パラサイト 性描写。 ポン・ジュノ監督の表現力に熟練キャストの演技 口コミ高評価も納得の『パラサイト』の魅力を語る

日韓映画における犯罪行為の違い、『パラサイト 半地下の家族』と「万引き家族」

パラサイト 性描写

TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。 ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。 今週評論した映画は、(2019年12月27日公開)。 今夜扱うのはこの作品……。 『殺人の追憶』『グエムル-漢江の怪物-』『スノーピアサー』などなどのポン・ジュノ監督最新作。 全員が失業中の貧しい家族が、IT企業を経営する富裕な家族にパラサイト(寄生)を始めたことから思わぬ事態に発展していく。 主演はポン・ジュノ監督と4度目のタッグとなるソン・ガンホ。 共演は『最後まで行く』などのイ・ソンギュンなどなど。 第72回カンヌ国際映画祭でパルム・ドール(最高賞)を受賞。 そして 第92回アメリカ・アカデミー賞で作品賞、監督賞を含む6部門、主要部門ですからね、ノミネートされるなど、世界中で高い評価を集めております。 アジア映画でアカデミー作品賞にノミネートされたのは初、ということでございます。 ということで、この『パラサイト 半地下の家族』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。 ありがとうございます。 メールの量は、 「とても多い」。 先週の『フォードvsフェラーリ』に続きメールの数は多め。 そして先週以上に絶賛評が多く、 全体の9割が褒めでございました。 褒めている人の主な意見は、「前半は笑いながら見ていたが、後半からどんどんすごいところに連れて行かれ、最後はズドンと重い宿題を渡された」「すさまじい脚本で、今もその要因を引きずっている」とかですね、「家、町並み、演技、小道具……画面に映るすべてが完璧。 ポン・ジュノ監督の最高傑作。 いや、韓国映画史上でも最高傑作では?」などなどございました。 一方、主な否定的な意見は、「ラストに納得がいかない」「格差社会へのメッセージとしては弱いのでは?」とか「映画の中でのフィクションラインが曖昧で乗れない」などがございました。 現代における金持ち描写の最高峰だと思います」(byリスナー) ということで、代表的なところをご紹介しましょう。 「オレンジエコー」さん。 「『パラサイト 半地下の家族』、ウォッチしてきました。 期待以上の名作かつ怪作で、ポン・ジュノ監督の新たなステージではないかと思います。 (半地下に住んでいる貧乏な家族と金持ち家族の)どちらの家族にも愛着を持てるからこそ、誰にとっても他人事ではないと感じさせる脚本やキャストはもちろんのこと、何と言っても美術や撮影が素晴らしかったです。 監督の過去作では『団地』や『列車』という箱庭を用いて社会を描いてきましたが、今度は『家』という最小単位。 多くの映画で空虚に描かれがちな豪邸や、そこでの暮らしが、スタイリッシュで温かみもありながら、どこか奇妙で滑稽。 つまり本当の意味で美しく描かれ、 あの家が登場人物みんなにとってのファム・ファタールであるという説得力が半端なく、現代における金持ち描写の最高峰だと思います。 他にも魅力を挙げればきりがありませんが、 『映画を好きでよかった。 圧倒的感謝です!』と感じさせてくれる最高の映画体験でした」という。 たしかに、金持ち描写っていうのをさ、説得力ある感じで……しかもね、その映画の中身とちゃんとリンクさせてっていうのはね、意外と難しいことかもしれませんね。 それを見事にやっている、というご意見がございました。 一方ですね、「ポコターン」さん。 この方はイマイチだったという方。 「自分にとってこの映画のリアリティラインはあまり合わない感じでした。 娯楽作品として見れば過不足なく手際のよい物語の語り口、適切な演出でポン・ジュノ作品を初めて見た自分でも実力は十分に伝わってきます。 しかしながら、下層階級の家族が上流階級の家庭に食い込んでいくというお題目のために都合の良い展開が多すぎるなと感じました」。 それでいろいろと書いていただいて……「自分にとってこの映画は全体的にフィクショナルすぎてふわふわした印象でした」というご意見でございます。 というところで皆さんね、メールありがとうございます。 今回のムービーウォッチメン用に。 TOHOシネマズ日比谷で2回、見てまいりました。 だから計4、5回はもう繰り返し見てる感じだと思いますけど。 ということで、平日昼にも関わらずですね、この日比谷も、ご年配の方々を含め、かなり埋まっていて。 実際に配給会社の方もね、 「記録的ヒットだ」というようなことをおっしゃっているようです。 もちろん、さっきから言ってるようにもう世界的に高い評価を得ているということもありますし、日本の出ている映画評なども本当に……たしか週刊文春のシネマチャートでも全員満点とか、軒並み超高評価。 僕も満点を付けましたし。 とにかくすごい圧倒的な前評判の高さに加えて、実際の作品自体がですね、確かになるほど、誰の目から見ても明らかな形で、 まずはストレートにむちゃくちゃ面白いんですよね。 映画としての語り口、まさに極上だし、途中には、見た誰もが度肝を抜かれるであろう仕掛けも用意されている。 