君子危うきに近寄らず。 「君子危うきに近寄らず」の意味・読み方・類語【使い方や例文】

「君子危うきに近寄らず」の意味と使い方は?類語や対義語も解説

君子危うきに近寄らず

だからとにかく、不機嫌な人がいたら積極的に逃げる。 これぞまさに「君子危うきに近寄らず」です。 君子危うきに近寄らず 嫌いな人に会って不機嫌になるのなら、 会わないで「上気元」でいた方がいい (斎藤一人さんは上機嫌は上気元と書きます) 「上気元でいたい」と思っていても、人の機嫌を害するようなことを平気で言ったりする人がいます。 そんな時、「何があっても我慢しなさい」というわけではありません。 そういう人が現れたら積極的に逃げましょう。 人のことを平気で傷つけたりするような人と一緒にいて、いいことなんて何もありません。 それどころか、そういう人は同室の悪いものを引き寄せるので、一緒にいると巻き添えをくってしまいます。 だからとにかく、不機嫌な人がいたら積極的に逃げる。 これぞまさに「君子危うきに近寄らず」です。 ただ、中には親や兄弟など、逃げたくても逃げられないような人間関係もあります。 そうした場合でも、なるべく会う時間を減らすとか、距離を置くといった感じで、一緒にいても自分の機嫌を悪くしないような対策をとるようにしましょう。 「夫の実家に行くと、お姑さんが私に嫌味を言うんです」という場合は、相手を傷つけない嘘でごまかして、会いに行かなければいいのです。 それで浮いた旅費でそのお母さんの好きなものを買って夫に持たせるとか、お小遣いとして渡してもらうとかすれば、次に会った時には優しくなっていたりするものです。 嫌な上司の下で働くのは 不機嫌を上気元に変える修行 それでは会社の上司などの場合はどうすればいいのでしょうか。 こういう時は、何か自分が上気元になれることに変えばいいのです。 例えばいつも不機嫌な上司の下で働くのなら、「これは自分がさらに上気元でいるための難行・苦行なんだ」というように修行と捉える。 さらにいつも不機嫌な人のことを「不機嫌の達人」と陰で友達と呼び合うのです。 そして「達人会議」と銘打って友達と集まり「今日のおたくの達人どうだった?」とか、「家の達人は今日も凄かったよ」とか言っていると、嫌なことも笑いに変えることができます。 大切なのは、相手が不機嫌だからといって、そのことに悪影響されないことです。 相手は相手の都合で不機嫌なのですから、こちらはこちらの都合で上気元にしていればいいのです。 そうしているうちに転勤や異動で不機嫌な人がいなくなるか、上気元の人に新たなる道が拓けて、不機嫌な人がいなくなるのです。 仕事が嫌で仕方がない時は、 仕事以外の楽しみを見つける 自分の機嫌を他人任せにしない 上気元でいるためには、上気元になることを待っていてはいけません。 自分から積極的に、自分を上気元にすることをしないといけません。 「待っていたらディズニーランドが来てくれた!」何ていうことはありませんし、ミッキーマウスがあなたの家に来ることもありません。 ミッキーマウスに会いたければ、自分からディズニーランドに出かけていくしかないのです。 「会社が面白くない」とか「仕事のやる気が湧きません」というのも同じです。 待っていたら誰かが仕事を面白くしてくれるとか、やる気を出させてくれるということはめったにありません。 そんな「めったにないこと」を待っていたら、いつまでたっても上気元になれませんし、自分の機嫌が他人任せになってしまいます。 歌の歌詞ではありませんが、「幸せは歩いてこない」のです。 仕事が楽しくなくなければ 仕事以外の楽しみを見つける 「会社が面白くない」とか、「仕事のやる気が湧きません」という人は多いと思います。 そんな方にお勧めしているのは、まずは仕事以外に楽しめること、そのことを考えるだけで上気元になれることを見つけることです。 趣味を見つけるとか、習い事をするとか、旅行をするというのでも構いません。 または、バッグや洋服、アクセサリーを集めるというのもいいでしょう。 とにかく、好きなことをしている時は必ず、人は上気元になれます。 そして、好きなことをするためには働くなくてはいけません。 一生懸命働いて、休みの時には好きなことをする。 「あと何日働けば好きなことができる」と想像すれば、仕事中でもワクワクします。 「今度のボーナスである買おう」と思えば、辛い仕事も楽しくなります。 このように考えれば、面白くない、やる気が出ない仕事でも、楽しいことをするための手段だということがわかってくるのです。 仕事は不機嫌でやるよりも上気元で行った方が絶対にいいのです。 不機嫌でやっていても疲れるだけですし、何もいいことなんてありません。 それよりも「これは面白くない仕事を面白い仕事に変えるゲームなんだ」と思って、なんでもいいから自分が上気元でいられるような工夫をするのです。 