五木 寛之。 五木寛之(いつきひろゆき)とは

五木寛之のおすすめ文庫本15選!小説とエッセイ、どちらの魅力もご紹介!

五木 寛之

今週から数回に分けて、「五木寛之の金沢を歩く」、を掲載します。 雪が降る前で、温かい金沢の一日でした。 まだ撮影しきれていない所もありますので、時間を掛けて順次掲載していきたいとおもいます。 <五木寛之の金沢> 昭和33年に早稲田大学を除籍されてからの7年間、五木寛之は業界紙編集長、CMソングの作詩、放送台本記執筆などのさまざまな職業につきます。 しかし、20代後半からの生活に体力的にも精神的にも疲れを感じてきます。 「私は二十代のほとんどを東京で過した。 九州から上京した二十七年にメーデー事件があり、早大事件があった。 大学を途中で横へ出てからの歳月は目まぐるしい日々の連続だった。 父親が死に、弟と妹がやがて上京してきた。 私が東京を離れる気になったのは、ひとつは精神的肉体的に疲れ果てていたためかもしれない。 ……私はその当時、マスコミの中でまず何とか食っていける立場にいた。 それなりに売れていたと言っても嘘ではない。 だが、肺とは別なところにポッカリ暗い大きな穴があいていて、そこから冷たい風が絶えず吹いてくるのを私は感じていた。 そんな状態を何といえばいいだろう。 一種の無気力状態とでも、また放心状態とでもいうような気分が続き、何もかも、生活のすべてがわずらわしく、うとましく思われたのである。 私は病気を理由に、当時関係していた仕事のぜんぶから身を引き、金沢へ移住することに決めた。 それは、ある意味では早すぎる退場であり、理由のない脱走のようなものだった。 金沢でさし当りどうするという当てはなかったが、最低の収入の当てだけはあった。 最低といっても、文字通りの最低である。 共稼ぎという安心感もあった。 煙草も酒もやめ、小遣いも使わず一日二食で暮していけば何とかやっていけると考えたのである。 …」、十代から二十代前半の若さに任せたエネルギッシュな生活力、がむしゃらな前へと進む力は歳とともに衰えます。 エネルギッシュであればあるほど、反動は大きくなります。 五木寛之は自分自身でそれを感じたのでしょう。 「東山荘」の字は擦れていますが、40年前のアパートがそのまま残っていました。 五木寛之の金沢 年表 37 10月 東京へ転居 デラシネの旗 < 東山荘> 五木寛之は昭和40年、配偶者(この言葉は五木寛之自身が使っています)と共に東京から金沢に転居します。 五木寛之は金沢の土地柄についてかなり的確に分析しています。 「…ご存じの通り、金沢は北陸の小京都などと言われる古い城下町である。 私の目から見ると、京都と金沢の共通点はそれほど多くはない。 むしろ違いのほうが目立つくらいなのだが、とにかく世間ではそう思われているらしい。 …その相違は、都市と市民生活の成り立ちの根本のところにあるように思われた。 たとえば京都人が排他的であるとは、よく言われることだ。 だが、私はそうは思わない。 たしかに力でもって割込んでこようとするものに対しては、強い拒絶反応を示すかもしれないが、その土地や住民に利益をもたらすもの、または客として訪れるものに対しては、おどろくほどの柔軟性を示す。 京都という町の、そもそもの成り立ちが、外来者との協力と外来文化の同化なしにはあり得なかった土地柄なのである。 金沢は、その点において京都とは全くちがう。 観光客の落す金は、以前の金沢では不浄の金であった、というのは言いすぎかもしれない。 だが、最近は別として、かつての加賀百万石の矜持は、ほとんど旅行者の懐を当てにすることをいさぎよしとしなかったはずだ。 …」、金沢の見方としては面白いですね。 流石の外様大名、前田家、加賀百万石です。 2棟立っており、どちらかはわかりませんが、二階の一番奥の部屋に住んでいたようです。 「…私は、その刑務所の真裏のアパートの一室で、金沢での最初の生活をはじめることになるのである。 そのアパートは、東山荘といった。 二階の一番端の部屋に私たちは住んだ。 私たち、というのは、私と私の相棒、すなわち配偶者という表現で私が雑文の中にしばしば登場させる女である。 私はどういうわけか、少年の頃からいわゆるファミリーというのが苦手なたちで、それは現在にいたるも変らない。 たとえそれが最近はやりのニュー・ファミリーと称するお友だちふう家族でさえも駄目なのだ。 したがって、妻だ夫だ、亭主だ女房だというのは、その言葉でさえもうとましく、遂に表現に窮して(配偶者)という生硬な用語を使って笑われる破目になったのである。 五木寛之の配偶者である玲子さんの父親は岡良一氏(医学博士)で、昭和14年社会党で石川県議に初当選し、以後衆議院議員6期、金沢市長を2期務められた、金沢では有名な方です。 もともとは十全病院の医院長だったようで、この東山荘の近くに病院があります。 「私が最初に住んだのは、金沢の町でもかなりはずれのほうの、小立野という台地の隅のあたりだった。 たぶん、小立野五丁目だったと思う。 市電を終点で降りて古めかしい木造の大学附属病院の前を右へ折れ、グラウンドにそってすこし行くと如来寺というお寺の脇に出る。 そこを道なりに左折し、さらに右へ曲って歩いてゆくと、突然、左手に異様に高い煉瓦塀が、夢の中の風景のように現われる。 風雨にさらされて、やや黒ずんだ感じの煉瓦塀だった。 最初にそれを目にしたときの不思議な印象は、今でもはっきりと憶えている。 弁当忘れても傘忘れるな、と言われるぐらい雨天の多い土地だ。 どんよりと低くたれこめた雨雲を背景に、正確な遠近法で続く煉瓦塀は、なぜか私にカフカの小説の中の風景を連想させた。 それが明治四十年に作られた金沢刑務所の外界だと知ってからは、私の中にその煉瓦塀が金沢という町の一つの象徴的なイメージとしてこびりつき、ながく離れなかった。 ……私たちの住む部屋の窓からは、刑務所の塀の一部と、その折のかなたにそびえる奇妙な木造の塔が挑められた。 どうやらそれは、徒刑者を監視するための監視塔であるらしい。 天気のいい夕方など、その角ばった塔のガラス窓が夕焼け色に光って見えた。 旧金沢刑務所の塀は全くなくなっており、五木寛之がよく写真に移っていた面影はなにもありませんでした。 この金沢刑務所(東山荘)は金沢市内の繁華街、香林坊からは少し離れていて、歩いて40分(2.8Km)程です。 「東山荘」は金沢大学医学部保健学科の右側の道を少し入った所にあります。 金沢刑務所は市内から少し離れた所に移転していますがなどの一部の建物は名古屋の明治村に移設しています。 <ローレンス> 五木寛之は、金沢時代、金沢の繁華街である香林坊や片町の喫茶店に足しげく通います。 「…私が金沢で書きあげた最初の小説は、幸運にも(小説現代)の新人賞に入選した。 ……私が市内の契茶店によく立ち寄るようになったのは、その頃からだった。 最初は(郭公)、それからスタンド・バーで昼間だけ喫茶になる(蜂の巣)、やがて新しく出来た(ローレンス)などが私の行きつけの店だった。 喫茶店といえば、ひとつ思い出がある。 あれはたしか(金劇)の地下の喫茶店だったはずだ。 その店にくる客で、ツケにして帰る客が結構いるのである。 ……「小立野の五木やけどね」と、私は席を立ちながら言った。 「このコーヒー、ツケといてくれんか」「イッキさん? どこのイツキさんや」女の子はけげんそうに首をひねり、カウンターの下から何か電話張のような分厚い本をとり出した。 「小立野のどのへん?」と、彼女は私にきいた。 