その上、痛烈な社会批評と、最後にはそのね、皆さんがおっしゃっているように、ドスンと腹に来る余韻が残るという。 要はあらゆる意味で、ぶっちぎりでハイレベルな1本なので。 これに今、ちゃんと日本でも観客が集まっているっていうのは、とてもいいことであるという風に、私も嬉しく思います。 脚本・監督のポン・ジュノ。 長編デビュー作、2000年の『ほえる犬は噛まない』から本当に、すでに「ああ、これはすごい才能だな」という感じでしたけど。 僕がやってきた映画時評の中ではですね、2009年の『母なる証明』。 これ、ウィークエンド・シャッフル、シネマハスラー時代の2009年11月23日に扱いましたが。 その後、ポン・ジュノさんはですね、フランスのグラフィックノベル、バンド・デシネ原作で、豪華ハリウッドスターたちをキャスティングした『スノーピアサー』、2013年の作品であるとか、それに続いてやはり豪華ハリウッドスターが多数出演、Netflixでもう莫大な金額をかけて作った『オクジャ』っていう、これは2017年の作品と、要するに世界進出モードのSF大作、というのが続いたわけですが。 まあの『パラサイト』で、久々にその韓国のね、ドメスティックな社会の現実をアイロニカルに描き出す、という、言わば十八番の路線に回帰した、という風に言えると思います。 まあ今年、この番組でも1月8日にオンエアーいたしました、ポン・ジュノさんとソン・ガンホさん、今回の『パラサイト』のタイミングで私、インタビューをさせていただきました。 これ、みやーんさんの非公式書き起こしもね、読めますから。 こちらも読んでいただきたい。 で、そこでポン・ジュノさんがおっしゃっていたのは、企画自体は『オクジャ』よりも前に始まっていたというのもあって、外国か韓国かという制作環境の違いというよりは、やっぱり制作規模…… 「作品のサイズ」が、『殺人の追憶』『母なる証明』のように、自分にぴったりなサイズに今回戻ってきた、という気持ち、その部分が大きい、ということをおっしゃっていました。 そこがすごい印象的でしたね。 まあ笑いまじり、冗談まじりのムードでしたけど、「これからはずっと小さい映画を作っていきたい。 大きい映画は作りたくない!(笑)」なんてことをおっしゃってましたけどね。 実際のところ、今回の『パラサイト』はまあ、そのインタビュー中でもおっしゃっていたようにですね、実は大掛かりなところは超大掛かり、お金もしっかりかかった一作なのは間違いないのですが……という。 それが映画としての、普遍的な、誰が見てもわかる面白さとか、誰が見てもわかる深みとか凄さとして結実している、っていうことなんですね。 まあその意味で、 前からむちゃくちゃすごかったのに、はっきりさらにすごくなった、というのが今回の『パラサイト』だと言えると思います。 まず、その話の構造がですね……ああ、ちなみに今日も決定的なネタバレはもちろんしないようにします。 ポン・ジュノさんもね、いろんなところで「(ネタバレ)しないでください」っておっしゃっていますから。 決定的なネタバレはしませんけども、もちろんいろんなディテールだとか、「こういう場面がありました」なんてことは触れるので。 全く情報を入れたくない方は……まあ、ふと聞いちゃっている人もいるでしょうから。 『パラサイト 半地下の家族』が評判になっているから、全く情報を入れずに行きたいという方はね、追い追いね、タイムフリーであるとかラジオクラウドとかで追い追い聞いていただく。 まあ、その間はね、他にもいろんな楽しい局が、楽しいラジオをやっていると思いますんでね(笑)。 フフフ、なんてことを言うんだろう、私はね(笑)。 ということでまずね、今回の『パラサイト』。 話の構造がそもそも今までのポン・ジュノ作品に比べてものすごくシンプルですよね。 親子4人、定職がないまま綱渡り的な生活をしている貧しい家族がいて。 その彼らの貧しさの象徴というか、まあ韓国に実際に多くあるというその半地下の住居っていうのがあるわけです。 これ、パンフレットに載っている町山智浩さんの文章によればですね、元は北朝鮮の攻撃に備えた防空壕だったものが住居として使われるようなったということらしいんですね。 で、この「元は北朝鮮の攻撃に備えるための……」っていうのは、ご覧になった方はすでにお分かりでしょうが、後半に出てくるアレと呼応している、ということがございますよね。 ちなみにこの家族が貧しくなってしまったきっかけとして、お父さんが事業に失敗して、その事業というのが 「台湾カステラ」のお店を出したという。 これもやっぱり実際に韓国で近年流行って、それでバタバタッと潰れていったという、そういう実際の事実をベースにしているというのがあります。 で、まあとにかくその職がほしいという家族4人がですね、それぞれ身分を偽って、ある超お金持ちの家に入り込んじゃうと。 前半は、彼らが次々と策略・謀略を仕掛けていって。 まあこの策略・謀略も、主人公家族がしきりと 「計画がある」「プランがある」ということを口にするんですけども。 これがラストに行くにしたがって、その「計画」という言葉がですね、僕には計画がある、私には、俺には計画があるっていうのが、 重い意味を持ってくる……というあたりも、ご覧になった方はお分かりのあたりだと思いますね。 