で、ほ かの仲間とたむろするようになってしまった。 やがてタバコを覚え、さらにシンナーまで覚えてし まった。 あとはお決まりの外泊と、家出。 親は「どうして?」と、深刻な表情で相談にきたが、こう いうケースは、決して珍しくない。 そこで子どものばあい、こんなことに注意したらよい。 子どものばあい、(心の状態)と、(外に現れる表情や様子)が、一致している子どもを、すな おな子どもという。 しかし何らかの理由で、それが一致しなくなることがある。 ここにあげたブリ ッ子も、その一つ。 子どもが、どこかで無理をしているなと感じたら、できるだけ早い時期に、そ ういう無理から解放してあげること。 早ければ早いほどよい。 いわんや、子どもを、「お兄ちゃん だから……(お姉ちゃんだから……)」と、安易な「ダカラ論」で、追いつめてはいけない。 子どもの世界でこわいのは、仮面と遊離。 これについては、また別のところで考えるが、要す るに、子どもは、子どもらしいのが一番。 そういう自然さを大切にする。 「この子は、よくできた 子だな」と思ったら、まず疑ってかかるのがよい。 【追記】 このエッセーを書いていて、私自身も、ここでいう「自己欺瞞」に気づいた。 私は考えてみれ ば、自己欺瞞だらけの人間である。 今、思い出した話に、こんなのがある。 私は子どものころ、台風が好きだった。 台風がやってくると聞いただけで、ワクワクした。 しか しそのことを、だれにも話せなかった。 子どもながらに、そういう自分はおかしいと思っていた。 で、子どもたちを教えるようになってからも、自分をだましつづけた。 とても子どもたちの前 で、「先生は、台風が好きだ」とは言えなかった。 しかし、だ。 台風が好きなのは、私だけではな いことを知った。 アメリカ人の友人が、ある日、私にこう言った。 「ヒロシ、台風がくると、楽しいね。 ぼくは台風 がやってくると、ベランダにイスを置いて、ものが飛んでいくのを見ている」と。 そのアメリカ人の 家は、高層マンションの八階にあった。 そのアメリカ人の話を聞いて、私は、「ナーンだ、そういうことだったのか」と思った。 そしてそ のときから、私は、子どもたちに向かって、正直に、「先生は、台風が好きだよ」と言うことがで きるようになった。 台風がやってくるたびに被害にあう人も多いので、こういった話は、軽々にはできない。 しか し「教師」という仕事には、こうした自己欺瞞が、好むと好まざるとにかかわらず、無数にからみ ついてくる。 自己欺瞞のかたまりと言ってもよい。 しかし、だ。 こういう自己欺瞞は、疲れる。 本 当に疲れる。 自己欺瞞だけならまだしも、反動形成をするうち、自分を見失ってしまうこともあ る。 だから私はあるときから、自分をだますことをやめた。 ありのままの自分を、できるだけ外 に出すようにした。 子どもたちと直接、接しているときは、とくにそうだ。 ……しかし、こうして考えてみると、人間だれしも、ありのまま生きるということは、むずかしい ことだとわかる。 みんな、それぞれの立場で、自分をごまかしながら生きている? それが悪い というのではないが、しかしこうしたごまかしは、できるだけ少ないほうがよい。 ごまかせばごま かすほど、自分を見失う。 時間をムダにする。 それが度を超すと、 自我そのものが分裂してしまう。 優等生を例にあげて考えてみる。 優等生と呼ばれる子どもは、一種独特のものの考え方をしているのがわかる。 主体的なフリ をしながら、どこにも主体性がない。 たとえばだれかが、教室のスミで、別のだれかをいじめていたとする。 それを見たとき優等生 は、自らの正義感で、そのいじめを止めるのではない。 まず頭の中で、模範解答を作り、その 模範解答に従って行動しようとする。 「こういうときは、止めなければいけない。 また止めるのが 正解」「止めなければ、あとで、先生に自分が責められる」「自分は、そういういじめを止めなけ ればならない義務がある」と。 つまり自分の意思ではない、別の自分に動かされて、そうする。 みなの期待に答えたい。 そうすればみなから、尊敬される、 と。 さらにたとえば進学を考えるときも、勉強したいからではなく、優等生として、それにふさわし いコースを自分で想定し、そのコースに自分を当てはめようとする。 いつも自分の意思というよ りは、そういう自分を上から見ているもう一人の、別の自分の意思に従って、自分の行動を決 めようとする。 「私にふさわしいのは、A大学のA学部。 そこへ入れば、親も喜ぶし、先生も納得 するだろう」と。 しかもそうした方向性をつくるのは、子ども 自身というよりも、親である。 ある子ども(男子高校生)は、こう言った。 「ぼくは、自分の子ども時代を振りかえってみたとき、自分がどこにもいなかったような気がす る。 食事にしても、食べたいから食べたのではなく、朝食時間や夕食時間になったから食べた だけ。 寝る時間も、そうだ。 幼稚園の先生に、きちんとあいさつをすると、先生や親は喜んだ が、ぼく自身は、自分がロボットだと感じたこともある。 塾へもいくつか通ったが、親が行けと言 ったから行っただけ。 そこでよい成績をとってくると、親は喜んだが、いつか、そうして親を喜ば すのが、ぼくの義務のようになってしまった。 また親が喜んでいる間だけ、自分は自分でいるこ とができた。 また自分の立場を守ることができた」と。 この子どもも、優等生だった。 親も、そう思い、喜んでいた。 しかし自分の中に、自分でない自 分をもつことは、たいへん危険なことでもある。 度を超すと、そのまま自我が分裂してしまう。 そ して自分でない自分に、自分が振り回されてしまう。 子どもによっては、ある日突然、自暴自棄 になって暴れたり、反対に、他人との交流ができなくなり、引きこもってしまったりするようにな る。 そこまで進むことはないにしても、たいていは、思春期を迎えるころから、自分自身と、自 分の中の自分でない自分との間で、はげしい葛藤(かっとう)を繰りかえすようになる。 そういう意味でも、幼児期において、「いい子」と呼ばれる子どもほど、警戒して観察してみる 必要がある。 そこであなたの子どものチェックテスト。 ここに書いたようなことで、いくつか思い 当たるような点があれば、あなたの子どもは、かなり無理をしている子どもということになる。 (1)うちの子は、優等生で、よくできた子と思うことが多い。 ものの道理をよくわきまえている し、しっかりしている。 どこへ出しても、恥ずかしくない。 (2)幼稚園の先生や小学校の先生にも、よくほめられる。 いろいろな仕事を与えられ、それを ソツなくこなしているようだ。 ほかの父母にもほめられることが多い。 (3)概して、親に従順で、たいていは親の決めた設計図や、スケジュールに従って行動してく れる。 今のところ、順調にコースに乗っているようだ。 (4)ときどき、「アレッ!」と思うようなアンバランスなところがあるにはある。 一〇〇点をとった 答案用紙の裏に、むごたらしい悪魔の絵を描いたりするなど。 (5)ときどき何を考えているかわからないときがある。 喜怒哀楽の感情を押し殺してしまうよう なところがある。 親の前でも、静か。 親に従順で、あまり反抗しない。 これは補足の補足ということになるが、この話を、ある懇談会でしたら、ひとりの母親がこう言 った。 「私が、その優等生でした。 今も、その後遺症に苦しんでします」と。 そういうケースも、少 なくない。 私は、こ れを勝手に「反動感情」と呼んでいる。 心理学の世界に、「反動形成」という言葉がある。 反動 形成というのは、自分の心を抑圧すると、その反動から、正反対の自分を演ずるようになるこ とをいう。 たとえば性的興味を押し殺したような人は、他方で、人前では、まったく性には関心がないよう に振るまうことがある。 性に対して、ある種の罪悪感をもった人が、そうなりやすい。 