「五丁目。 東山荘というアパートや」私も金沢弁ふうに真似て答えた。 …「刑務所のすぐ裏やね。 東山荘、イツキさん、と。 あ、わかった。 五の木と書くんやろ」「そう」「はい、承知しました」彼女は本をバサッと閉じてうなずいた。 ……私が背中がこそばゆい感じでその店を出るとき、背後で女の子がバーテンダーに告げる声がきこえた。 「刑務所裏の五木さんやて」…」、いい時代でしたね。 ここで書かかれている喫茶店の「郭公」、「蜂の巣」は既にありません。 ローレンスが、かろうじて残っているだけです。 40年の歳月は街を変えてしまっています。 「郭公」の所在地には、が、「蜂の巣」の場所は、に変わっていました。 40年前は新築のビルで、真新しい喫茶店だったのだとおもいます。 現在は、(大分くたびれて、空室が目立つビルになっています)います。 代わりにクッキー等が付いていました。 残念でした。 この喫茶店も後継者がいないようで、またビルも古くなって、メンテナンス状態が良くなく、長くもたない、とおもいます。 訪ねてみたい方は早めにいかれた方が良いかとおもいます。 < 直木賞受賞> 五木寛之は昭和42年2月、第五十六回直木賞を受賞します。 当時の金沢での状況が、本人の日記から詳細に分かります。 「一月十二日 北国新聞夕刊に芥川・直木賞候補作品発表されている。 直木賞に陳舜臣民がはいっている。 自分に決まらなければ、陳氏がもらうだろう。 芥川賞候補には、宮原昭夫、古賀珠子と二人の早大露文科出身者がいる。 夜、小立野の宇野魚店で、サワラ一本を買い、片身を刺身、片身を焼いて食う。 三百七十円也。 一月二十三日 朝からざわついている。 TBSのスタッフ四名、十二時半に来宅。 部屋にライトをセットしたり大変だ。 ……友人、ジャーナリスト各氏から電話しきり。 六時半、(ローレンス)へ行く。 TBS、カメラをすえ、インタビュー。 のち、選考の結果を電話でうける所をとるという。 七時十分、TELあり小林氏。 少し待ってもらい、七時十五分、井上氏よりTELで「受賞おめでとう」。 豊田、杉村、小林民らも出る。 カメラが回っている。 客がシャンパンをぬいた。 …」、かなりの確率で直木賞を貰えると思っていたようです。 やはり、小説家は自信家でないとだめですね。 受賞連絡の瞬間も、本人はたんたんと日記で書いています。 また、当時の事をローレンスのママも語っています。 「ある日の夕方、「ローレンス」 の店内に、突然テレビ局の数人の男たちが撮影の機材を持ちこんできた。 主人が驚いて訳を訊くと、今夜、五木さんも候補になっている直木賞の発表があるのだという。 そうこうしているうちに、当の五木さんも、あわてて顔を見せた。 七時が近づいていた。 やがてレジのそばの電話が鳴った。 主人はまだ酒屋から戻つて来ない。 TVのカメラが回り始めた。 店のママが受話器をとり、五木さんと代った。 「いかがでしたか」と、電話を終えた五木さんに、ママは訊ねた。 「ありがとうどざいます。 お陰様で」と、新直木賞作家はママへ深く頭をさげた。 四、五人いた店の客から大きな拍手が湧きあがった。 そのとき主人がドアを押して、シャンペンを抱えて入って来た。 受賞の瞬間というのは、何時聴いても、いいものです。 当時の直木賞の選考委員は海音寺潮五郎、川口松太郎、源氏鶏太、今日出海、柴田錬三郎、中山義秀、松本清張、水上勉、村上元三で、そうそうたるメンバーです。 なんでも電話局(NTTか)から新しい電話に変えてくれと言われたそうですが、頑張ってそのままにしているそうです。 11月末に金沢を訪ねる機会がありましたので、休日の日曜日一日掛けて五木寛之が歩いた金沢を巡ってきました。 書き出しは、 「小松空港に降りて、最初目についたのはススキだった。 久しぶりに地平線というものを見た。 …」、漫画家というものは、一日中家の中で漫画を描いているのだろうか。 「…なにしろ古都金沢を、憂愁の作家五木寛之先生に案内してもらうことになっているのですからね。 ……車が旅館の前にとまる。 旅館らしくない、小さなしもたや風の造りではあるが、やはり伝統のある旅館であるという。 聞くところによると、一流の人しか泊めないという畏れ多い旅館だという。 二流の人は、おびえて玄関にドタバタところげこむ。 この旅館で、五木さんがぼくを待ちうけてくださっているのだ。 ……五木さんは、ちょうど風呂から上がったところで、白い浴衣でぼくらを迎えてくださった。 数冊の本を脇に、静かに端坐しておられる。 この白い浴衣が、またすつごく似合うんだなあ。 床の間には、由緒ありそうな掛け軸が、由緒ありそうに掛かっている。 由緒ありそうな置物、由緒ありそうな垂には由緒ありそうな花が活けてあり、座卓も由緒ありそうな黒い漆塗りのものである。 どこもかしこも由緒だらけである。 …「金沢の人はね」と五木さんがいう。 「こういう器とか書画骨董なんかには、わりにうるさいんですよ。 ……「さつきお風呂に入りましたが、やはり木のお風呂はいいですなあ」、「そうでっしゃろ。 やはりお風呂は檜に限りますがな」、「ムムッ、やはりあれは檜であったか」、「あの湯桶な、あれは京都のたる源の桶でな」、「たる源!うん女性週刊誌で読んだことあるぞ、なんでも名のある桶作りの名人とか」かように、ここ金沢では、身動き一つするたびに、名器名作とわたりあわねばならないのである。 なんでもかんでも一流品なのだ。 二流の人は赤面するばかりである。 …」、面白いですね。 続きは本を読んで下さい。 因みに、「たる源」とは、京都の桶、樽を作る有名なお店です。 風呂桶で3万円から4万円します。 なかなか面白いエッセー集です。 <石引通り> 五木寛之は、東山荘時代、アパートから近くの石引通りにある風呂屋や貸本屋、おでん屋に通います。 五木寛之のエッセイ「小立野刑務所裏」では、 「…東山荘には風呂がなかったので、私は週に何回か、手拭いをさげて銭湯に通った。 小立野の坂の入口にある(亀湯)という銭湯は、見晴らしがよく、私は大いに気に入っていた。 少し懐が暖かいと、(わか葉)というおでん屋に顔を出した。 金沢のおでんは独特である。 冬場はコウバコというズワイ蟹の雌がうまい。 香りのいい芹もよかった。 亀湯のことを、地元の人たちは濁って、ガメ湯と呼んでいたようだ。 ガメ湯からあがって、きびしい寒気のなかを(わか葉)に駆けこむ気分は最高だった。 ふた月に一篇ずつくらい小説が活字になるようになってくると、それくらいの豪遊は不可能ではなかった。 小説を書いていて良かった、と、そんな時に思ったものだった。 …」、と書いています。 おでんで幸せになれたんですね!また、面白半分増刊号の「五木寛之の下宿探訪記」では、 「…石引通りの道に面して、橘書店という小さな貸本屋があった。 五木さんは頻繁にこの店へかよい、本を借りて帰った。 店の奥に中年のおばさんが座っている。 五木寛之さんが、よく来られたそうですが、と訊ねると、「ええ、あれはいつ頃でしたかねえ、よく覚えていますよ。 毎日のように来てくれまして、こんなに小説本を(と、十冊くらいの高さを示して)1度に借りて行くんですよ。 多いときは、お昼まえに借りて、それを夕方にはもう返しに来られて…」、おばさんの眼には、最初、学生にしては老けて見えるし、それにしても余程何もすることがないヒマな男に思われたそうだ。 五木さんはいつも下駄履きで店内に現われた。 店の前にある銭湯「亀乃湯」の帰りなのか、濡れた手拭をぶらさげている日もあった。 …」、とも書かれています。 