まあ、とにかくとある「計画」を持って策略・謀略を仕掛けていって、金持ち一家たちがまんまと、間抜けにも騙されていく、というプロセスを、デフォルメされたコメディタッチで、非常にコメディタッチで見せていくわけですね。 まあ一種のコンゲーム物的な面白さと言いましょうかね、騙して潜入していくという、コンゲーム、詐欺物ですね。 その面白みがある。 よくある話。 それこそ前述のインタビューの中でも触れたキム・ギヨン監督の、1960年のまさに韓国映画クラシック『下女』とかですね。 これ、ポン・ジュノさんも言及していましたけども、階段の使い方とかを含めて、本作に大きく影響を与えている、これは間違いないことでしょうし。 まあ『小間使の日記』とかですね、『テオレマ』とかも入れてもいいかもしれませんね。 ジャン・ルノワールの『素晴らしき放浪者』とかも入れてもいいのかな、とか、いろいろとあるわけです。 個人的には、「家族ごとパラサイトしてくる」っていうこの感じは、『魔太郎がくる!! 』にですね、そういうエピソードがあるんですよ。 それをちょっと連想したりしましたけどね。 あとは同じ藤子不二雄Aさんの作品だと、『ひっとらぁ伯父サン』とかも、家にパラサイトしてくる、乗っ取られる話ですよね。 まあ、ともあれ前半はそんな感じで、ある意味観客も、いわばジャンル的安心感の枠内で、楽しく見られるわけですよ。 「ああ、まあまあ、乗っ取ってくる感じね。 ああ、面白い、面白い」って。 その行く先が見える感じで楽しめるわけです。 ただ、それでもですね、単に主人公家族がブルジョワ一家をまんまと篭絡して痛快だ、となるだけではなさそうだな、というような、 フッとハシゴを外されるような瞬間も、実はいくつか事前に周到に仕掛けられていて。 たとえば、ソン・ガンホ演じる、この半地下の家族のお父さんがですね、先方の金持ちの家の奥様……これ、チョ・ヨジョンさんが、 黒木瞳的奥様感と言いましょうか、その奥様と2人きりになって、ある秘密を共有する、という場面。 これ、これまでのそういう入り込み物、家族入り込み物、異物入り込み物なら、ここで奥様側も「ドキッ!」っていうね。 主人にはない何かワイルドみにドキッ!みたいな、そういう展開になりがちなところを、実際にここで彼女が返してくる反応というのは……というあたり。 そして、それを受けてのソン・ガンホさんの物言わぬリアクションがまた、おかしくも哀しい、っていう感じが本当に最高なんですけども。 あるいは、やはりソン・ガンホさんのお父さんと、金持ち一家の主であるパク社長。 これ、演じてるイ・ソンギュンさんね。 『最後まで行く』という、僕はすごい好きな映画がありましたけど。 あれでも主演をされてましたが。 それがですね、まあパク社長に向けてそのソン・ガンホが、 「奥さんを愛していらっしゃいますもんね」って、まあお世辞半分に言っていることなんだけど、それに対して思いのほか、冷めた反応が返ってくる、ってあたり。 これもやっぱり、終盤と呼応していますね。 「奥さんを愛していらっしゃいますもんね」っていうこのセリフね。 というあたりで、 「あれ?」っていうね、その今までの入り込み物の温度感とはちょっと違うのか?っていう、フッとそういうハシゴを外されるような瞬間が、用意されてはいる。 まあ、とにかく一見、まんまとブルジョワ一家に取り入っていく半地下家族、というのが前半なわけです。 それをいいことに、堂々と家族団らんの酒盛りを始める一同、という。 なんですけど、その全面ガラス張りのリビングっていうところで、まずちょっと不安が募りますよね。 見てるだけでね。 なんか、「見られちゃう」感じがするし。 そして、外が激しい雷雨になる、それと共にですね、 物語全体が、想像もつかなかった方向に一気に転がりはじめていく!というのが、まさにこの映画の、キモ中のキモなわけですね。 特にやっぱり、「あっ、何かが……決定的に何かがおかしい方に行く」っていうきっかけが、 「人物の、思ってもいなかった角度の姿勢」というのが、ポン・ジュノっぽいですよね。 そんな姿勢!? っていう。 この空間でその姿勢はない!っていうことが起きてる、っていうあたりだと思います。 当然、ちょっとここから先の話は、具体的には言いませんけども。 何が起こるかは具体的に言いませんが、ただちょっと抽象的な説明の仕方を重ねますけども。 ポン・ジュノ作品、これまでも非常に印象的だった、 「闇の奥に何かがある」っていうショット。 「奥に何かがある」っていう感じはすごく今までも印象的に使われてきたんですけど、今回はさらにその闇の奥にですね、要するにその得体の知れない領域に、主人公家族も我々観客も、まさにカメラと共に、文字通り 「連れて行かれてしまう」っていう作りになってるわけです。 これまでもポン・ジュノ作品、既存のジャンル的なその予想の範囲を超えて、最終的に、 得体の知れない領域に行ってしまう、という作品ばかり撮ってきました。 見終わってみると「何だ、この感情は?」とか。 「最高の映画だし、最高に面白かったけど、 今、どんな気持ちになれと……?」っていうね。 言葉で説明できないところに連れて行かれる、っていうのは今までもありましたけど、今回の『パラサイト』は、 それがストーリー、そして映画としての語り口と、シンプルに一致しているんですね。 主人公のその家族たちと観客もですね、要は今まで「こうだ」と思っていたような物語世界が、実は全く違う本質を持ってることがはっきりしてしまう。 