ほかに、た とえば神経質な人が、外の世界では、おおらかな人間のフリをするのも、それ。 その反動形成 に似ているから、「反動感情」とした。 ……余計なことだが。 それはとても重要なことだ。 しかし年齢とともに、それ がたいへん煩わしくなる。 そのように考える私は、それでよいのか。 それはまちがっているのか。 以前、エイズに感染し、余命がそれほどないという若者の手記を読んだことがある。 アメリカ 人の若者が書いた手記だった。 その中で、その若者は、こう書いている。 「つまらない人間と、 つまらない会話をするような時間は、ぼくにはない」と。 私は、以前は、いくつかの私塾連の連盟に属し、そういう人たちとの会合に顔を出していた。 しかし五〇歳を過ぎることから、それがいやになった。 中には、「おまえは、知識をひけらかす バカだ」と私に言う男さえいた。 オメデタイというか、そんな男に、知識をひけらかしても、しかた ないと思うのだが……。 だから、G団体を最後に、先日、私は、そういう人たちとのつきあいを、清算することにした。 中には、一人、二人、すばらしい人もいたが、イギリスの格言にもあるように、同時に二人によ い顔はできない。 個人的にはつきあいたいが、そうはいかないだろう。 で、これからはどうするか? 人間関係には、総量がある。 一〇人の人と、一〇ずつの人間関係をもてば、総量は一〇〇 になる。 それを一〇〇人の人に広めれば、一人、一ずつになる。 一〇〇人の人と、一〇ずつ の人間関係をもつのは、不可能。 時間とエネルギーの問題が、それにからんでくる。 そこで今度は反対に、五人の人とつきあえば、一人、二〇ずつの関係になる。 つまりその 分、濃密になる。 私がこれから先、すべきことは、そういう濃密な人間関係を大切にすること だ。 ……と書いて、「?」と思った。 実は、それだけではない、と。 仕事上のつきあいとか、営業上のつきあいというのは別にして、自分をごまかして生きるのも 疲れる。 もっとも今までは、「適当につきあっておけばよい」とか、「またそのうち、何かのことで 役にあることもあるだろう」とか考えて、つきあってきた。 が、このところ、そういう自分自身のズ ルさが、つくづく、いやになった。 先の私塾連の人たちについても、どこかそういうズルいつきあいを、私はしてきた。 今まで は、それでよかったのかもしれないが、もしそういうエネルギーがあるなら、もっとほかのことで 使いたい。 で、清算することにした。 そして、その結果だが、胸の中が、清々した。 何というか、背中にリ ュックサックを背負って、野原を歩き出したような気分である。 どうせ私はひとり。 生まれて死ぬ のも、ひとり。 たった一度しかない人生だから、私は私の人生を、生きる。 ……とまあ、かっこうのよいことを言っているが、本当のところは、よくわからない。 ただこうい うことは言える。 私はもっと、自分を大切にしたい。 もっと時間を大切にしたい。 今日も、仕事に出かけるとき、ふと見ると、近くの空き地に、五、六人の老人たちが、集まっ て、何やら話しあっていた。 男性が四人、女性が二人。 男性たちはイスに座っていた。 ほとんど 毎日、一日中、そこにいる。 「どうしてああまで、時間をムダにすることができるのだろう?」と、私は思った。 「若い人ならと もかく、もう残された時間は、少ないのに……」と。 そう考える私は、正しいのだろうか。 それともまちがっているのだろうか。 この結論は、もう少し 先に出すことにする。 (030827) ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 子育て随筆byはやし浩司(106) ガブリエル・フォーレ 学生時代は、一応、合唱団にもいた。 中学、高校は、一応、コーラス部にいた。 若いころは、 合唱が好きだった。 で、メサイアは、ヘンデルも、バッハも歌った。 しかし、ガブリエル・フォーレは、知らなかった。 オーストラリアの友人のE君が、そのフォーレのメサイアのCDを送ってくれた。 手紙は入って いなかったが、CDをかけると、その理由はすぐわかった。 私は、これほどまでにすばらしい、「癒(いや)しの音楽」に出会ったことがない。 ……正直に 告白するが、知らなかった。 何という不覚! 人生、五五年にして、フォーレに出会うとは! 聞けば聞くほど、心が休まる。 落ちつく。 洗われる。 が、それだけではなかった。 フォーレの音 楽を聞きながら、同時に、私は、私にはまだ知らないことが、山ほどあることを思い知らされ た。 一〇ほど前までは、コンピュータ音楽に興味をもち、機器も一そろい、そろえた。 もちろん作 曲もした。 だから作曲者の、そのときの心情が、少しは理解できる。 つまりフォーレは、まさに 神々の心境で、このメサイアを作曲したにちがいない。 また、そういう心境でないと、こういう曲 は生まれない。 それにもう一つ、重要なことを発見した。 自分の世界をつくりあげることは、大切なことだが、 同時に、見知らぬ未知の世界にも、飛びこんでいくことも、大切なことだ、と。 私はメサイアとい えば、ヘンデルのメサイアが最高だと、思いこんでいた。 E君がいつか、「フォーレはすばらし い」と言ったときも、「何、言ってるんだ」と思ってしまった。 もちろんヘンデルのメサイアはすばらしい。 今でも全曲、バリトン部だけなら、ほとんどソラで 歌える。 しかしそのとき、「ほかのメサイアは、つまらない」と結論づけてしまうのは、まちがって いる。 それを思い知らされた。 日本ではあまり知られていない作曲家だが、(知らなかったのは、私だけ……?) もしどこ かでガブリエル・フォーレのメサイアを聞く機会があったら、ぜひ聞いてみてほしい。 とくに、心 が疲れているときには、よい。 すばらしい。 本当に、心が洗われる。 (030827) ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 子育て随筆byはやし浩司(107) 宇宙人 月に興味をもち、あれこれ自分でも調べてみた。 その結果だが、出てくるわ、出てくるわ… …! 今ではインターネットを介して、その種の情報は、居ながらにして、手に入る。 で、私は驚いた。 本当に、驚いた。 火星にも、水星にも、金星にも、そしてそれらを回る衛星 にも、人工的な基地だらけ。 わかりやすく言えば、宇宙人の基地だらけ。 月にいたっては、まさ に地球上の都市なみ! いつか、月の裏側をアポロで回った宇宙飛行士が、「ラッシュアワー のときのように、UFOが飛びかっている」と言ったというような話を聞いたことがある。 「まさ か?」と、そのときは、そう思った。 しかし、そうであっても、まったくおかしくない。 こうした情報をアメリカのNASAはもっているというが、外に出てくるのは、ほんの一部。 その 一部に修正ミスがあったりして、私たちが知るところとなる? 「何をアホなことを!」と思っている人は、ホームページのアドレスをここ紹介しておくので、一 度、のぞいてみるとよい。 そして自分で確かめてみるとよい。 私も最初は、半信半疑だったが、 これだけ証拠(?)を並べられると、「ひょっとしたら……」と思うようになってしまった。 実のところ、私とワイフは、真夜中に巨大なUFOを目撃している。 それ以来、それを信ずると か信じないとかいうレベルを超えてしまった。 「あの夜、私たちが見たものは何だったのか」と。 そればかりを考えてきた。 が、そんな疑問など、吹き飛んでしまった。 繰りかえすが、この太陽 系は、宇宙人の基地だらけ! (あくまでも、そうした写真の内容を信ずるなら、という条件つき だが……。 ) しかしこうまで太陽系に、宇宙人の基地があるとすると、この地球にはないというほうが、無 理ということになる。 そして、私たち人間が、そうした宇宙人と無縁と言うほうが、おかしいという ことになる。 ……というのは、やはりロマンということにしておく。 