当時の「亀の湯」のあった石引通りは、新しい通りが出来て、町並みが変わってしまっていました 「亀の湯」は西に200m移転し「石引温泉 亀の湯」となっています。 昔はこの写真の交差点はなく、左右の道が新しく出来ていました。 貸本屋の橘書店も無くなっていましたが、だけは残っていました(写真正面空き地の左隣)。 <わか葉> 2018年5月23日 「若葉」を追加 五木寛之が金沢時代によく通ったおでん屋 若葉を訪ねました。 訪ねたのは2016年5月で、改版が遅れてしまいました。 五木寛之のエッセイ「小立野刑務所裏」では(上記と同じ)、 「…東山荘には風呂がなかったので、私は週に何回か、手拭いをさげて銭湯に通った。 小立野の坂の入口にある(亀湯)という銭湯は、見晴らしがよく、私は大いに気に入っていた。 少し懐が暖かいと、(わか葉)というおでん屋に顔を出した。 金沢のおでんは独特である。 冬場はコウバコというズワイ蟹の雌がうまい。 香りのいい芹もよかった。 亀湯のことを、地元の人たちは濁って、ガメ湯と呼んでいたようだ。 ガメ湯からあがって、きびしい寒気のなかを(わか葉)に駆けこむ気分は最高だった。 ふた月に一篇ずつくらい小説が活字になるようになってくると、それくらいの豪遊は不可能ではなかった。 小説を書いていて良かった、と、そんな時に思ったものだった。 …」、と書いています。 時間が早かったのでガラガラでした。 を頼んで愉しみました。 と、を掲載しておきます。 札は昔からだそうで、五木寛之もこの札で精算したかもしてません。 <精神病院の裏手と警察学校の裏手> 五木寛之は直木賞を受賞後、東山荘から配偶者の実家である病院の横(五木寛之は裏手と書いています)の一軒家に転居します。 五木寛之のエッセイ「小立野刑務所裏」では、 「…私のほうもやがて小説の仕事が忙しくなると、東山荘を出て一軒家に移り住んだ。 その家は精神病院のすぐ裏手にあって、時どき患者さんが遊びに来たりもした。 そこにしばらく住んだ後、今度はさらに小立野台地のほずれに住んだ。 その家は借家だったが二階家で、目の前が警察学校のグラウンドになっていた。 金沢で三度うつり住んだそれぞれの場所が、刑務所裏、精神病院裏、警察学校裏、とつづくのも妙である。 …」、と書かれています。 この家は金沢大学工学部の裏手になり、東山荘からは、僅か500m程の距離です。 直木賞作家が、あの東山荘では格好がつかなかったのでしょう。 その後、金沢差異だの家、警察学校の裏手の二階家に転居します。 此方も、精神病院の裏手からは700m位の距離です。 正面の建物が病院で、丁度正面辺りに五木寛之が住んだ家が建っていました(駐車場の所)。 横浜に転居する前に住んでいた、警察学校の裏手は、現在はすっかり変わってしまっており、昔の面影は全くありません。 写真では、の道を撮影しておきました。 東山荘の頃は、かなり厳しい生活をしていたようです。 そう した状況の中でも、かれは、片町や香林坊の本屋にしばしば通っています。 「…私は一日の小遣いを三十円と限定し、その枠を守って暮した。 金沢の町は本屋さんが多いのが特徴である。 私は電車やバスを使わず、下駄や長靴をはいて、歩いて香林坊の繁華街へ出、北国書林、宇都宮書店、福音館、と順ぐりに回つたのち、裏通りの古本屋を一軒ずつのぞいて歩いた。 そして帰りに 今川焼を買うか、大学前の貸本屋さんで本を借りるかして、刑務所の長い煉瓦塀の横を通り、アパートへもどるのだった。 コーヒーを飲むためには二日か三日、一円も使わずに我慢しなければならなかった。 私ならば、バイトをして稼ごうとおもってしまいますが、五木寛之はそうは考えずに、ひたすら小説を書いていたわけです。 週刊朝日篇の「戦後値段史年表」によると、昭和40年の東京のコーヒー代は80円、週刊朝日が50円、銀行員の初任給が2万5千円でした。 東急ホテルの左隣の109と東急ホテルのところが区画整理されてしまいました。 私も昔の香林坊を知っているのですが、風景か変わってしまっています。 <宇都宮書店> 金沢では宇都宮書店がかなり有名です。 「…その頃、(北国書林)や、(宇都宮書店)によく行った。 両方とも北陸で屈指の大書店である。 宇都宮書店では、かって泉鏡花もよくツケで本を買込んでいたという。 …」、前回は喫茶店でのツケの話をしましたが、本屋でツケがきくとは思いませんでした。 泉鏡花だからだったのかもしれませんが、現在ではむりとおもいますが、当時はいい町だったのですね。 五木寛之が通っていた本屋は、あと二軒です。 一軒目のはアトリオの正面の第一生命ビルの一階です。 もう一つの本屋の北斗書房は無くなっていました。 福音館から香林坊交差点へ少し歩いた所だったのですが、現在はIWAMOTOビルになっていました。 香林坊からすこし町中に入った所にあります。 次回は「続、五木寛之の金沢を歩く」をお送りします。

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五木寛之の名言

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関連キーワード• 朝日新聞紙面に掲載されている用語解説から関連するものをお届けします• 幻冬舎 (2011年02月26日 朝刊) 角川書店の名物編集者だった見城徹氏を中心に1993年に設立。 たくみな話題づくりで、石原慎太郎「弟」、 五木寛之「大河の一滴」、郷ひろみ「ダディ」などをヒットさせた。 新書や文庫、コミック、雑誌も手がける。 2003年にジャスダック市場に株式を公開した。 10年3月期連結決算は売上高131億円、純利益9億円。 坪田譲治文学賞 (2011年03月02日 朝刊) 岡山市出身の児童文学作家、坪田譲治にちなむ。 26回目の今回は、昨夏までの1年間に刊行された99作品から5作品が予備選考を通過し、作家の 五木寛之さんらが選考した。 副賞100万円。

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五木寛之さんの場合。【うつ病の芸能人・有名人】

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この にはなが不足しています。 の提供に協力をお願いします。 存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的にあるいは有害となるものは すぐに除去する必要があります。 ( 2013年5月) 五木 寛之 (いつき ひろゆき) 五木 寛之 (いつき ひろゆき) 誕生 松延 寛之 (まつのぶ ひろゆき) 1932-09-30 (87歳) 職業 国籍 ・ 最終学歴 中退 活動期間 - - - ジャンル ・ 代表作 『』(1966年) 『』(1967年) 『』(1968年 - 1976年) 『』(1970年 -) 『』(1976年) 『』(1979年) 『』(1998年、随筆) 『親鸞』(2010年) 主な受賞歴 (1966年) (1967年) (1976年) (2002年) (2004年) (2009年) 特別賞(2010年) デビュー作 『さらばモスクワ愚連隊』(1966年) 配偶者 あり( - 現在) 五木 寛之(いつき ひろゆき、 - )は、の・。 出身、旧姓は 松延(まつのぶ)。 や・に関する著作も多い。 経歴 [ ] 生い立ち [ ] 、の松延信蔵とカシエの長男としてに生まれる。 