そうしているうちに、本当にその仕事の面白さが分かってきたり、楽しさが見つかったりします。 仕事は「やらされている」と思うと地獄の苦しみですが、自分から「やりたい」と思えれば、天国の喜びに変わるのです。 不機嫌をいち早く上気元に変える「最高です!」 言葉で心をコントロールする 「何があっても上気元で生きるんだ!」と思っていても、ちょっと体調が悪かったり、嫌なことがあれば、機嫌が悪くなることがあります。 そんな時に、手っ取り早く上気元になりたかったら「最高です!」と言えばいいのです。 例えば「私って最高だよね!」とか、「この仕事は最高だよ!」とか、「うちの社長って最高なんです!」といえばいいのです。 何が「最高」なのかは問題ではありません。 とにかく「最高!」って言っていると「最高なもの」を引き寄せるのです。 これを「言霊の魔法」と言います。 口に出していうことで、気持ちは言葉に引っ張られます。 そして言霊の波動は同じ性質のものを引き寄せるのです。 起きる出来事をコントロールすることはできませんし、他人の心を変えることもできません。 でも、私たちは自分の言葉を変えることはできます。 だから私たちは常に「最高ですね!」とか、「幸せだね」とか「楽しいね」といった気持ちが明るくなることがあっ積極的に使って、心を上気元に向けましょう。 「ただのご飯」を「最高のご飯」に変える魔法の言葉 ご飯を食べる時に黙って食べたら「ただのご飯」ですが、「おいしいね」と言って食べたら「美味しいご飯」になります。 不思議ですが「美味しい!」って口に出して言うと、さらに美味しさが増すのです。 これもやはり「言霊の魔法」です。 一人さんぐらいの大金持ちになると、毎日高級なものを食べていると思われがちですが、決してそんなことはありません。 違いがあるとしたら、なんでも本当に楽しんで食べる事です。 例えば、一人さんは吉野家の牛丼も大好きです。 中には、「吉野家の牛丼なんか・・・・・・」と思う人がいるかもしれませんが、一人さんは吉野家に行くときは「料亭吉野の牛丼!」を食べに行こうって言います。 こう呼ぶだけでぐっと高級感が増しますし、何かくすっと笑えて楽しくなりますね。 「玄米菜食」は身体にいいかもしれませんが、不機嫌で玄米菜食をするよりは、上気元で出されたものは何でも「美味しいね!」と言って食べた方がよっぽどし身体にいいと思います。 それに「美味しいね!」と言って食べると作った人が喜び、その食材も喜びます。 野菜でも肉でも食べ物は全て命です。 私たちは食べ物から命を頂いて、自分の命を養っているのです。 そう思えば自然と感謝の気持ちで「美味しくいただこう」と思いますよね。 成功者に共通する究極の「上気元思考」とは 「経営の神様」と言われた松下電器産業(現・パナソニック)の創業者である松下幸之助さんは、自分が成功した要因を三つあげています。 一つ目は、家が貧乏だったこと。 二つ目は、学校へ行けなかったこと。 三つ目は、病気がちで身体が弱かったこと。 どういうことかと言うと、一つ目は、家が貧しかったから、一生懸命努力した。 二つ目は、学校へ行けなかったので、自分で本を読んだりして勉強するようになった。 三つ目は、自分は身体が弱いから、自分の代わりになってくれる人を育てようと思ったというのです。 多くの人はこうのすけさんが言うこの三つの「成功の要因」を、自分が「成功できない要因」として捉えます。 「家が貧乏だから、自分は成功できない」とか「学歴がないからダメだ」とか「体が弱いから無理」と言ったように。 「発明王」といわれたエジソンも、電球を発明するために何万回も実験を繰り返しました。 それに対してある人が「どれくらいの失敗を重ねて成功したんですか?」と聞くと、エジソンは「私は失敗など、一度もしていない。 うまくいかない方法を発見しただけだ」と言ったというのです。 一人さんの学歴は「中卒」です。 だからといって「自分は学歴がないからだめだ」なんて絶対に言いません。 それどころか、「かけっこでも早くスタートした方が有利だよね。 それと同じで俺は早く世間に出たから、すごく得してるんだよ」と言います。 さらに松下幸之助さんが「小学校中退」だと聞くと、「俺の方が幸之助さんより学歴が上だから、絶対に俺の方が成功する」って言うんです。 「前向き」とか「ポジティブ」に考えることが大切だと言いますが、重要なのは自分に起こった出来事に対して「自分が損するような考え方をしない」ということだと思います。 言い換えれば「自分が不機嫌になるように考えるのではなく、上気元になるように考える」のです。 そしてこれこそが、成功者に共通する「上気元思考」なのです。 斉藤一人さんのお話を纏めました。 皆様、いつもご精読ありがとう御座います。 お手数ですが、遠慮なさらずに押して欲しいんです。 shiho196123.