もっとも私のばあい、そのときは信じて も、それから離れたとたん、それを忘れてしまう。 そういう便利な脳の構造をしている。 そういう意味では、めったにハマらない。 キリスト教の聖書を読んでいるときは、結構、クリス チャンのような気分になる。 しかしそのあとすぐに、仏教の経典を読んでも、まったく違和感なく 読むことができる。 今回も、インターネットをのぞいているときは、「ホホー」とか、「ゲーッ」とか、そのつど変に感 心して見ていたが、離れたとたん、「ロマン、ロマン」と割り切ることができる。 ++++++++++++++++++ いつか書いたUFOの目撃談のエッセーを ここに転載しておきます。 これは中日新聞 で発表したものです。 巨大なUFO、だ。 ハバが一、二キロはあった。 しかも私と女房の二人で、 それを見た。 見たことはまちがいないのだが、何しろ二五年近くも前のことで、「ひょっとしたら ……」という迷いはある。 が、その後、何回となく女房と確かめあったが、いつも結論は同じ。 「まちがいなく、あれはUFOだった」。 その夜、私たちは、いつものようにアパートの近くを散歩していた。 時刻は真夜中の一二時を 過ぎていた。 そのときだ。 何の気なしに空を見あげると、淡いだいだい色の丸いものが、並ん で飛んでいるのがわかった。 私は最初、それをヨタカか何かの鳥が並んで飛んでいるのだと思 った。 そう思って、その数をゆっくりと数えはじめた。 あとで聞くと女房も同じことをしていたとい う。 が、それを五、六個まで数えたとき、私は背筋が凍りつくのを覚えた。 その丸いものを囲むように、夜空よりさらに黒い、「く」の字型の物体がそこに現れたからだ。 私がヨタカだと思ったのは、その物体の窓らしきものだった。 「ああ」と声を出すと、その物体は 突然速度をあげ、反対の方向に、音もなく飛び去っていった。 翌朝一番に浜松の航空自衛隊に電話をした。 その物体が基地のほうから飛んできたから だ。 が、どの部署に電話をかけても、「そういう報告はありません」と。 もちろん私もそれがUFO とは思っていなかった。 私の知っていたUFOは、いわゆるアダムスキー型のもので、UFOに、 まさかそれほどまでに巨大なものがあるとは思ってもみなかった。 が、このことを矢追純一氏(現在、UFO研究家)に話すと、矢追氏は袋いっぱいのUFOの写真 を届けてくれた。 当時私はアルバイトで、日本テレビの「11PM」という番組の企画を手伝って いた。 矢追氏はその番組のディレクターをしていた。 あのユリ・ゲラーを日本へ連れてきた人で もある。 私と女房は、その中の一枚の写真に釘づけになった。 私たちが見たのと、まったく同じ 形のUFOがあったからだ。 宇宙人がいるかいないかということになれば、私はいると思う。 人間だけが宇宙の生物と考 えるのは、人間だけが地球上の生物と考えるくらい、おかしなことだ。 そしてその宇宙人(多 分、そうなのだろうが……)が、UFOに乗って地球へやってきても、おかしくはない。 もしあの夜見たものが、目の錯覚だとか、飛行機の見まちがいだとか言う人がいたら、私は その人と闘う。 闘っても意味がないが、闘う。 私はウソを書いてまで、このコラムを汚したくない し、第一ウソということになれば、私は女房の信頼を失うことになる。 ……とまあ、教育コラムの中で、とんでもないことを書いてしまった。 この話をすると、「君は 教育評論家を名乗っているのだから、そういう話はしないほうがよい。 君の資質が疑われる」と 言う人もいる。 しかし私はそういうふうにワクで判断されるのが、好きではない。 文を書くといっても、教育評論だけではない。 小説もエッセーも実用書も書く。 ノンフィクションも 得意な分野だ。 東洋医学に関する本も三冊書いたし、宗教論に関する本も五冊書いた。 うち 四冊は中国語にも翻訳されている。 そんなわけで私は、いつも「教育」というカベを超えた教育 論を考えている。 たとえばこの世界では、UFOについて語るのはタブーになっている。 だからこ そあえて、私はそれについて書いてみた。 (030827) 【追記】この記事を発表したあと、「同じものを見た」という人が、二人現れた。 今でもときどき、 たがいに連絡を取りあっている。 ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 子育て随筆byはやし浩司(108) 【今週の教室から……】 今週は、知恵テストをした。 私立小学校の入試問題を、使った。 以前、私はこの種の教材制 作を頼まれたことがある。 そのときの資料が、今でも、山のようにある。 (ホント!) 過去三〇年間で、一度だけ採点をし、その結果をグラフ表示したことがある。 私は(ていねい なサービス)と考えて、それをした。 しかし、その結果、母親たちは、パニック状態になってしま った。 それまでなごやかだった教室の雰囲気は、一変した。 順位が上のほうの子どもの親は、それ なりに満足したが、下のほうの子どもの親は、そうでなかった。 中には、採点に納得できないと か、まちがえたところを補うためには、どうしたらよいかと相談してくる親もいた。 で、採点し、グラフ表視したのは、その年、一回だけ。 今年も、テストをしながら、一枚ごとに 子どもに説明し、それで終わった。 全員、花丸。 「よくがんばったね」と、ほめて仕上げた。 私の目的は、子どもたちに、学ぶ楽しさを教えること。 味あわせること。 そういう楽しい思い出 が、子どもを前向きに、伸ばしていく。 採点して、順位をつけるなどということは、邪道の邪道。 ……と思うというより、あんな経験は、もうこりごり。 それだけ関心が高いということ。 当然だ。 人間が、生きている目 的の一つが、「愛」である。 人恋しい季節。 たとえ結婚していても、人を恋すること、人を愛することを、ためらってはいけ ない。 それが不倫であるとか、不道徳であるとか、夫や妻に対する背信であるとか、そんなふう に、自分を責めてはいけない。 愛は、もっと自然なもの。 青い空を白い雲が漂うように、あなたの心も自然に任せたらよい。 それが生きるということ。 それが、あなたがあなたであるということ。 しかしここで大切なことは、そういった感情を相手に伝えてはいけないということ。 いくらあな たが相手を愛しても、その心は、あなたの心の奥深くに秘めておく。 それはあなた自身のため でもあるが、同時に、あなたの夫や妻のため。 そして愛する相手のためでもある。 あなたがなすべきことは、ただ一つ。 相手の幸福を、乱さない。 相手の幸福を、静かに見守 る。 その一語につきる。 自己犠牲を伴わない愛は、そもそも愛ではない。 しかし……。 恋は切ない。 愛はもっと切ない。 その切なさを感じながら、生きるのも、これまた 人生。 その切なさを、チビリチビリと味わいながら生きていくのも、そんなに悪いものではない。 できれば、明るい日差しがさんさんと輝く太陽のもと。 男も女も、素っ裸で、好き勝手なことが できればよい。 しかしそれには、同時に、あなたの夫や妻にも、それを許すという前提がなけ ればならない。 あなただけが、好き勝手なことをし、夫や妻には、それを許さないというのであ れば、それこそそれは、身勝手な愛ということになる。 夫でありながら、妻でありながら、人知れず、愛に苦しんでいる人は多い。 そういう人たちの 参考になればと思い、世界の賢者の言葉を訳してみた。 " - Al Bundy ペギー「私を愛していると、言ってちょうだい」 アル「フォットボールを愛している。 ビールを愛している。 You learn to love by loving. - Aldous Huxley 愛に公式はないよ。 人を愛しながら、愛を学ぶよ。 Once it is gone it has flown away it is nearly impossible to recapture it. - Anonymous 真の愛は、チョウのようなもの。 