生後まもなくに渡り、父の勤務に付いて、など朝鮮各地に移る。 少年時代は、父から古典の素読や、を教えられた。 終戦時はにいたが、進駐の混乱の中では母死去、父とともに幼い弟、妹を連れてを越えてに脱出し、に福岡県にる。 引き揚げ後は父方の祖父のいる、八女郡などを転々とし、行商などのアルバイトで生活を支えた。 1948年に(旧制)福岡県立八女中学校に入学、やを読み出し、同人誌に参加してユーモア小説を掲載。 に入学、、などを読み、テニス部と新聞部に入って創作小説や映画評論を掲載した。 1952年にに入学。 に教えを受け、などを読み漁り、また音楽好きだった両親の影響で、とにも興味を持った。 生活費にも苦労し、住み込みでのの配達など様々なアルバイトやをして暮らした。 『凍河』『現代芸術』などの同人誌に参加し、また詩人のとも知り合う。 に学費未納でを抹籍された(後年、として成功後に未納学費を納め、抹籍から中途退学扱いとなる)。 また、この頃に父を亡くす。 作家として [ ] 大学抹籍以降、創芸プロ社でラジオのニュース番組作りなどいくつかの仕事を経て、業界紙『交通ジャーナル』編集長を務めるかたわら、知人の音楽家加藤磐郎の紹介での主宰する三芸社でジングルのヴァース(CMソングの詞部分)の仕事を始める。 CMの仕事が忙しくなって新聞の方は退社し、CM音楽の賞であるABC賞を何度か受賞。 PR誌編集や、『』『地上』誌などでルポやコラム執筆、テレビ工房に入り放送台本作家となりTBS「」などのテレビやラジオ番組の構成を行う。 また野母祐、小川健一と3人で「TVペンクラブ」を立ち上げ、NHKテレビ「歌謡寄席」制作、「うたのえほん」「いいものつくろ」構成などを手がける。 の依頼で創作ミュージカルを書き、創立に際して専属作詞家として迎えられ、学校・教育セクションに所属し、童謡や主題歌など約80曲を作詞した。 には、選出の(のち)の娘で、学生時代から交際していた岡玲子と結婚、夫人の親類の五木家に跡継ぎがなかったからか五木姓を名乗る。 での仕事を片付けて、1965年にかねてから憧れの地であったやを妻とともに旅する。 帰国後は精神科医をしていた妻の郷里金沢で、マスコミから距離を置いて生活、小説執筆に取りかかる。 、モスクワで出会ったジャズ好きの少年を題材にした 『』により、第6回を受賞、続いて同作で候補となる。 に作家の小説出版を巡る陰謀劇『』で、第56回直木賞を受賞。 同年『』連載したエッセイ『風に吹かれて』は、刊行後からまでの単行本・文庫本の合計で460万部に達した。 1967年には『青年は荒野をめざす』を『』に連載し、同名の曲を自身の作詞でが歌ってヒットした。 この頃から禁煙。 には雑誌『週刊現代』で『』掲載を開始した。 金沢で、泉鏡花記念金沢市民文学賞の設立に関わり、創設以来審査委員を務める。 1970年にに移り、またテレビ番組『』で、、らと制作に加わった。 1966年にはをモデルにした小説「艶歌」を発表。 音楽ジャンル「」の確立に大きくかかわる。 休筆以後 [ ] から一度目の休筆に入り、その間の1973年に『』編集長を半年間務める。 に執筆活動を再開。 の「」の翻訳を刊行、ベストセラーとなる。 、でエッセイ『流されゆく日々』の連載を開始した。 このエッセイは、2014年現在も続く長寿連載となる(に連載8000回の世界最長コラムとしてに認定、には連載10000回を達成)。 ただし、このエッセイは1週間にわたって引用が続くこともあるなど、自著や過去の連載記事を引用することが多い。 この頃からに悩まされるようになる。 、『・筑豊編』により、第10回を受賞。 からは再び執筆活動を一時休止し、のとなり、仏教史を学ぶ。 に山岳民の伝説を題材にした『風の王国』で、執筆活動を再開した。 1987年に、1988年に、、1990年に、1992年にロシアなど、世界各地を精力的に回る。 吉川英治文学賞、、選考委員なども務め、特に直木賞は1978年から32年間に渡り務めた。 には『』がベストセラーとなり、に同タイトルが映画化されるなど、五木を知らない世代にも五木の名を知らしめた。 また、にはそれまでの執筆活動に対してを受賞した。 2003年に全国の寺院を巡り『百寺巡礼』執筆。 にはを受賞した。 にはを受賞した。 には『親鸞』上・下により、第64回特別賞を受賞した。 年譜 [ ]• にて誕生。 (旧制)福岡県立八女中学校入学。 1952年 入学。 早稲田大学第一文学部抹籍。 (まで)• (まで) 賞歴 [ ]• :第6回(『』)• :第56回(『』)• 1970年 「鳩のいない村」()で作品賞• :第10回(『・筑豊編』)• :第64回特別賞(『親鸞』上・下)• :・功労賞 選考委員 [ ]• 1970-84年• 1971-2017年• 1971-86年• 1972-73年、1975年• 1973-2017年• 1975年• 1978-2010年• 1980-81、91-94年• 1988-2017年• 1988-2017年• 1991-2017年• 1993-96年• 1997-2000年 また『』編集長時代には「日本腰巻文学大賞」を創設している。 作品 [ ] 小説 [ ] 初期作品には、朝鮮から引き揚げて福岡、、金沢と移り住んだ経歴からくるデラシネの思想が滲む。 ジャズをテーマにしたデビュー作「さらばモスクワ愚連隊」「GIブルース」そして長篇「海を見ていたジョニー」などや、演歌の世界を描いた「艶歌」など音楽を題材にしたもの、憧れの地であった北欧を舞台にした「霧のカレリヤ」などがある。 これらは『』『』などのに発表されたが、五木自身は作品集『さらばモスクワ愚連隊』後記で「自分の作品を、いわゆる中間小説ともとも思ってはいない。 私はに対応する、つまり〈読物〉を書いたつもりである。 」と述べている。 「蒼ざめた馬を見よ」は1966年にとが作品を西側で出版して逮捕された事件に着想を得て、「的なスケールの大きさ」「地理的なスケールをこえて、近来に類を見ない精神宇宙のサスペンス・ドラマ」「詩的で熱っぽく潔癖な文章」( )、「人間の、人間に対する差別、人間に対する侮辱、残酷さ、(略)それを描こうとするあなたの文学を読んでいると、ものすごい未来を感じるんだ」( といった賞賛を得た。 初の週刊誌連載『青年は荒野をめざす』は、『』をモデルにしたジャズミュージシャンの海外遍歴小説で、連載開始時には「現代のインターナショナルなものと、ナショナルなものの衝突を試みよう」と語っており、また連載終了時に続編を書くつもりでいたが、ついに書かれることはなく、これはインターナショナルなものの核として捉えられていたジャスが、その後の音楽シーンの変化においてアメリカの国粋音楽として国家と権力の保護下に置かれるようになったという五木の見解によるとも指摘されている。 金沢地代にに関心を持ち、1967年に『』に連載した『狼のブルース』から、『裸の町』『戒厳令の夜』へと続く、現代史を題材にとった系列がある。 また少年期から居住地を転々と変えたことから、非定住、放浪の生活への関心が強く 、1968年にただ中のに旅行した時の体験を踏まえた『デラシネの旗』などがある。 1967年の『恋歌』以後『ソフィアの秋』『内灘夫人』などのを発表、『』に連載した『水中花』『夜明けのタンゴ』『冬のひまわり』『哀しみの女』はネオ・シティロマンと称された。 『凍河』のあとがきでは「革命だの学問だのが男子一生の仕事であるならば、男と女の惚れたはれたもまた人生の大事業だ。 