それによって世界の意味がひっくり返るような感覚を、主人公家族と同時に我々観客も、直接的に味わうことになるわけです。 今まで思ってたような世界じゃなかった。 そして先ほど言いました、ポン・ジュノさんとソン・ガンホさんへのインタビューでも触れた通り、ここに至って、その大邸宅のですね、すごく印象的にある階段であるとか、その上下の構造。 あるいは、あの金持ちの家に行くために、まあ坂を登ってくるわけですよね。 その、地理的な構造。 つまり、階段や坂を介した上下の構造が、 物語的なテーマと実は直結してたんだ、ってことに、我々観客はそこで気づくわけです。 「ああ、『半地下』の家族って、そういうことか!」みたいなね。 で、もちろんポン・ジュノ映画、これまでも、地形の高低差とかそういうのを、印象的に使ってきました。 たとえばそうだな、『母なる証明』だったらね、あの死体が置かれていた、あの2階の屋上の、高台のところから見晴らした街とか、そういうのは使ってましたけど。 今回の『パラサイト』は、それがストーリーやテーマと、シンプルに直結している。 まさに映画ならではのストーリーテリング、っていうのがすごくスマートにできてるとか。 またですね、やはりこれまでもポン・ジュノ作品が際だって上手かった、 非常にミニマルなシチュエーションなんだけど、それを最大限のスペクタクル、サスペンスに仕立て上げてしまう手際。 小さなシチェーションなのに、すごいでっかいサスペンス、スペクタクルがある。 ですけど今回の『パラサイト』の中盤はですね、まさにそのテクニックの、拡大・連発版ですね。 まあその、要は 「家屋内かくれんぼ」だけでですね、これだけハラハラドキドキ、しかもいろんな引出しで(ハラハラドキドキ)させられるだけでも、まあやっぱり半端な腕じゃないですし。 しかも今回の『パラサイト』では、その家屋内かくれんぼのハラハラドキドキにもですね、テーマと直結した、やっぱりそこでも上下の構造……上にいる人、下にいる人、そしてクライマックスの布石となる 「匂い」という、非常に残酷なモチーフを絡めてきてるわけで。 二重、三重にすごいわけですね。 ちなみにこの、匂いというくだり。 半地下住居のその匂いというのはですね、韓国の方は割と「ああ、あの匂いか」ってわかるような、結構具体的なものとしてあるらしいんですけどね。 でも、(そうした認識を共有していない他国の観客である)我々にとっては、やっぱり僕がインタビューの中でも言った通り、映画においては不可視な「匂い」というのを使って差別というものを表現されると、もうこっちはどうにもできない…… 「お前は臭い」と言われるとどうにもできないっていう、残酷な差別の構造として、やっぱりこれは非常に演出として生きている。 ともあれ、さっきから言ってるように、高低差によって示されたその社会の構造。 そのまさに、まさに文字通り「下流」にいる者たち同士がですね、構造全体の不条理には怒りが向かず……なんならそっち、構造全体の不条理に関して諦めちゃってるから、(劇中のセリフ通り) 「リスペクト!」までしちゃってですね。 それで、その下にいる者同士で、食い扶持を確保するために争い合うっていう、そういう悲しい、でもぶっちゃけこれが現実にはやっぱりよく噴出する構造でもある、というその展開の果てに……プラス、もちろんさっきのインタビューでも触れた、一大スペクタクルシーンが用意されています。 これはもう、 「ああ、ここがこんなスペクタクルになっちゃうのか!」という見せ方。 しかもそれがやっぱりテーマとも直結している、というその展開の果てにですね。 ここは元のシナリオ以上に、「ソン・ガンホが演じる」説得力によって、よりくっきりしたメッセージが込められたものに変わったらしいんです。 要するに、とある人物の行動が、シナリオではもっと、どういう意志でやったものかが曖昧だったのが、 ソン・ガンホが演じるならこれは説得力を持たせられるんだ、ってことで、はっきりと意志を持ってとある行動を取る、というクライマックスへと突入していく。 インタビューでポン・ジュノさんもおっしゃっていた通りですね、このシンプルな語り口と構造を、真に豊かなものにしているのはやっぱり、そのさっき言ったソン・ガンホさんとかを含めて……もちろん、見事というほかない美術や撮影、それら全てを緻密にイメージボードを書いてコントロールしているポン・ジュノ演出はもちろんなんですけど、やっぱり、ソン・ガンホさんをはじめとする俳優陣の力、というのが当然、大きいわけです。 中でも家政婦役を演じたイ・ジョンウンさんは実は監督の過去作では…… ソン・ガンホさんね、その、のほほんとした親父から、終盤にかけて特に……笑顔が完全に消えるんですね。 そのシリアスなトーンっていうところの演技はもちろん見事なものですし。 あとやっぱりソン・ガンホは、声がいい、というあたり……特にラスト周辺で、それ(声のよさ)が非常に、抜群に生かされるのは、その半地下ファミリーの息子、チェ・ウシクさん演じる息子さん。 オープニングと対になった、そのラストショット。 オープニングと同じく、その半地下で、カメラがグーッと下りてくると、その息子の顔になる。 まさにポン・ジュノ映画の幕切れにふさわしい、あの眼差しですね。 あれも見事なものでしたし。 