一度飛び去ると、それを再び捕らえるのは、ほとんど、不可 能。 - Anonymous 世界に対しては、あなたは一人の人間かもしれない。 しかし一人の人に対しては、あなたはま さに世界かもしれない。 If it comes back, great. If not, it's probably having dinner with someone more attractive than you - Bill Grieser あなたが何かを愛するなら、あるがままにしておけ。 それがもどってくるなら、すばらしいこと だ。 もどってこないなら、あなたよりすばらしいだれかと、夕食をともにしたらよい。 - Black Flag あなたが銃をもっているとき、だれが、愛を必要とするか。 " - Bob Dylan 私は愛で傷ついた若者を知っている。 また私は、恨みで傷ついた若者も知っている。 All my dreams have only caused me pain. All my life I've always been so blue. Born to lose and now I'm losing you - Bouncing Souls なくすために生まれた……私はすべての人生を、ムダに過ごした。 すべての夢は、私に苦痛を もたらした。 人生、すべてブルーだった。 私はなくすために生まれた。 そう、今、私はあなたをな くしつつある。 - Charles Caleb Colton 友情は、しばしば愛で終わる。 しかし愛は、決して友情で終わらない。 - Charles Dickens あなたが心を開いた人に対して、決して唇を閉じてはいけない。 Many people call it love. - Edvard Munch 男と女の間で、戦闘がつづく。 多くの人は、それを愛と呼ぶ。 - Greg Jurkiewicz, "The Neo-Reconstructionist Manifesto" 愛のない人生は、意味がない。 愛のない善は、不可能。 - Henry Wadsworth Longfellow ムダな愛を説くな。 愛は決してムダにはならない。 - Inb Abbad 私の夜は、あなたのおかげで、太陽が輝く夜明けになる。 What does that mean? It means I review my future and my past in the light of this feeling. It is as though I wrote in a foreign language that I am suddenly able to read. Wordlessly, she explains me to myself. Like a genius, she is ignorant of what she does. - Jeanette Winterson, "The Passion" 私は彼女を愛しているという。 それが何の意味があるのか。 それはこの感覚の中で、私の未 来と過去をもう一度、見ることを意味する、それは私が突然読むことができるようになった、外 国語を私が書くようなもの。 言葉なしで、彼女は、私自身に説明する。 天才のように、彼女は、 彼女のすることに気づかない。 Love is good sense. - Ken Kesey 人々は、愛は感情だという。 愛は、よいセンス。 - Khalil Gibran, "The Prophet" 別れのときまで、愛はその深さを知らないということは、よく知られたことである。 - Mary Baker Eddy どんな簡単な言葉でも、心が話すとき、その言葉は、心をもった人に、受け入れられる。 - Mother Teresa だれもすばらしいことはできない。 ただ偉大な愛をもって、小さなことをするだけ。 " - Mother Theresa 私はパラドックスを発見した。 つまりあなたが、あなたを痛めるまで人を愛したなら、もう痛みは ない。 それ以上の愛があるだけ。 - Nathaniel Branden 愛をもった女性は、一人の男のために、何でもする。 ただ、彼を高めようとすることだけは、し ない。 - Ninon De L'Enclos 1616-1706 愛の算術においては、1たす1は、すべてに等しい。 そして2ひく1は、何もない。 A life without it is like a sunless garden where the flowers are dead. - Oscar Wilde 心に愛を保て。 愛のない人生は、日光のない庭のようなもの。 花は死んでいる。 - Oscar Wilde, "An Ideal Husband" 自分を愛するということは、生涯つづく愛だ。 - Ovid 愛するということは、愛くるしいということ。 - Plato 愛に触れると、だれしも、詩人になる。 - Robert Frost 愛というのは、抵抗できないまま、求められる、抵抗できない要求。 - Sir James M. Barrie 愛があれば、ほかに必要なものはない。 もし愛がなければ、ほかにいくら多くあなたがもってい ても、意味がない。 - Unknown だれかに会うには、一分しか、かからない。 好きになるのには、一時間。 愛するには、一日。 し かしその人を忘れるのには、一生かかる。 So when you're lonely remember it's true: somebody somewhere is thinking of you. - Unknown あなたのほほえみを夢見るだれかがいる。 そしてあなたを前にすると、その人生が意味をも つ、人がいる。 それであなたが孤独だと感じたら、このことが本当だということを思い出せ。 誰 かが、どこかで、あなたのことを思っている。 The aspect of it may change, but the essence remains the same. - Vincent Van Gogh 愛は永遠。 その様子は変わるかもしれないが、その枢要な部分は、同じ。 I want to love first, and live incidentally. " - Zelda Fitzgerald 私はただ生きるというのはいやだ、。 まず、人を愛したい。 その結果として、生きたい。 愛というのは、外に向って、同じ方向を見る ことである。 - W. Hate class. +++++++++++++++ 【追記】 同じ「愛」でも、こんな調査結果がある。 東京都における調査では、高校三年生の性体験の 比率は、女子で、一九九〇年の17%から、二〇〇二年に46%、男子も22%から37%に急 増しているという(産婦人科医・家坂清子氏調査・読売新聞03・8・27)。 わかりやすく言えば、女子の約半数は、高校三年生までに、性体験をすますということ。 男子 も、それを追いかけているということ。 そしてこれは非公式の調査だが、こうした女子高校生のうち、多くは、不特定多数の男性と、 繰り返しセックスをしているという。 中には、一年で、数十人の男性とセックスをしている女子高 校生もいるという(週刊誌)。 一方、これまたおかしなことだが、結婚してすぐから、セックレス夫婦になるケースも多いとい う。 たまたま今朝の読売新聞(八月二八日)の朝刊の人生相談コーナーには、こんなのがあっ た。 「結婚してから、ほとんどセックスがない。 共働きだから、疲れているせいかもしれない。 私は 子どもがほしいが、夫が、応じてくれない。 しかし友だちのような、仲のよい夫婦です」と。 ワイフは、これを読んで、「へえ、セックスなしの夫婦もいるのね」と驚いていた。 