」と記している。 「こがね虫たちの夜」(1969年)は学生時代の、同学の友人、、川崎彰彦、野川洸らとの生活をモデルにしたもの。 『青春の門』は少年時代に住んだを舞台に、独特の「キリクサン」と呼ばれるきびきびした気質を受け継いだ主人公の成長を追う的な作品で、第八部まで書き継がれる大作となった。 金沢を舞台にした作品には『』(が舞台)、『風花のひと』(尾山町が舞台)、『朱鷺の墓』(や東山茶屋街が舞台)、『聖者が街へやってきた』(や中央公園が舞台)、『小立野刑務所裏』、『金沢望郷歌』などがあり、『内灘夫人』ではかつて学生時代にを経験した女性の生き方を描いている。 『恋歌』でも内灘出身の女性が出てくる。 2度目の休筆中に「真宗王国」の基礎をつくったに関心を持ち、とともに、講演、エッセイ、戯曲などで取り上げており、テレビ『』で語った内容を『蓮如 聖俗具有の人間像』として刊行された。 戯曲『蓮如 われ深き淵より』は蓮如五百回忌記念公演で、主演で上演された。 『さらばモスクワ愚連隊』(作品集) 1967年、のち角川文庫、新潮文庫• 『』(作品集) 1967年、のち文庫• 『海を見ていたジョニー』(作品集)講談社 1967年、のち新潮文庫• 『』文藝春秋 1967年(『平凡パンチ』1967年3月27日-10月30日号)、のち文庫• 『幻の女』(作品集)文藝春秋 1968年、のち文庫• 『裸の町』文藝春秋 1968年、のち文庫• 『男だけの世界』 1968年、のち角川文庫、中公文庫• 『恋歌』講談社 1968年、のち文庫• 『ソフィアの秋』(海外小説集)講談社 1969年、のち講談社文庫、新潮文庫• 『内灘夫人』 1969年、のち新潮文庫• 『』新潮社 のち新潮文庫(1970年、NHK連続ドラマ。 1973年、松竹現代劇)• 『朱鷺の墓 空笛の章』1969年、『朱鷺の墓 風花の章』1970年、『朱鷺の墓 愛怨の章』1972年• 『デラシネの旗』文藝春秋 1969年、のち文春文庫• 『ヒットラーの遺産』(作品集)光文社 1969年、のち講談社文庫• 『涙の河をふり返れ』(作品集)文藝春秋 1970年、のち文春文庫• 『狼のブルース』講談社 1970年(『スポーツニッポン』1967年3月1日-9月30日)、のち、講談社文庫• 『にっぽん漂流』文藝春秋 1970年、のち文春文庫• 『こがね虫たちの夜』(作品集) 1970年、のち角川文庫、講談社文庫、旺文社文庫• 『』講談社、1970年-2016年、のち文庫、同新版• 筑豊篇 (1970年)• 自立篇 (1971年-1972年)• 放浪篇 (1973年-1974年)• 堕落篇 (1976年-1977年)• 望郷篇 (1979年)• 再起篇 (1980年)• 挑戦篇 (1993年)• 風雲篇 (2016年)• 『樹氷』文藝春秋 1970年 のち文庫• 『白夜物語』(北欧小説集) 1970年、のち文庫• 『四月の海賊たち』(作品集)文藝春秋 1971年、のち文庫、旺文社文庫• 『にっぽん三銃士』(上・下)新潮社 1971年、のち新潮文庫• 『ユニコーンの旅』(作品集)文藝春秋 1971年、のち文春文庫• 『わが憎しみのイカロス』文藝春秋 1972年、のち文春文庫• 『鳩を撃つ』新潮社 1972年、のち新潮文庫• 『変奏曲』新潮社 1973年、のち新潮文庫• 『夜のドンキホーテ』河出書房新社 1973年、のち角川文庫• 『箱舟の去ったあと』講談社 1973年、のち文庫• 『にっぽん退屈党』文藝春秋 1973年、のち文庫• 『スペインの墓標』 1976年、のち、「哀愁のパルティータ 南欧小説集」集英社文庫• 『戒厳令の夜』新潮社 1976年、のち新潮文庫• 『凍河』文藝春秋 1976年、のち文庫、集英社文庫• 『海峡物語』講談社 1977年、のち文庫、双葉文庫• 『恋歌』講談社 1977年、のち文庫• 『』角川書店 1977年、のち文庫• 『燃える秋』角川書店 1978年、のち文庫、講談社文庫、集英社文庫• 『日ノ影村の一族』文藝春秋 1978年、のち文庫• 『』文藝春秋 1978年、のち文庫• 『風花のひと』講談社 1979年(『小説現代』1979年1-5月号)、のち文庫• 『』新潮社 1979年、のち文庫• 『』 1979年(『』1977年7月-1979年7月号)、のち文庫• 『四季・波留子』集英社 1987年、のち文庫• 『四季・布由子』集英社 1992年、のち文庫• 『四季・亜紀子』集英社 2000年、のち文庫• 『男と女のあいだには』新潮社 1979年、のち文庫• 『夜明けのタンゴ』新潮社 1980年、のち文庫• 『さかしまに』文藝春秋 1981年、のち文庫• 『鳥の歌』講談社 1982年(『読売新聞』1977年10月28日-1978年10月15日)、のち文庫、集英社文庫• 『風の王国』新潮社 1985年、のち文庫• 『冬のひまわり』新潮社 1985年、のち文庫• 『ヤヌスの首』文藝春秋 1985年、のち文庫• 『メルセデスの伝説』講談社 1985年、のち文庫• 『旅の幻灯』(自伝小説)講談社 1986年、のち文庫• 『哀しみの女』新潮社 1986年、のち文庫• 『旅の終りに』 1986年、のち講談社文庫、双葉文庫• 『疾れ! 逆ハンぐれん隊』part 1-13 講談社 1986年-1990年、のち文庫• 『ガウディの夏』角川書店 1987年、のち文庫• 『朱夏の女たち』 1987年、のち新潮文庫• 『大人の時間』新潮社 1987年、のち文庫• 『フランチェスカの鐘』新潮社 1988年、のち文庫• 『』角川書店 1988年、のち文庫、集英社文庫• 『奇妙な味の物語』集英社 1988年、のち文庫• 『金沢望郷歌』文藝春秋 1989年、のち文庫• 『野火子の冒険』角川書店 1990年、のち文庫• 『ワルシャワの燕たち』集英社 1991年、のち文庫• 『晴れた日には鏡をわすれて』角川書店 1992年、のち文庫• 『レッスン』光文社 1992年、のち新潮文庫• 『ステッセルのピアノ』文藝春秋 1993年、のち文庫• 『蓮如 われ深き淵より』中央公論社、1995年(『中央公論』1995年1-4月号)のち文庫(戯曲)• 『蓮如物語』角川書店 1995年、のち文庫• 『物語の森へ 全・中短篇ベストセレクション』 1996年• 『五木寛之クラシック小説集』全5巻(CD book)小学館 1996年• 『ハオハオ亭忘憂録』角川書店「ハオハオ! 」文庫 1998年• 『旅の終りに』文藝春秋(平成劇シリーズ) 2002年、のち文庫• 『サイレント・ラブ』角川書店 2002年• 『親鸞』(上・下)講談社 2010年、のち文庫• 『親鸞 激動篇』(上・下)講談社 2012年、のち文庫• 『怨歌の誕生』(短編集)双葉文庫 2013年• 『親鸞 完結篇』(上・下)講談社 2014年、のち文庫• 第1回渋谷では、らがゲスト、第2回原宿では、、、第3回早稲田、第4回帯広、第5回銀座、第6回福岡で開催された。 (『歌いながら夜を往け』) 1999年に『』で、とのローマでの対談「異邦人対談」を1年間連載。 好きな俳優として、、、、を挙げている。 (『おとな二人の午後』)• 『風に吹かれて』 1968年、のち角川文庫。 のち新潮文庫、講談社文庫、潮文庫、旺文社文庫、集英社文庫。 『五木寛之の本』、1970年• 『ゴキブリの歌』、1971年。 のち新潮文庫、講談社文庫、集英社文庫。 『地図のない旅』講談社、1972年。 のち文庫、角川文庫、新潮文庫、集英社文庫。 