パク・ソダムさん演じる娘もですね、非常にストリート感、ゲットー感っていうのと、転じて、演技としてのハイソな知性みたいなものを、本当に見事に演じ分けられてて、素晴らしかったですし。 あとお母さん。 チャン・ヘジンさんのね、元ハンマー投げメダリストっていう、あのなんか「太いキュートさ」って言うんですかね? 図太いキュートさという。 あれも本当に見事なもんでしたしね。 あと、今回一番実は重要なのは、追い出される家政婦役。 ムングァンという役の、イ・ジョンウンさん。 彼女は、『母なる証明』の、被害者の女子高生のお葬式のシーンで、母親に食ってかかる、一番目立っていたあの女の人。 あるいはですね、 『オクジャ』のあの生き物の、鳴き声を演じている(!)。 だからその、ポン・ジュノさんの信頼が非常に厚い女優さんなんだけども。 今回も、本作のある意味一番、要の役ですね。 「おもしろうてやがて哀しき……」っていうあたり。 そして、ネタバレできないので詳しくは言えませんが、やっぱり 「リスペクト!」なあの人。 要するにその、さっき言った社会の不条理な構造に関して、諦め切った人。 その思考の、狂気性、ピュアさも込みで、見事に体現されてますね。 あの人の佇まい……バナナの食べ方! まあもちろんね、金持ち家族も素晴らしい。 金持ちの娘・ダヘさん。 チョン・ジソさんですか。 普通にアイドル的に、なんか「坂道」にいそうだな、みたいな感じで、すごいかわいかったですけどね。 元々すごかったポン・ジュノがさらにすごい一本を撮ってしまった! そんな感じでですね、まあちょっとネタバレできない範囲も多かったんでね、このぐらいにしておきますが。 ラストに向けて、語りの位相がシフトしていくあたり。 この人のナレーションか、と思ったら、この人のナレーションになっている、という風に、語りの位相がシフトしていくことによって、現実と想像の境がどんどん淡く、曖昧になっていく……かと思いきやの、さっき言ったその、オープニングと対になった着地で。 そして音楽も、ちょうどそこで着地、っていう。 この、 ドスンと来る余韻。 結局やっぱり、現実に(作中の問題提起を)持って帰らされる。 「で、あなたたちは……?」って来るわけですね。 ということで、面白さ、そして語り口のシンプルさ、スマートさ、深さ。 驚き、サプライズもある。 そして、ユーモアと残酷さもある。 撮影とか美術とか音楽の質の高さもある。 もちろん、演技の素晴らしさもある。 とにかくすべてが、あらゆる面ですごいレベルというか。 もう、これだけ絶賛するしかないのが、本当に悔しいぐらいなんですが。 だって、褒めるところしかないんだもん!っていう。 元々すごかったポン・ジュノが、さらにさらにすごくなって帰ってきた、すごい1本を撮ってしまった。 そんな1本。 そりゃあ当然、劇場でウォッチしてください! (ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画はです) 以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。 (ガチャパートの前)ポン・ジュノ作品は、細かいところのキャスティングの 「顔チョイス」が本当にセンスいいことで知られているんですけども。 今回は特にね、 あの、終盤の刑事。 本当、あいつの顔が出てきた時に、「いやー、やっぱりポン・ジュノの顔選び、最高!」って思いましたけどね(笑)。 5MHz/AM954kHz、PCやスマートフォンはで。 聴き逃しはで一週間前まで、それより過去はで。 スマホの方はを使うとより快適にお聞き頂けます。

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パラサイト 性描写

パラサイトの主人公キム一家は、家族全員が無職・失業中で半地下住宅に住み、宅配ピザの入れ物を組み立てる内職をしつつ毎日暮らすのに精一杯の貧困家庭です。 そんな中、長男ギウがエリート大学生の友人に「僕が留学中、代わりに家庭教師をしてみないか?」と頼まれたことから、キム一家の生活が大きく変わります。 家庭教師先は、高台の大豪邸に暮らすIT企業社長で裕福なパク一家。 ギウは大学受験を失敗していますが、エリート大学生と嘘をついて無事家庭教師に着任し、娘ダヘにも気に入られ、パク一家から信頼を得ます。 そこで、パク家の末っ子ダソンの美術家庭教師として妹ギジョンを紹介し、妹も豪邸へ出入りできるようになります。 更に様々な策を講じ、父母も含めキム一家4人全員がパク家で働きはじめます。 家族であることは秘密にして・・・。 まさにキム一家がパク一家に寄生(パラサイト)している状態です。 パク一家全員がキャンプに出かけた時にキム一家が豪邸でバカ騒ぎするあたりは、コメディさながらで笑いをこらえるのに必死です。 前半は貧困状態でも楽観的なキム家族がコメディタッチで描かれていて、展開も早くとても面白いのですが、後半から急に毛色が変わってきます。 いつの間にか息ができない程のスリルと緊張感に包まれていき、怖い映画の側面をもってきます。 予想外・想定外の出来事が次々に起こり、想像を遙かに超えた衝撃的な展開が繰り広げられます。 これ以上はネタバレになってしまうので、続き・詳細は実際に映画を観て確認してください。 パラサイトはどう怖い? 『パラサイト 半地下の家族』観ました。 怖い、怖い、怖い、怖い、おぞましい。 