私の考えでは、つまり自分自身の体験を織りまぜるなら、「愛」と「セックス」は、分けて考えた ほうがよいのではないかということ。 愛は、心の問題だし、セックスは、体(本能)の問題。 これ を同一レベルで考えるから、話がおかしくなる。 愛は愛として考え、セックスはセックスとして、合理的に考える。 ほかの男性や女性とセックス をしたから、愛が影響を受けるというものではないし、しないからといって、これまた愛が影響を 受けるというものではない。 私のワイフなんか、若いとき、その気がないときは、私に、「ベタベタ、うるさいわねえ。 あん た、ストリップでも見てきたら!」と言って、私を、よく家から追い出したものだ。 そういう考え方 も、ある。 ……といっても、私のばあい、こうした意識改革をするのは、二〇年、遅かった。 今さら、こと 私に関して言うなら、意識改革しても遅いということ。 愛とセックスを分けて考える必要は、もう ない。 だいたいにおいて、体がついてこない。 しかし若い人は、もう少し合理的に考えてよいのではないか。 グループセックス、よし。 スワッ ピングパーテー、よし。 今はやりの、ハプニングバーで遊ぶのも、よし。 私の考えでは、セックスを、スポーツのように楽しむ時代は、もうすぐそこまできているように 思う。 もちろん、そういう流れに対して、道徳面や倫理面で、反発する人もいる。 しかし人は、そ れぞれ。 夫婦も、それぞれ。 愛に形はない。 同じように、セックスにも形はない。 夫婦について 言えば、たがいに納得し、同意すれば、何をしてもかまわないのではないか……? ただ高校生のセックスについて言えば、エイズ感染や性病の問題がからんでくる。 妊娠、中 絶の問題もある。 さらに早期に性体験をすると、子宮ガンになりやすいというデータもあるとい う(同、家坂氏)。 テニスやスキーのようなスポーツと同じように考えるわけには、いかない。 まあ、親として、あなたに息子や娘がいるなら、「うちの子はだいじょうぶ」とか、「うちの子は 関係ない」と思っているとしたら、とんでもないまちがいだということ。 それだけは覚悟しておい たほうがよい。 この割合で増えていくと、あなたの子どもが高校生になるころには、七〇〜八 〇%の子ども(女子)が、性体験をするようになる。 偶然か、ある事情で、私は、その女性と話をしたことがある。 その女 性は、実にあっけらかんとしていて、「そうです」と言って笑っていた。 あまりにもあっけらかんと していたので、あれこれ聞く前に、私も笑ってしまった。 ただ、その女性は、私のタイプではなか ったので、嫉妬はしなかった。 もしその女性が、私のタイプだったら、心底、「チクショー」と思っ たかもしれない。 TIMEは、「What's right with Japan? (何が、日本で正しいのか)」と題して、日本特集を組んでいた。 つまり、「まだまだ日本の実力 は、捨てたものではない!」と。 そのTIMEを読む。 「日本は長くて、暗い不況の時代に入っていると言われているが、その一方で、数多くの面 で、めざましく世界をリードしている。 ダイハツのクーペ。 ムラカミのルイ・ビトン。 そしてマリナーズのイチロー」と。 そして何と、一六ページにもわたって、日本の「実力」を紹介している。 順に並べてみる。 若者の、ファッションの分野 小型化から大型化、ドコモの腕時計型電話 禅などの独特な文化 破壊と創造の国 アニメ産業 超高級産業(ゴルフ用具や和牛) 電子機器産業 芸術産業 モダンな住宅産業 そして「未来のランド」と称して、いくつかのハイテク商品を紹介している。 スケルトンのバン(ホンダ) 折りたたみ式のソファ 超薄型の携帯電話 電子バイオリン 透明の盾 デジタルカメラなど。 アメリカやオーストラリアのホテルに泊まってみるとわかるが、彼らの国には、何もない。 冷蔵 庫は、オランダ製、電話は台湾製、テレビは日本製。 かろうじてある、戸棚にしても、とても世 界へ輸出できるようなモノではない。 アメリカについて言えば、電子産業と軍需産業、それに航空産業(プラス映画産業)をのぞい たら、何も残らない。 経済構造は、ブラジルと同じ、農業国。 オーストラリアともなると、さらにひ どい。 日本の経済は悪い、悪いと言われているが、「まだまだ捨てたものではない」ということに なる。 さあ、私もがんばるか! みんな、がんばっているぞ! グチグチ言っていても、始まらないし……! I thank you very much for your kindness to have sent me the magazine, which has encouraged me very much. What is right with Japan? Whatever it is, I have no choice but to love this country. Hiroshi (030828) ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 子育て随筆byはやし浩司(111) 逆転 若いころ、東大のT教授の研究室に遊びにいったときのこと。 私が、「これからの研究で、ど んな分野が成長株ですか」と聞くと、T教授は、こう話してくれた。 「遺伝子工学かな……」と。 「コンピュータはどうですか?」と聞くと、「これからでは、もう遅いでしょう」と。 私が二五歳。 今か らちょうど、三〇年前のことである。 当時T教授は、光合成の研究をしていた。 触媒を使って、水を酸素と水素に分離できれば、 無尽蔵のエネルギーを、人間は、手にすることができる、と。 で、それからしばらくして、また遊びに行くと、こんなことを言った。 「遺伝子工学が、ここまで 発達するとは、思ってもみなかった……」と。 負けず嫌いのT教授が、ふともらした弱音である。 そのころT教授の研究は、私が感じたところ、大きなデッドロックにのりあげていたように思 う。 (私が勝手に、そう思っただけだが……。 )T教授はその後、東大の総長特別補佐(副総 長)や、国際触媒学会の会長などを歴任している。 が、最近、その「触媒」が、急速にクローズアップされてきている。 マスコミでも騒がれている。 産業への応用も広がり、今まで予想もしなかった分野でも使われ始めた。 私はこの分野は、ま ったくの門外漢だが、「ひょっとしたら遺伝子工学に匹敵(ひってき)するほどの分野ではない か」と、思い始めている。 昨年(02)、その触媒学会が、このH市で行われた。 全国から数百人もの研究者が訪れたと いう。 そのほとんどが、T教授の息のかかった弟子たちだという。 T教授自身も、数年前、日本 学士院賞を受賞している。 その学会のあいまをぬって、T教授は、私の山荘へ遊びにきてくれた。 夜中になって、T教授 をホテルへ送っていくとき、私が、「触媒が、にわかに騒々しくなりましたね」と言うと、T教授 は、うれしそうに笑った。 こういうのを「逆転」というのか。 T教授のような先駆者がいたおかげで、日本の触媒学は、今、 世界を一歩リードしている。 戦後、基礎科学の分野で、日本がはじめて世界をリードできた分 野といってもよい。 メルボルン大学で、T教授にはじめて会ったとき、T教授は、毎日黙々と、大学の研究室に通 っていた。 あのときのT教授の頭脳が、今、世界で光り輝きはじめている。 それを思うと、何か しら不思議な感じになる。 口の悪いことだけは、天下一品で、会うたびに、私はT教授にこきおろされる。 が、私は、生涯 において、T教授と知りあいになれたことを、誇りに思っている。 教授は、まさに研究の分野で は、神の領域に入った人である。 今夜、T教授に、メールを送ろう。 このエッセーを添えて……。 (030828) 【追伸】 このエッセーを送ったら、T先生こと、田丸先生より、原稿が送られてきました。 少しむずかしい ですが、世界でも超一級の論文ですから、先生の許可をもらい、ここに紹介します。 ++++++++++++++++++++++ 【参考】 太陽エネルギーを用いる水からの水素製造 堂免一成 田丸謙二 化石資源の消費、枯渇からもたらされるエネルギー問題と二酸化炭素発生などによる地球環 境問題は、我々が直面する深刻な課題である。これらの問題は、放っておけばいつか解決す るという類のものではない。 我々の生活に直結しており、我々自身で積極的に取りくんでいか ねば決して解決しない問題である。 この問題の本質は、現代の人類の生活が多量のエネルギ ーを消費する事によって維持されているという点である。