『深夜の自画像』創樹社、1974年。 『視想への旅立ち』河出書房新社、1975年。 のち文庫。 『異国の街角で』、1975年。 のち集英社文庫。 『深夜草紙』全6巻、、1976年~1981年。 のち文春文庫。 『男が女をみつめるとき』、1979年。 のち集英社文庫、講談社文庫。 『重箱の隅』文藝春秋、1979年重箱(『夕刊フジ』1975年12月10日-1976年4月11日)、のち文庫。 『なにを飲みますか? 女と男のスクランブル会話帖』、1980年• 『歌いながら夜を往け 五木寛之論楽会』、1981年。 のち集英社文庫。 『ポケットの中の記憶 エッセイ抄』主婦と生活社、1982年。 のち集英社文庫。 『流されゆく日々』全10巻、、1983年~1985年。 のち講談社文庫。 『忘れえぬ女性たち』集英社、1985年。 のち改題『ふりむかせる女たち』角川文庫、1995年。 『ふり向けばタンゴ』、1987年。 のち文春文庫。 『僕のみつけたもの』集英社、1988年。 のち文庫。 『よみがえるロシア ロシア・ルネッサンスは可能か?』文藝春秋、1992年。 のち文庫。 『世界漂流』集英社、1992年。 のち文庫。 『午後の自画像』角川書店、1992年。 のち文庫。 『ちいさな物みつけた』集英社、1993年。 のち文庫。 『日本幻論』新潮社、1993年(講演集)、のち文庫。 『生きるヒント』全5巻、、1993年~1997年。 のち角川文庫。 『風の旅人への手紙』、1993年。 のち改題『旅人よ!』角川文庫、1996年。 『蓮如 聖俗具有の人間像』、1994年• 『みみずくの散歩』、1994年。 のち文庫。 『風の幻郷へ 全エッセイ・ベストセレクション』東京書籍、1994年• 『みみずくの宙返り』幻冬舎、1994年。 のち文庫。 『若き友よ。 若い友人への28通の手紙』幻冬舎、1995年。 のち改題『友よ。 』幻冬舎文庫、1998年。 『日記 十代から六十代までのメモリー』岩波新書、1995年• 『青い鳥のゆくえ』朝日新聞社、1995年。 のち角川文庫。 『デビューのころ』集英社、1995年。 のち改題『僕はこうして作家になった』幻冬舎文庫、2005年。 『こころ・と・からだ』集英社、1996年。 のち文庫。 『他力 大乱世を生きる一〇〇のヒント』講談社、1998年。 のち講談社文庫、幻冬舎文庫。 『夜明けを待ちながら』東京書籍 1998年。 のち改題『人生案内』角川文庫、2000年。 のち原題に再改題、幻冬舎文庫。 『』幻冬舎、1998年。 のち文庫、幻冬舎新書ゴールド。 『風の記憶』角川書店、1999年。 のち文庫。 『人生の目的』幻冬舎、1999年。 のち文庫。 『知の休日 退屈な時間をどう遊ぶか』集英社新書、1999年• 『こころの天気図』講談社 2000年、のち文庫。 『よろこびノートかなしみノート』、2000年• 『風の言葉 五木寛之ベストセレクション』東京書籍、2001年• 『日本人のこころ』全6巻、講談社、2001年~2002年• 『情の力 日本人のこころ抄』講談社、2002年• 『愛に関する十二章』角川書店、2002年。 のち改題『愛について:人間に関する12章』角川文庫、2004年。 『運命の足音』幻冬舎、2002年。 のち文庫。 『不安の力』集英社、2003年。 のち文庫。 『百寺巡礼』全10巻、講談社、2003年~2005年。 のち文庫。 『みみずくの夜メール』全2巻 朝日新聞社 2003年~2005年。 のち幻冬舎文庫。 『生きる言葉 五木寛之のパワートーク』幻冬舎、 2003年• 『百の旅千の旅』小学館、2004年• 『旅のヒント』東京書籍、2004年• 『元気 人はみな元気に生まれ元気の海へ還る』幻冬舎、2004年。 のち文庫。 『養生の実技 つよいカラダでなく』角川oneテーマ21、2004年• 『みみずくの日々好日』幻冬舎、2004年• 『五木寛之こころの新書』全11巻、講談社• 『天命』東京書籍、2005年。 のち幻冬舎文庫。 『同行二人帖 五木寛之の百寺巡礼』講談社、2006年• 『新・風に吹かれて』講談社、2006年• 『21世紀仏教への旅』• インド編 講談社、2006年• 朝鮮半島編 講談社、2007年• 中国編 講談社、2007年• ブータン編 講談社、2007年• 日本・アメリカ編 講談社、2007年• 『林住期』幻冬舎、2007年。 のち文庫。 『わが人生の歌がたり 昭和の哀歓』角川書店、2007年。 のち文庫。 『わが人生の歌がたり 昭和の青春』角川書店、2008年。 のち文庫。 『人間の関係』ポプラ社、2007年。 のち文庫。 『僕が出会った作家と作品 五木寛之選評集』東京書籍、2010年• 『悲しみの効用』祥伝社、2011年• 『下山の思想』、2011年• 『海外版 百寺巡礼』(全6巻)講談社 2011年• 『新老人の思想』幻冬舎新書、2013年• 『孤独の力』東京書籍、2014年• 『杖ことば ことわざ力を磨くと逆境に強くなる』学研パブリッシング、2014年• 『五木寛之の金沢さんぽ』講談社、2015年• 『養生のヒント』中経出版、2015年• 『余命 これからの時間をいかに豊かに生きるか』祥伝社、2015年• 『歌の旅びと』(上・下)潮出版社、2015年• 『嫌老社会を超えて』中央公論新社、2015年• 『自分という奇蹟』PHP研究所〈PHP文庫〉、2015年• 『ただ生きていく、それだけで素晴らしい』PHP研究所、2016年• 『はじめての親鸞』新潮社〈新潮新書〉、2016年• 『無意味な人生など、ひとつもない』PHP研究所、2017年• 『孤独のすすめ 人生後半の生き方』中央公論新社〈中公新書ラクレ〉、2017年• 「五木寛之とめぐる 金沢の四季ぬりえ』ワニブックス、2017年• 『五木寛之の百寺巡礼ぬりえ 京都 1』集英社、2017年• 『五木寛之の百寺巡礼ぬりえ 京都 2』集英社、2017年• 『百歳人生を生きるヒント』日本経済新聞出版社〈日経プレミアシリーズ〉、2017年• 『健康という病』幻冬舎〈幻冬舎新書〉、2017年• 『マサカの時代』新潮社〈新潮新書〉、2018年• 『人生百年時代の「こころ」と「体」の整え方』PHP研究所、2018年• 『七〇歳年下の君たちへ: こころが挫けそうになった日に』新潮社、2018年 共著・対談 [ ]• 『真夜中対談』、1971年。 のち改題『午前零時の男と女 五木寛之対話集 2』、1974年。 『白夜の季節の思想と行動』(対談集)、1971年。 のち角川文庫。 『現代への視角』(・) 三一新書、1972年• 『わが心のスペイン』(久野収・) 、1972年。 のち角川文庫。 『五木寛之討論集 箱舟の去ったあと』(、、久野収他) 講談社、1973年• 『帰りなんいざ…』(紀行対談 1)() 講談社、1975年• 『故郷まとめて…』(紀行対談 2)(松永伍一) 講談社、1977年。 のち改題『日本幻想紀行』講談社文庫、1979年。 『五木寛之雑学対談』 講談社、1975年• 『青空ふたり旅』() ペップ出版、1976年。 のち角川文庫。 『哲学に何ができるか 現代哲学講義』() 〈Lecture books〉、1978年。 『回廊での立ち話し 対談集』(編) 、1979年。 のち角川文庫。 『コンピュータ・ウォーズ コンピュータ文化講義』(西尾出) 朝日出版社〈Lecture books〉、1979年• 『紅茶に一滴のジンを アートをめぐる同時代表現者との対話集』 、1980年。 