ポン・ジュノはなんて作品を生み出したんだ…とこの映画に潜む怪物に座席でただただ硬直していました。 娯楽映画であり社会風刺という側面もある本作、満足以上の見応えあり。 年末に良いもの観せて頂きました。 — HSMT🐹むF40祝祭 ToratoraHsmt 韓国映画パラサイトが「怖い」と言われるのは、後半のスリル・ホラー的な「怖い」もありますが、また違う「怖い」を感じる人も多いようです。 人間の本性を感じて怖い。 人間関係が怖い。 格差社会を身近に感じて怖い。 自分にも置き換わる部分があって怖い。 得体の知れない恐怖を感じる。 観る人の立場によって感じ方が大きく変わる映画なので、怖い部分も人それぞれです。 事前に執拗に「ネタバレするな」と言われるのでほとんど書く事ができないのですが、いろいろな視点から見る事のできる「含み」を持った作品かな。 基本「笑わせよう」としていると思ったのですが、とても怖い「笑い」。 「対岸の火事」ではない。 パラサイトは、 監督ポン・ジュノの完全オリジナルです。 ポン・ジュノも、若い頃に半地下のアパートに暮らしたり、お金持ち家庭の家庭教師をしたことがあるそうです。 その家庭教師は当時の彼女(現在の奥様)の紹介だったものの、苦手な数学の家庭教師だったのですぐバレてクビになってしまいましたが、生活レベルの違いに驚いたそうです。 パラサイト半地下の家族は、ポン・ジュノの実体験が基礎となって生まれたといっても良さそうな映画ですね。 半地下の家は韓国では普通? そして、これもまた、韓国の成長を支えたもの。 半地下室。 窓から見える、雑草、轍、土埃…。 街の「足元」にあるその湿った部屋から、いろんな「思い」が飛び立っていったのだろう。 お疲れ様、南仁川。 完全な地下部屋ではなく、上半分は地上で下半分が地下に埋まっていて、外に面している窓は地面の高さなので、外の風景は人の足下、犬や猫と同じ目線です。 南北戦争の時に防空壕の役割も兼ねて半地下部屋を作るよう義務づけられていたので、古い建物には半地下がある住居が多いそうです。 ですが、日当たりも悪く結露やカビで不衛生、防犯面やプライバシー面など多くの問題があり居住には適さないので、家賃の安い賃貸物件となり、現在では貧困層の居住空間となっています。 9%の世帯が、地下または半地下に住んでいます。 映画パラサイト内の半地下住居は実在する? パラサイトの貧乏描写が最高。 おんぼろトイレに給湯器とシャワー。 シャンプーに干した下着。 剥がれたタイル。 — キミー tmdadda 映画パラサイトの撮影では、プールを利用して半地下住居が作られています。 実在する住居ではありませんが、光の入り方や電気の色など実在する半地下と同じように細部まで作り込まれているそうです。 映画内では家の1番高いところにトイレがあって印象的でしたが、半地下では水圧が低く逆流を防ぐためという理由があります。 視覚的にすごく違和感がありますが、全ての半地下が同じではないものの、トイレの位置が部屋の中で一番高い半地下住居は一般的だそうです。 パラサイト(韓国映画)あらすじ原作まとめ 『パラサイト 半地下の家族』面白かった!そもそも「筋」が無茶苦茶面白いんだけど、その筋をどう画に反映させて映画的に語るかという技術!特に階段と水の使い方上手すぎる。 それをまた「どうだ上手いだろ」感じゃなくて、さも「作品が命じるまま作ったら自然とこうなりました」って描くんだよね… — 楠野一郎 プロペラ犬) kusunopropeller 韓国映画「パラサイト半地下の家族」のあらすじと原作の有無について、ネタバレしない範囲でお伝えしましたが、いかがだったでしょうか? 貧困家族と大家族の本来交わることのない交わりを、笑いと恐怖を織り交ぜて描いた、とても面白そうな映画です。 面白いけど怖いほうが勝つのか?• 怖いけど面白いほうが勝つのか? 観る人次第なので断定はできませんが、ただ面白おかしく笑って見るだけの娯楽映画ではありません。 見る人の立場によって感じ方が全く異なる映画、見た後に人と話したくなる映画です。 韓国映画パラサイトは小説など原作がない完全オリジナル作品なので、一体どんな展開になるのかは実際に映画を観るしかありません。

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パラサイト 半地下の家族 : 映画評論・批評

パラサイト 性描写

パラサイト 半地下の家族 2019 おはようございます、チェ・ブンブンです。 第72回カンヌ国際映画祭で韓国映画初の最高賞パルムドールを受賞した『パラサイト 半地下の家族』を観ました。 本作は、『グエムル-漢江の怪物-』や『スノーピアサー』同様エンターテイメント作品でありながらも、その裏に社会的メッセージや皮肉を封じ込めた作品であります。 本記事は、そんなポン・ジュノの隠したモールス信号を ネタバレありで解読していきます。 日本公開は2020年1月公開なので、どんな映画か気になる人も多いとは思いますが、公開まで本記事を読むのを待ってください。 カンヌ公開時、ポン・ジュノは後半の展開について述べることを禁じていました。 実際観ると、びっくりする展開が待ち受けており、それは劇場で観て驚いてほしい。 だからこれは映画を観た人だけが参考資料として読んでください。 ブンブンは警告しました。 あとは自己責任で読んでください。 