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ええいああケツからごぼう巻き

ええいああしりからモダン焼き

12月になりました。 左写真は先週末に撮った横浜は日本大通りのイチョウ並木の様子。 今年は11月中に積雪があったりしたんで、既にかなり冬の気配ですな。 ハードめに散歩するには良い気候です。 そして、最近は「インスタント減量作戦」のために上記散歩に加えて市民プールで泳ぐことが多いわけですが、 そこで感じる不可解現象がありまして・・・ この手のプールって、泳ぐ方向が決まっている場合が多いです。 そりゃそうですよね、たくさんの人が泳ぐんだから。 そこで感じるのが、「皆が泳ぐ方向に沿って水流が発生しているみたい」ということです。 そこに違和感があるわけです。 なぜかというと、 泳いでいる人は水を掻いて進むわけだから、その人が進んだ量に応じた水が、 その人の進んだ方向とは反対に発生(反作用)するはずですよね? だから、「皆が泳ぐ方向と反対に水流が発生する」のが自然じゃないかと。 あるいは、掻くことによって水を後方に押しはするものの、抵抗を受けて水を前方に押す力も発生するため、 相殺されて泳ぐこと自体の水流への収支はゼロ。 ただしターンの際は壁を蹴って進むから水を押す力のみがプラスされ、結果的に泳ぐ方向に水流が発生、ということ? ググってみたけど明確な回答を見つけることはできませんでした。 師範の勘違いなのかなぁ? どなたか理論的な解説をご存じな方はおられませんかね? どーでも良いことですが、気になってワインが喉を通りません(嘘) ・・・というわけで、昼食後は散歩に出ました。 向かった先は、師範代実家から距離にして10km程度のところにある 御手洗の滝。 「おてあらいのたき」じゃなくて「おちょうずのたき」と読むようです。 こんな冬空に滝を見に来る人なんてほとんどいなくて、マイナスイオンを一人で浴び放題でした。 ちなみに左写真はスマートフォンで撮ったものです。 新しく買ったカメラとレンズを持参はしていたんだけど、痛恨の"No Card"。 一眼だとNDフィルタが必要になりそうな画像です。 歩いた時間は3時間半程度、歩数にして25,000歩程度。 カロリー的には焼け石に水だとは思うけど、焼石だって水をかけなきゃ熱いまんまだからね。 ワインも、用意して頂いた中から2本目をチョイスして、本日はポムロールの赤。 裏ラベルによれば、有名なワイン漫画の作者の方がプロぢゅーすに関わっているそう。 漫画は全然読まんのですが、いろいろ考えますね、ボルドーの生産者も。 色は、ボルドーらしい青みの強い紫色。 2011年産でそれなりにお年を召しているんだけど、見た感じにそういう雰囲気はありません。 香りは激しくナイスです。 凝縮感のある果実香に加えて、いかにもモダン・ボルドーといった香ばしい樽香があります。 飲まない師範代に嗅がせても『コレは高いワインの香りがする』らしいです。 「ウケるワイン」を狙って造られたんたと思うけど、その戦略に師範ごときはまんまとハマっちゃって「これ激しく美味いじゃん」です。 頂きモノながら、本年最後のワインがアタリで大変ナイス。 来年も安くて美味しいワインに沢山遭遇したいものであります。 点数 85点 フライトは14:05羽田発福岡行ANA257便。 昼過ぎの便ということで昼食は羽田空港で。 以前は空港で何かを食べようとすると、寿司だろうがうどんだろうが等しく一人1,000円以上かかってしまう感じだったけど、 空港もデフレの波から逃げきれないのか安価なチェーン店がいくつか進出しております。 そこで師範家のチョイスは 丸亀製麺 羽田空港第二ターミナル店。 そういえば夏にダナンへ旅行にも丸亀製麺だったな。 師範の注文は、一番ベーシックな かけうどん 並 と かしわ天、合計のお値段は390円也。 安く食べられるのは素晴らしいことです。 ただ、ここのお店は普通のロードサイトの丸亀製麺と異なり、 麺を店内で打ってはいないようです。 その分若干ポイント・ダウン。 スペース的な制約があるんだとは思うけど、そういう例外を認めるのはどうなんだろうね? さすがに天ぷらは店内で揚げているようで、かしわ天は安定の美味さでしたが。 フライトは定刻より5分遅れとのアナウンス。 真面目だよね、日本人。 5分なんて遅れのうちには入らないだろうにね。 本日は快晴の天気、左写真は飛び立って間もない頃、旋回中の東京上空。 この日は富士山がキレイに見えたらしいんだけど、あいにく師範の座席は反対側 K列 でした。 お疲れさまでした。 誰も飲まない師範代実家ですが、ビールはデフォルトで用意して頂いており、 まずはヱビスの大瓶で喉を潤します。 更に、例によって師範のためにワインを用意して頂いております。 今回4本用意して頂いた中から、最初に選んだのがコレ、 知らない造り手のクリュ・ボージョレのサンタムール。 料理は師範代父に用意して頂いた、馬刺しとか鶏の唐揚げとか茶碗蒸しとかサラダとかです。 色は、ボージョレらしく青みの強い紫色。 同じブルゴーニュに分類されますが、色はピノ・ノワールとは全然違いますね。 香りはかなり弱め。 グラスに鼻を近づけてもスワリングしてもほとんど香って来ません。 それでも口に含むとそれなりに香りはあって、 ガメイらしいスミレ系の花の香りに、鉄サビっぽい雰囲気とかを感じます。 味は「甘酸っぱ渋い」、その一言に尽きます。 渋味も含めて初恋の味ですな、"Saint-Amour"ですから。 このワイン、ゆっくり飲めば結構しみじみと美味いワインだとは思うけど、一般ウケは難しいような気がするんだよなぁ。 やっぱりボージョレってのは本来気難しいワインだな、という認識を新たにしました。 なのにボージョレって、華やかメルヘンなラベルがあてがわれていることが多いんで、 そのギャップが気になるところではあります。 点数 72点 29日 木 11月末に思い立って「インスタント減量作戦」、一応本日にて完了。 結果は左のグラフです。 目標は「安定的に60kgを切ること」だったんだけど、概ね達成できたと見て良いでしょう。 パチパチパチ。 何をして減量したかというと、週に2~4回、近所の市民プールで1時間弱ガッチリ泳ぐこと、それだけ。 カロリー摂取側は変えずに、消費側を増やす、そして出来るだけ代謝を上げる作戦と採りました。 泳いだ回数は17回。 カロリー計算的にはこれぐらい体重が落ちて順当です。 とはいえこれからの年末年始、鯨飲馬食することは間違いないんで、短期的に1kgくらい戻すのは目に見えてます。 年明けも軽く続けて、このレベルの維持を目指します。 そして本日は家族総出で年末大掃除の総仕上げ、 夕方には完了して「お疲れさま会」ということで道場から車で20分の 極楽湯 芹が谷店へ。 湯処横浜、道場から車で30分以内に天然温泉を利用したスーパー銭湯が数軒あります。 そして、日本人の数パーセントが「スーパー銭湯中毒」と言われていますが、師範家もその予備軍のようです。 この極楽湯の良い所は、ほぼ「居酒屋」と言っていい呑兵衛目線の食事処が併設されているところ。 温泉入って、冬なのにTシャツのまま酒が飲める、これを「極楽」と言わずしてなんと言いましょうか。 もちろん、その「極楽」の条件には、『配偶者は飲まずに帰りの運転が可能』が必要ですが。 