のち文庫。 『五木寛之風の対話集』 、1986年• 『遊談倶楽部』 集英社、1988年• 『風のホーキにまたがって 往復書簡集』() 、1991年。 のち改題『女の本音 男の本音』集英社文庫、1994年。 『生と死を考える 五木寛之対話集』、1995年。 のち改題『命甦る日に:生と死を考える』角川文庫、1998年。 『正統的異端 五木寛之対話集』深夜叢書社、1996年• 『風のように炎のように』(・) 、1997年• 『混沌からの出発 道教に学ぶ人間学』() 、1997年。 『おとな二人の午後』() 、2000年。 のち角川文庫。 『漂泊者のノート 思うことと生きること』() 法研、2002年• 『辺界の輝き 日本文化の深層をゆく』() 、2002年• 『長い旅の始まり』() 、2003年• 『気の発見』(対話) 2004年。 のち角川文庫。 のち徳間文庫カレッジ。 『神の発見』(対話) 平凡社、2005年。 のち角川文庫。 のち学研M文庫。 との共著『何のために生きるのか』、2005年• との共著『霊の発見』平凡社、2006年。 のち角川文庫、2010年。 のち学研M文庫、2013年。 のち徳間文庫カレッジ、2016年。 との共著『健康問答 本当のところはどうなのか?本音で語る現代の「養生訓」1』平凡社、2007年4月• 帯津良一との共著『健康問答 本当のところはどうなのか?本音で語る現代の「養生訓」2』平凡社、2007年12月• との共著『弱き者の生き方:日本人再生の希望を掘る』、2007年• との共著『西本願寺 新版 京都』、2008年• との共著『鬱の力』、2008年• との共著『息の発見』平凡社、2008年。 のち角川文庫、2010年。 のち学研M文庫、2013年。 のち徳間文庫カレッジ、2016年。 との共著『親鸞と道元』、2010年• との共著『仏の発見』平凡社、2011年。 のち学研M文庫、2012年。 のち徳間文庫カレッジ、2016年。 との共著『異端の人間学』幻冬舎新書、2015年• 『70歳! 人と社会の老いの作法』(対話)、2016年• との共著『聖書と歎異抄』東京書籍、2017年• との共著『われらマスコミ渡世人 こうして戦後を生きてきた』、2017年• 『短編伝説 めぐりあい』(他) 集英社文庫、2017年 翻訳 [ ]• 『』、1974年。 のち、1977年。 クライブ・W・ニコル『りんごの花さく湖』、1980年• ブルック・ニューマン『』、2001年。 のち、2006年。 ブルック・ニューマン『ロストターン』集英社、2005年• 『私訳 歎異抄』、2007年。 のち、2014年。 外国語訳 [ ]• 作品集 [ ]• 『現代長篇文学全集(第53)五木寛之』、1969年• 『五木寛之作品集』全24巻、、1972年~1974年• 『五木寛之小説全集』全35巻、講談社、1979年~1981年• 『五木寛之エッセイ全集』全12巻、講談社、1979年~1980年• 『五木寛之全紀行』全6巻、、2002年~2003年• 『平凡パンチ 五木寛之 時代を駆け抜ける作家』マガジンハウス 2015年(「真夜中のコーヒーブレイク」(『平凡パンチ』1976年)、との対談などを収録) 音楽作品 [ ] 作家デビュー前には「のぶひろし」のペンネームで多くのソングを作詞し、、、、、、、などを手がけ、「日本盛はよいお酒」の詞は長く使われた。 CM以外の詞も手がけた中には、日本石油の野球部応援歌、「国産品愛用の歌」などもある。 クラウンレコード時代の作品「そんな朝でした」(歌)は「ねむの木の子守歌」のB面として発売されてよい売り上げとなった。 立原岬のペンネームで「旅の終りに」()等も作詞した。 また、五木寛之の名では「青年は荒野をめざす」 、「金沢望郷歌」()、「愛の水中花」()などの作詞を手がけている。 数は少ないが作曲も行った作品があり、名義は「作詞・五木寛之、作曲・立原岬」としている。 作詞 [ ]• 星をさがそう(作曲:/歌:、1963年、「」発表)• 教えておくれ(曲、歌、1963年、「メロディー・ニッポン」発表)• 愛人(作曲:/歌:、)• てんてこママさん(作曲:越部信義/歌:、、、、1964年)• オリーブの故郷(作曲:越部信義/歌:山内久、1964年)• なかよし誕生日(作曲:/歌:ザ・マーガレット、1964年)• 星かげの浜辺で(作曲:たけだのりを/歌:、1964年)• 海底大戦争(作曲:/歌:、1964年)• 弾丸列車(作曲:/歌:、1964年)• 海を見ていたジョニー(作曲:/歌:、1967年)• (作曲:/歌:、)• 野火子(作曲:/歌:、1968年)• 艶歌(作曲:/歌:、1968年)• 鳩のいない村(作曲:/歌:、)• 愛しあう二人には(作曲:木下忠司/歌:、1969年)• 涙の河(作曲:/歌:、)• 二人の海峡(作曲:/歌:、)• 旅の終りに(作曲:/歌:、1977年)• 燃える秋(作曲:/歌:、)• 白夜わが愛(作曲:/歌:、)• 風花のひと(作曲:/歌:、1979年)• おれはしみじみ馬鹿だった(作曲:菊池俊輔/歌:、1979年)• (作曲:/歌:、1979年)• 夜明けのタンゴ(作曲:小松原まさし/歌:松坂慶子、)• インディアン・サマー(作曲:/歌:いまなりあきよし、1980年)• 四季・奈津子(作曲:/歌:、1980年)• ひとり暮しのワルツ(イタリア民謡/歌:、1980年)• 哀しみのフローレンス(作曲:/歌:、1980年)• あなたに逢いたい(作曲:/歌:、)• 別れよう(作曲:/歌:、)• 織江の唄(作曲:/歌:山崎ハコ、1981年)• 風の旅人(作曲:/歌:、大会10周年メモリアルソング、)• 鳳仙情歌(作曲:/歌:、)• 風が吹いてきたら(作曲:/歌:、)• ア・ドロップ・オブ・ウォーター(作曲:/歌:、)• 内灘愁歌(作曲:/歌:、2001年)• 内灘哀歌(作曲:/歌:、2001年)• 女人高野(作曲:/歌:田川寿美、)• 浅野川恋唄(作曲:山崎ハコ/歌:田川寿美、2002年)• 哀しみのワルツ(作曲:/歌:、2002年)• 鳥の歌(カタロニア民謡/歌:、2002年)• この世に人と生まれたからは(作曲:佐原一哉/歌:、2003年)• 雑草の泪(作曲:幸耕平/歌:田川寿美、2003年)• 夜間飛行(作曲:/歌:、2003年)• 星の旅びと(作曲:幸耕平/歌:、)• ふるさとの丘(作曲:/歌:、2004年)• ふりむけば日本海(作曲:/歌:五木ひろし、)• (作曲:/歌:、2005年)• (作曲:弦哲也/歌:、2005年)• 夜のララバイ(作曲:弦哲也/歌:、)• 思い出の街(作曲:/歌:松原健之、2006年)• あの町へ帰りたい(作曲:弦哲也/歌:松原健之、)• 冬の旅(作曲:/歌:、2007年)• 冬のひまわり(作曲:弦哲也/歌:松原健之、)• 愛のうた(作曲:/歌:松原健之、2008年)• 青春譜(作曲:/第75回高等学校の部課題曲、2008年)• 夜明けのメロディー(作曲:弦哲也/歌:、NHK・ラジオ深夜便の歌、)• 歌の旅びと(作曲:/歌:松原健之、)• グッバイ・ラヴ・ソング(作曲:/歌:中村中、)• 薄墨の桜(作曲:中村中/歌:、2013年)• 島に吹く風〜二見情歌〜(作曲:佐原一哉/歌:、)• 雪明かりの駅(作曲:/歌:松原健之、2015年)• きのう きょう あす(作曲:/歌:新井満、2015年)• 望春譜(作曲:新井満/歌:、)• ワイパーはまだ直さない(作曲:小田純平/歌:小田純平、2016年)• いま北国(作曲:野辺山翔/歌:、2016年)• Keep On! (作曲:/歌:谷村新司、)• こころの旅(作曲:/歌: with 、)• 土曜日の夜の九時(作曲:石黒ケイ/歌:石黒ケイ、2019年) 作詞・作曲 [ ]• 望郷物語(歌:、)• 東京タワー(歌:、) メディア出演 [ ] テレビ [ ]• (、)• (、 - )• (NHK、)• 五木寛之「風のCafe」(、2013年10月 - 2016年9月)• 五木寛之の百寺巡礼(、10月13日 - )• (、2020年5月9日)- 『大河の一滴』とコロナウィルス。 