ある日、彼らの息子はなんとかパク家で英語の個人レッスンをするよう勧められました。 これは韓国が、超競争社会であり、家族ぐるみで大学受験を応援し、その結果によって人生が決定しまう残酷さ、閉塞感を普遍的に落とし込んでいると言えます。 劇場映画デビュー作『ほえる犬は噛まない』の時点で、既に隣人の素性が分からない現代の息苦しさをコミカルに描いていた彼は、『殺人の追憶』、『母なる証明』で知的障がい者の苦しみを捉えた。 『グエムル-漢江の怪物-』では怪獣映画でありながらもアメリカに搾取される韓国人市民を風刺してみせた。 そして『スノーピアサー』、『』では、富める者と貧しき者の関係性を、前者は列車の車両、後者は怪獣オクジャにメタファーとして投影した。 そんな『パラサイト 半地下の家族』だが、本作がパルムドールを獲るのは必然であった。 そして、これはここ10年のカンヌ国際映画祭を批評するものとなっている。 だから本作を、「また、家族が、貧困が系の映画でしょ」と括るのは問題である。 カンヌ国際映画祭は、アカデミー賞とは違い数少ない審査員が20本位の作品の中から最高賞を選ぶ。 それは、多数決では選ばれないようなアート映画、暗号のように社会的メッセージが込められた作品を発掘する役割があります。 ヴェネチア国際映画祭が『』、『』、『』などといったアート映画を最高賞に選ぶように。 しかしカンヌ国際映画祭のここ10年の最高賞はどうでしょうか? 2010年:ブンミおじさんの森 2011年:ツリー・オブ・ライフ 2012年:愛、アムール 2013年: 2014年: 2015年: 2016年: 2017年: 2018年: 2019年:パラサイト 半地下の家族 2013年の『アデル、ブルーは熱い色』を筆頭に、市井の貧しき者に焦点を当てた作品が毎年のように受賞しています。 もちろん、これらの作品はレベルが高い。 しかし、批評することすら拒むような潔き映画を前に思考停止しているのではないでしょうか。 カンヌ国際映画祭は、高級リゾート地で、スターたちが豪華絢爛な衣装を纏い行われる。 そんな会場でいとも簡単にこういった作品に最高賞を与えるのは、ある意味偽善に満ち溢れている。 そういった現象をも『パラサイト 半地下の家族』は皮肉っている。 ブルジョワなパク家の内部で、貧しきキテク一家が家族ぐるみで家に侵入しているのに、ブルジョワは気にしていない。 僕たちを適切に扱うホワイト企業っぷりを魅せるパク家であるが、実際には彼らのことなど全くもって見えていないし、地下にかつての家政婦の男が住んでいることすら気づいていないのだ。 あれだけモールス信号で照明を点滅させ続けているにも拘らず。 一方、貧しき者たちはいかにしてパク家に取り入るか常に考えており、すぐ隣で不気味に蠢いている。 貧しき者からしか見ることのできない世界の形を皮肉っているのだ。 この手の家庭侵略系の映画はジョゼフ・ロージーの『召使』に始まり、『ファニー・ゲーム』、『歓待』、『ボーグマン』と多数作られてきた。 しかし、その多くが早々に侵略の存在に気づいてしまう。 そこを外し、侵略する側の視点から観ることで階級の断絶による見えざるものを捉えた。 まるで『縮みゆく人間』で、あまりに体格差がかけ離れ、認識すらされなくなった小人が比喩として機能しているように。 カンヌ国際映画祭で勝てる映画でありながら、カンヌ国際映画祭が持つ問題点を吸収した批評性に満ちた作品だったのだ。 ピタゴラスイッチのような脚本が至高のエンターテイメントとなる 韓国映画は、社会批判をしながらもエンターテイメントとして大衆を燃え上がらせるところに物語を着地させるのに長けている。 市民の関心をカルチャーに向かわせた時代を音楽青春映画として捉えた『サニー 永遠の仲間たち』。 超競争社会に疲れた者をゾンビ映画として風刺した『』、光州事件をコメディ、アクション方向にベクトルを向かせて描いた『』など枚挙に遑がない。 『パラサイト 半地下の家族』もエンターテイメント作品として楽しめる作品となっている。 前半1時間、かけてキテク一家が一人、また一人とパク家に侵入していく様子が描かれる。 大学証明書を偽装して、ダヘ チョン・ジソ の家庭教師としてギウ チェ・ウシク が入り込む。 そして、彼は、ダソン チョン・ヒョンジュン の子守として妹のギジョン パク・ソダム を送り込む。 そして一家の大黒柱キテク ソン・ガンホ は、パク イ・ソンギュン の右腕ドライバーになろうとする。 既にパク家には家政婦のムンクァンジュ イ・ジョンウン がいて、彼女にも自分たちが一家であることを悟られないようにする。 そして、桃の表面の棘を使って、ムンクァンジュを病気持ちに見せ掛けて解雇させようと作戦を練るのです。 しかしながら、結局のところムンクァンジュとは意気投合し、パク家のヴァカンス旅行をきっかけに彼らは最高の暮らしを手にする。 ここまでが1時間だ。 そこからジェットコースターのように一寸先は修羅場を迎える。 かつて、家政婦だった女が夜な夜なパク家にやってくる。 びしょ濡れな彼女を嫌々、家に入れると、彼女は猛ダッシュして隠された地下室を解放するのだ。 そこには4年近く閉じ込められていた彼女の男がいた。 彼はしきりにモールス信号を送っていたのだが、誰にも気づいてもらえなかったのです。 