ちなみに左写真は モツ鍋980円、新聞の折り込み広告に入っていた100円割引クーポンを利用させて頂きました。 28日 水 年末大掃除第五弾、本日の業務は洗車。 今どきクソ丁寧に自分で洗車する人間も珍しいだろうね。 ともあれ年末大掃除はこれにて大物は一通り終了。 お疲れさまでした>自分。 午後からは「インスタント減量作戦」の仕上げとして市民プールで泳いで、 夕方からセルフお疲れさま会。 まずはビールを頂きます、ということで、右写真の プレミアム・モルツ 初摘みホップヌーヴォー、 通常版と「香るエール」を同時に二本。 ちょっと前に発売されたビールで、遅きに失した感がありまくるわけだけど、 秋に買って(写真も撮って)いつ飲むかいつ飲むかと間合いを計っていたら今日になっちゃいました。 二種類飲み比べての感想は、色はどちらも薄い黄金色、それぞれの差はほとんどありません、というか師範には判りません。 香りは、「香るエール」っていうくらいだから、そちらの方がフルーティな香りがあります。 対する通常版の方は嗅ぎなれたプレミアム・モルツの香り。 残念ながら「初摘みホップ」ならではのフレッシュさみたいなのは香りからは感じ取れず。 それは「初摘みホップ」かそうじゃないかを飲み比べなきゃ判らんと思われます。 味は、通常版の方が苦味がしっかり、というか明らかに強めの苦味を感じます。 これが「初摘み」の効果かな・・・良く分かりませんが。 ともあれ飲み比べは楽しいもんですな。 缶ビールは一人でも出来るのがナイスです。 ビールメーカー様に於かれましては、これからも個性的なビールをいろいろ開発して頂きとうございます 種類 赤 原産地呼称 産地 塩尻/長野 日本 購入日 -- 輸入業者 -- 稽古場所 道場にて アルコール 12. 2 pH 3. 8 本日のチョイスしたワインもビール同様サントリーのもので、「個人的サントリー祭り」となっております。 このワインはサントリーさんからクリスマス・プレゼントとして贈って頂いたもの。 いつもお気遣い頂き恐縮至極に存じます。 言いたい放題の「安ワイン道場」に懲りずにお付き合い頂き、そのフトコロの深さに感激の涙を禁じ得ません。 ちなみにこの銘柄の2012年産は夏のに、 2011年産は昨年末の頂いております。 そして本日の夕食は、師範代が職場の忘年会に参加するってんで師範と子供たちのみ、三人の食卓。 メニューは、子供らの希望を聞き入れつつ水炊き。 キムチ鍋という提案もありましたが、このワインに合わせたいので却下させて頂きました。 ビールにはキムチ鍋でも良かったんですけどね。 色は、しっかりと濃いけど向こうが透ける程度。 メルローらしくボルドー的な色合いです。 香りは大変に複雑です。 長女曰く『とても複雑で言い現しがたい。 焦げたマシュマロにキノコ、土、チョコレート。 茶色い感じの香り』だそう。 加えて師範の印象を追加すると「和柑の皮目の柑橘香、カシスやブルーベリーの果実香、バニラやココナッツの香ばしさ」を感じます。 味は、どこも強く出張ったところのないスムーズな味わい。 たっぷりとした旨味があって、しみじみ美味いです。 頂きモノゆえの先入観や色メガネを極力降り払っても、コレは「美味い」と言えます。 世界中のどこのワインとも違う、「日本ワイン」の美味しさがあります。 これまでの稽古は大人数で一杯、みたいな席だったけど、一人でじっくり飲むとしみじみ美味い。 香りも味も複雑で、いろんな料理と相性が良さそうなのも高ポイントです。 この恋心が偽物でないかどうかを見極めつつ、変化の具合もレポートします。 翌日、温泉&居酒屋から帰って来て改めて稽古。 香りのボリュームは若干おとなしくなったような気がします。 でも、香りの複雑さも味わいの雰囲気も昨日と同様です。 改めて稽古しても昨日の好印象は揺るがず、 押しつけがましさの無い、それでいてしっかりと主張のある、 日本ワインの良さをキッチリ体現したワインだと言えると思います。 本日のワインもそこでゲットしたもの。 2004年産のグラーヴのワインが「どれでも一本980円 税別 」のワゴンの中で叩き売られてました。 このワインは確か、その前の週に見た時には1,480円だったと記憶しております。 ちなみに本日の夕食は、豚ロースの生姜焼き、中華風スープ、レタスとミニトマトの韓国風サラダ、セロリ・スティック。 もちろん調理担当は師範です。 色はしっかりと濃さが残っています。 エッジにわずかにレンガ色がありますが、全体には真紫と言ってよいトーンです。 でも香りはやっぱり熟成ボルドーの雰囲気。 果実っぽさはかなり抑え気味になり、 代わりに煮豆や漬物や古い蔵の中みたいな感じが出てきています。 味は、良く言えば大変スムーズ、悪く言えばかなりヘタレ。 好き嫌いが分かれるワインだと思います。 見た目は若々しいんだけど、飲んでみるとキッチリ歳を取っていました。 でも決してマズくはなくて、熟成ワインが好きな方には恐ろしく高コスト・パフォーマンスだと思われます。 でも、そういう人があの店の「どれでも980円」のワゴンから手に取るかなぁ。 普段はニューワールドを飲んでいる層に買われちゃって、 『なんじゃこりゃ?』ってなっていそうで南無南無です。 点数 74点 26日 月 既にお休みを頂いている師範ですが、本日は年末大掃除第三弾でエアコンのフィルター清掃、(台所以外の)換気扇の清掃、屋上の高圧洗浄、 ついでに掃除機のフィルタ清掃。 エアコンのフィルターって、メーカーの推奨値やお役立ちサイトなどによると、概ね2週間に1度程度掃除するのが良い、 などと書かれているけど、そんなにしないよね? 道場の場合、年末の今と夏前は必ずやるけど、それ以外は「なんか能力落ちてきたな」って時にやるくらい。 なので稼働率の低いエアコンは年2回、高いヤツでも年4回程度。 世間の標準ってそんな感じですよね?ですよね?ですよね!? 午後は「インスタント減量作戦」継続中ということで市民プールに泳ぎに行って、 そのあとは商店街で夕飯買い物。 あぁ主夫業は大変だわぁ。 1 pH 3. 4 本日の夕食の調理担当はもちろん師範で、 メニューはメインがサーモンのバター焼き、副菜が野菜たっぷりスープ、 あとは週末の残りのピクルスや生ハムチーズ巻きなどを。 そんな料理合わせたワインがコレ、 2005年産としてそこそこ好印象、その時よりかなり安かったので春に2本購入し、 今年の4月にと稽古、これまたそこそこ好印象。 先週末の忘年会の白としてこれをだそうかにするか迷って、 結局インパクト狙いでゲヴュルツにしたんで選に漏れたもの。 そんなに派手なワインでは無いと想像されるので、本日一人でしみじみ頂きます。 色は薄めではあるけど黄金色っぽさや照りがあって、高級感のある見た目です。 香りの印象はやはり前回同様で、「高級ブルゴーニュ白の縮小版」です。 ボリュームは中程度だけど、熟れたリンゴのフルーツ香、アカシアの蜜香、それにビスケットのような香ばしさとバターのようなコッテリ感。 高級感はしっかり感じられます。 味わいのバランスも良くて、抵抗もなくスイスイ入っていきます。 ホント良く出来ていると思います。 半年熟成させて更に良くなったような。 ピュリニーやシャサーニュあたりのコート・ド・ボーヌの有名地域のシャルドネと言って「いや違うでしょ」と返せる人は少ないと思います。 ただ、今の値段の2,500円だと若干微妙だし、やや派手さに欠ける点はあるのね。 大人数で一杯だけだと「そんなん飲んだっけ?」になる可能性はあります。 一人か二人でしみじみどうぞ。 点数 80点 リンク 1,980円 25日 日 昨日ガッツリと調理&片づけを担当された師範代に於かれましては、 本日は調理したくないということで家族の忘年会も兼ねて外食。 行った店は相鉄線天王町駅を出てすぐのところにある 焼肉屋さかい 天王町店。 子供たちがこの店を気に入っているみたいで(鶏のセセリがあるのがヒットらしい)、 比較的頻繁に来店しております。 