ラジオ [ ]• (、 - )• 「わが人生の歌語り」(NHK) -の計5年間に渡り、原則最終土曜深夜に放送した。 聞き手は。 ラジオ深夜便「歌の旅びと」(NHK) 度-度「わが人生の歌がたり」終了後、続編を要望する声が殺到したため、今度は旅情をテーマにしたトークを須磨佳津江と展開した• ラジオ深夜便「聴き語り・昭和の名曲」(NHK) 度-現在 「人生の歌語り」「歌の旅びと」に続く深夜便における五木の歌シリーズ第3弾。 昭和を代表する名曲と、それにまつわる時代背景、五木がその曲について感じたことなどを自由に語るもので、アシスタントは。 人物 [ ]• 小説のほか、作詞、創作ミュージカル、放送番組の構成など、マルチな分野で大量の仕事をこなす「多作な天才肌」というパブリックイメージを当人としても自覚していたところがあるようで、早いうちから作っていた「年譜」には「何文字書いたか」が記録として添えられている。 1970年にに連載したエッセイ「ゴキブリの歌」で好きなことを書いたところ反響を呼び、講演会や自宅にファンからメロンパンが多量に贈られる経験をした。 これを当人は「メロンパン筆福事件」と呼んでいる。 女優は、五木と同郷ということで、芸名の名付け親になった。 また、歌手の芸名は、当時人気作家であった五木寛之からとって、プロデューサーのが名づけたものである。 他にも五木が名付け親になった例は多く、「金沢望郷歌」のを五木ひろしに紹介し、デビューのきっかけを作ったのも五木で、芸名も五木寛之の「之」の字を貰っている。 また、女優の芸名も五木の命名であることが知られている。 さらにはが社長を務めるであるの名付け親だとされる。 好きな女優は、、。 を推奨している。 の事件を起こしたを売り出すキーマン的な役割を果たしたとされる。 2007年の正月に5夜連続でので放送された『五木寛之 21世紀・仏教への旅』では、五木の要望で番組の音楽制作は佐村河内(実際はゴーストライター)が担当した。 同番組はたびたび再放送されたが、事件発覚後はNHKの番組ウェブページから削除され、でも視聴できなくなった。 原作映画 [ ]• 『さらばモスクワ愚連隊』東宝 1968年 監督:、主演:、、、、、• 『ヘアピン・サーカス』東宝 1972年 監督:、主演:、、、、、(短編集『四月の海賊たち』より)• 『にっぽん三銃士 おさらば東京の巻』東宝 1972年、監督:、主演:、、、、• 『にっぽん三銃士 博多帯しめ一本どっこの巻』 東宝 1973年、監督:岡本喜八、主演:小林桂樹、ミッキー安川、岡田裕介、、、、(ナレーション)• 『青春の門』東宝 1975年、監督:、主演:、、、、、(筑豊篇)• 『凍河』松竹 1976年、監督:、主演:、• 『変奏曲』中平プロ・ATG 1976年、監督:、主演:、• 『青春の門 自立編』東宝 1977年、監督:浦山桐郎、主演:田中健、大竹しのぶ、いしだあゆみ、高橋悦史、高瀬春奈、梅宮辰夫• 『ダブル・クラッチ』松竹・バーニング・プロ 1978年、監督:、主演:、、、、(短編集『ユニコーンの旅』より)• 『水中花』(TVドラマ)TBS 1979年、演出:山本和夫、主演:松坂慶子• 『戒厳令の夜』東宝 1980年、監督:、主演:、• 『燃える秋』東宝 1980年、監督:、主演:• 『四季・奈津子』東映 1980年、監督:、主演:• 『青春の門』東映 1981年、監督:、、主演:、• 『青春の門 自立編』東映 1982年、監督:蔵原惟繕、主演:佐藤浩市、杉田かおる• 『大河の一滴』東宝 2001年、監督:、主演:、• 『青春の門 筑豊篇』TBS 2005年(TVM)、演出:平野俊一、主演:、、、、、、、 脚注 [ ] []• 『風に吹かれて』• 『世界漂流』• (昭和45年) - 日本作詩家協会(2020年4月21日閲覧)• ORICON STYLE 2015年11月20日. 2015年11月20日閲覧。 『僕が出会った作家と作品 五木寛之選評集』• 『」1967年1月29日付• 『五木寛之討論集 箱舟の去ったあと』• (『青年は荒野をめざす』文春文庫 1974年)• 「漂泊者の思想」(『日本幻論』新潮社 1993年)• 川崎彰彦「解説」(『こがね虫たちの夜』角川書店 1972年)• 『僕はこうして作家になった デビューのころ』• 『重箱の隅』• - 参考文献 [ ]• 「年譜」坂本政子(『青春の門 筑豊篇 下』講談社文庫 1980年)• 『文壇挽歌物語』筑摩書房 2011年 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ]• - 楽天ブックス• - 市川市• 第24回 「長恨歌」「真説石川五右衛門」• 第25回 「英語屋さん」「颱風さん」「御苦労さん」• 第27回 「罪な女」他• 第28回 「叛乱」• 第29回 該当作品なし• 第30回 該当作品なし• 第31回 『終身未決囚』• 第33回 該当作品なし• 第37回 『ルソンの谷間』• 第38回 該当作品なし• 第43回 「錯乱」• 第45回 「」• 第46回 「螢の河」• 第47回 『天才と狂人の間』• 第49回 『女のいくさ』• 第51回 該当作品なし• 第53回 「虹」• 第55回 「白い罌粟」• 第56回 「」• 第57回 『追いつめる』• 第59回 該当作品なし• 第61回 『戦いすんで日が暮れて』• 第62回 該当作品なし 1970年代• 第64回 『長良川』• 第65回 該当作品なし• 第66回 該当作品なし• 第68回 該当作品なし• 第70回 該当作品なし• 第71回 「鬼の詩」• 第73回 該当作品なし• 第74回 『』• 第75回 該当作品なし• 第76回 『』• 第77回 該当作品なし• 第78回 該当作品なし• 第82回 該当作品なし• 第84回 『元首の謀叛』• 第85回 『』• 第88回 該当作品なし• 第89回 『』• 第92回 該当作品なし• 第93回 「演歌の虫」「老梅」• 第95回 『恋紅』• 第98回 『それぞれの終楽章』• 第103回 『蔭桔梗』• 第104回 『漂泊者のアリア』• 第107回 『受け月』• 第108回 『佃島ふたり書房』• 第112回 該当作品なし• 第113回 『白球残映』• 第115回 『』• 第116回 『山妣』• 第118回 該当作品なし• 第119回 『』• 第120回 『』• 第122回 『』• 第125回 『愛の領分』• 第127回 『生きる』• 第128回 該当作品なし• 第132回 『』• 第133回 『花まんま』• 第134回 『』• 第136回 該当作品なし• 第137回 『』• 第138回 『』• 第139回 『切羽へ』• 第141回 『』•

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