キテク一家は、自分たちの楽園が彼らに壊されることを恐れ、家を失いパク家に滞在することを懇願するこの二人の招かれざる者を追い出そうとするのだが、写真を人質に取られて形勢逆転してしまう。 そんな中、災害規模の雨によりパク家が想定よりも早く帰ってくるアクシデントが発生する。 8分後に家に着くとのことだが、家は祭の真っ最中でとっ散らかっている。 彼らは青ざめ、全力で片付けし隠れるのだ。 ここから、まるでピタゴラスイッチのようなバレるかバレないかのかくれんぼが開始する。 ギウはダヘのベッド下に隠れる。 その上で「ああ疲れた」で寝始める。 彼女が何気なくベッドの縁から下を見ると愛犬がベッド下を覗き込みブルブルと震えているのだ。 今にも吠えそう、彼の方向に行きそうな修羅場を、間一髪乗り越える。 一方他の仲間は、リビングの机下に潜り込むのだ。 こともあろうことか、疲れてすぐ寝室で寝ると思っていたパク家であったが、ダソンは大雨の中庭にテントを張り、キャンプを始めてしまう。 夫婦はリビングで寝てしまうのだ。 そして、夫婦は桃の香りを嗅ぎつける。 「あれ、桃の香りがする。 これってどこかで嗅いだことが…そうかキテクの臭いか! 」 観客すらヒヤリとする場面である。 キテク一家に安息の地はない。 ダヘがギウにチャットしたことで、ブーブーとバイブがなる。 皆が寝静まり、いざ外へ出ようとすると、突然テントが光り輝き、トランシーバーから「パパ、僕眠れない」とダソンの半べそが響き渡る。 絶体絶命な局面が釣瓶打ちにされていく。 パク家の行動が、修羅場の伏線としてピタゴラスイッチのように展開されていくところに心地よさと戦慄が過るのです。 こういった大衆娯楽映画として楽しめる要素を前面に押し出しているところにポン・ジュノ監督のバランス感覚を感じる。 メタファーを読み解く そんな本作ですが、映画祭映画として考察したくなるほどの象徴やメタファーが沢山仕掛けられている作品でもある。 幾つかの要素について考察していく。 大雨 本作において、大雨は ブルジョワの無頓着さを強調する働き、そしてキテク一家の立場の逆転を導く要素として機能している。 物語終盤、未曾有の大雨によりキテク一家の家は壊滅してしまう。 そして市井の人々は体育館のような場所で避難生活を強いられる。 それとは対照的にパク家は何事もなかったかのように優雅な生活を再開する。 「昨日の雨凄かったね! 」としか考えておらず、ブルジョワ仲間のパーティ準備を始めるのです。 そしてキテクが、被災地支援の服の山からなんとかものを集め勤務を始めるのだが、パク家は全く気にもかけない。 少し、「ちょっとこの車臭うわね」と窓を空けるぐらいしか、市井の深刻さを気にかけていない。 そして、その意識できない世界は地下からの狂人が暴走するまで表に出ることはない。 これこそ、ブルジョワの意識できる貧民とは氷山の一角に過ぎない皮肉となっているのだ。 また、洪水により糞尿にまみれ、ぐちゃぐちゃになり、家を失う様は、キテク一家が招かれざる訪問者にした仕打ちのしっぺ返しとして機能している。 将来のキテク一家を映す鏡として働いているのです。 実に巧妙な要素と言えよう。 臭い 本作は、臭いを嗅ぐという行為が何度も挿入される。 ダソンがキテクの臭いを嗅ぎ、「ボク、この匂い知っているよ。 どっかで嗅いだことあるよ。 」と続けざまにムンクァンジュに飛びつき、 「ムンクァンジュと同じ匂いだ! 」と嬉々として喜ぶ場面はスリル描写として使われている。 また桃は 《気立ての良さ》といった花言葉があり、桃の香りをキテクたちを包むことは、身分を偽ろうとすることへの裏返しとなっている。 そして、洪水後の車の中でキテク夫人ヨンキョ チョ・ヨジョン が「なんか臭うわね」と言うことは、そういった化けの皮に対する疑惑を描いている。 階段 『パラサイト 半地下の家族』に登場する階段は、どれも中途半端だ。 キテクたちの住む家は、半地下にあり、街に撒かれる殺虫剤が流れ込んだり、酔っ払いの尿が流れ込みそうになっている。 これは、地上を歩く者からはほとんど意識されてないが、半地下からは全てが見えるというこの映画のテーマを表している。 そしてパク家の 地下世界に続く階段は、深淵の死角となっており、隠れた住人が地上に出ようとしていても気づくことはない。 これらの階段は、パッと登ればすぐ上に下に出られるのだが、その行為を行わないが為に気づかない。 つまり、水面下で起こっている蠢きを演出する舞台装置として機能していると言えよう。 最後に… 本作は紛れもなく、2010年代を象徴する社会だ。 行き過ぎた新自由主義、個人主義によって、富める者と貧しき者との間に大きな断絶が生じている。 富める者は、貧しき者のことを気にかけているように見えるが、実は全くもってその形を捉えることができていない。 そして、その認識不足こそが、貧しき者のヘイトを買い、復讐されてしまうことを暗示している。 この巧みな脚本、演出はパルムドールも納得である。 そしていよいよ次の アカデミー賞で国際映画賞 旧:外国語映画賞 の大舞台で韓国映画初ノミネートの快挙を成し遂げることでしょう。 ひょっとするとこの賞を受賞できるのかもしれない。 反対に、今回ノミネートできなければそれは完全にアカデミー賞会員の嫌がらせだ。 信頼できない賞としてのレッテルを貼られることでしょう。

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