この店、注文がタブレットってのもポイント高いです。 というのも、焼肉ってのは極めてアトランダムに注文したくなるじゃないですか。 その都度店員さんを呼ぶのは気が引ける、なのでこのシステムは師範家的には嫌いではありません。 特に、ウチはいつも個室を使わせてもらうので、なおのこと面倒が無くて好都合です。 この店に来るといつも注文するのがコレ、フランスの大手"Skalli"が造る南仏の赤。 187mlのミニボトルで税込み530円、一見高いような気がするけど、90ml程度のへみたいな量のグラスワインを出す居酒屋なんかより、 量も多いし状態も安心。 ちょっとワインを飲みたい気分にピッタリ寄り添ってくれるわけです。 というわけで訪店した際にも注文したわけだけど、 今回のはヴィンテージが2015年で1年新しくなっておりました。 一緒に持って来られた極小のワイングラスに注いで稽古開始。 色はきっちり若い青紫色です。 香りは、いかにも南仏のカベルネ・ソーヴィニョン。 若いベリー香りに加えて、機械で茎や葉っぱも一緒に収穫したようなピーマン的な青臭さを感じます。 味は比較的軽め。 渋味ガシガシじゃない点は良いんだけど、「薄っぺら」と感じる一歩手前くらいの立ち位置に居ます。 なんだかエコノミーの機内食で出されるワインが思い出される感じです。 値段と格を考えると順当な内容だとは思うけど、前回はやけに好印象だったからなぁ。 それでも他に選択肢も無いんでまた注文すると思います。 とりわけ好きでもないのに頻繁にリピートする稀有な銘柄です。 ただ、ここは「安ワイン道場」、 シャンパーニュといっても2,000円ちょっとの道場稽古範囲内な一本。 この銘柄は今年の春にもで、 低価格の割にはイケていることが判っているので安心のチョイスです。 っていうか、シャンパーニュって値段ほどの違いは無くね? もちろん、クリュッグやサロンみたいな万を超えるプレミアムなヤツは別物だけど、 正直2,000円も5,000円も大差ない気がしています。 乱雑な鼻と舌でスミマセン。 色は、かなり熟成が入っていそうな、あるいは黒ブドウの比率が高そうな濃いめの麦わら色。 香りは素晴らしいです。 蜜入りリンゴと香ばしいパンの耳、「これぞシャンパーニュ」な香りです。 最初4人分をグラスに注いでいたんだけど、その時からコンコンと香りが沸いて出てきます。 そして、香りの割には味が残念なのも前回同様。 やや苦味があってガチャついたような印象を受けるのね。 どことなくカバみたいな雰囲気がするというか。 改めて稽古してみて、2,000円でこのクオリティであれば間違いなく「買い」でしょう。 これからの年末年始、安ワイン者の皆さんにはお薦めしたいシャンパーニュです。 あくまで普段はカバなんかを飲んでいる「安ワイン者の皆さん」には、ですが。 そうじゃない皆さんは10,000円以上出して別のにしてください。 9 pH 3. 3 次なる白は、先日会員を解約したコストコで買ってきたアルザス産のゲヴュルツトラミネール。 今を去ること20数年前、N氏と師範は同じ時期にアルザスで一か月ほど過ごしたこともあり、 アルザスにはなんとなく親近感があります。 ちなみにこのゲヴュルツ、2,000円以下だけど"Grand Cru"の表記があります。 アルザスのグラン・クリュは案外信ずるに足ると思っているので、 この値段でもイケているはずと信じての登用であります。 色は、透明ボトルなんで右写真でもお分かりだと思うけど、結構しっかりしたレモン色、ややオレンジがかった色合いです。 香りは素晴らしい。 いかにもゲヴュルツトラミネールらしい、ライチのようなフルーティな香りが大量に香ります。 クリスマスみたいな華やかな席にはバッチリの香りです。 味は・・・甘いです。 アルコール度数が13. 「エンジニアはデータで語りましょう」ということで糖度を測ると、なんと8. ソーテルヌとかまではいかないまでも、白ワインとしてはかなり高めの糖度です。 香りは素晴らしいし、甘口ワインとして考えれば、この値段でこのクオリティは上出来です。 ただ、出す順番が悪かった。 こんな序盤にこんな甘いのはちょっと合いません。 というわけで半分ほどを残して、デザートワインとして楽しむことにしました。 一杯分だけ残っていたので翌日再稽古。 思いっきり空気に触れたからか、味わいに苦味が目立ってきてバランスが崩れた印象。 もちろん昨日からそうだったけど気が付かなかっただけの可能性はあります。 点数 75点 ここでいつもとは趣向を変えて、N氏に持参して頂いた清酒を。 この蔵のもう少し安いヤツはことがありますが、こんな高級品はもちろん初めてです。 O氏の『これが水道の蛇口から出て来てもおかしくない味だ』という謎のコメントにも頷けるくらい、 まるで水のようにスムーズな香りと味わいです。 いわゆる日本酒臭さは一切なくて、ほんとに「米で出来たワイン」という感じ。 甘さはかなり控えめなように感じたんで、試しに糖度を測ってみたところ11. なんと「甘い」と感じた前のゲヴュルツより遥かに糖度は高いんですな。 人間の感覚とは不思議なものであります。 清酒って、アルコール度数の高さもあってこういう席で出してもあんまり減らなかったりするんだけど、 これはスイスイと減っていきました。 お値段的には5,000円弱だったとのこと。 四合瓶でその値段は清酒としては相当お高めなんだけど、ワインだと考えれば十分買える値段なんだよね。 「貧乏人のヨコ好き」、ご多分に漏れず師範はブルゴーニュのワインが好きだったりするわけです。 ですが、昨今のブルゴーニュの値段高騰は目を覆わんばかりで、 著名ドコロの特級畑が10,000円以下で買えることなんてまず無かったりするわけです。 となれば、一級以下に落とすか、無名生産者を狙うかのどちらか。 安ワイン道場的には採るべき戦略は後者でしょう、ということで買ったのがこのワイン。 エントリークラスのワインはいくつか稽古したことがあって、案外しっかりした造りだったので特級畑に挑戦してみました。 色は濃くも薄くもない赤紫色で、エッジにわずかにオレンジのグラデーションが見えます。 2012年産にしてはやや熟成が進んでいるような印象を受ける見た目です。 香りのボリュームはなかなかのもので、木イチゴっぽいフルーツや皮革製品のような妖艶系の雰囲気を感じます。 樽熟は控えめなのか、バニラやビスケットといった香ばしさはあまりありません。 口に含むと、酸味主体で透明感のある味わい。 雑味は全然無くて、スーッと喉の奥に流れ込んでいきます。 結果、良くできたブルゴーニュではあります。 ただ、惜しむらくは「良くできた」どまりです。 特級畑の迫力は無かったなぁ。 普通の造り手の一級畑か、名門造り手の村名といったところでしょうか。 やっぱり値段は正直であります。 かなりメートルが上って参りました。 このワインは、O氏に持参して頂いたたもの。 なんでもO氏のお知り合いのアメリカ人からのお土産らしく、インポーターの表記はニューヨークの業者が書かれています。 O氏曰く『かなり変わったワインらしい』ということでしたが・・・ 色は普通に濃いめの紫色です。 見た目に変わった雰囲気はありません。 香りはとても意外です。 というのも、イタリアっぽさはほとんどなくて、黙って出されれば間違いなく「ボージョレですかな?」 と答えそうな雰囲気だからです。 熟し過ぎて傷みかけたイチゴみたいな香りがパーッとして、まさにクリュ・ボージョレっぽい雰囲気です。 味わいは・・・どうだったっけ?あまりに香りの印象が強すぎて、味わいまでは覚えてなかったりします。 確かに変わったワインでした。 ただ、純粋にワインとして楽しめばこれはこれで美味いというか、華やかな感じでよろしかったりはします。 初耳の品種です。 点数 77点.

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