次の

【君子危うきに近寄らず】の意味と使い方の例文(類義語・対義語・英語訳)

君子危うきに近寄らず

「君子危うきに近寄らず」の意味 「君子危うきに近寄らず」には、どんな意味があるのでしょうか。 君子危うきに近寄らずの「君子」は、教養や徳のある人格者の事を言います。 危うきは、危うしの連体形です。 危うしのは、危険が迫っているという意味になります。 近寄らずは、近寄らないという意味です。 人格者は、危険なところに近づかないという意味になります。 「君子危うきに近寄らず」の使い方 「君子危うきに近寄らず」は、どのような使い方をすればいいのでしょうか。 使い方は二つあります。 一つ目は、褒め言葉です。 相手の賢明な判断をした時に使う言葉になります。 危険を感じて回避して近寄らなかった人に対して、「君子危うきに近寄らず」と言うのです。 二つ目は、注意喚起をする時です。 家族や友人などに危険なところや人に近づかないように教えてあげる言葉になります。 「君子危うきに近寄らず」の例文 「君子危うきに近寄らず」の例文を紹介します。 「あなたの判断は正しかった。 君子危うきに近寄らず」です。 この使い方は、褒め言葉です。 判断が正しかったので、危険を回避する事が出来たという意味になります。 「あの人は怪しい。 君子危うきに近寄らず」です。 これは注意喚起の使い方になります。 あの人は怪しいから、近づかないほうがいいという意味になります。 「君子危うきに近寄らず」を正しく知っておこう 「君子危うきに近寄らず」の意味・語源・使い方を間違って覚えている場合があります。 「君子危うきに近寄らず」の君子は、王様と思ってしまいがちです。 君子とは、教養があり徳のある人格者の事を意味しています。 「君子危うきに近寄らず」に関して間違って覚えているのは、語源が論語だと思っている事です。 論語ではなく、「春秋公羊伝」に語源の文章になります。 「君子危うきに近寄らず」の使い方には、褒め言葉の場合と注意喚起の場合があるのです。 自分は、正しく知っているかどうか確認してみましょう。

次の

「君子危うきに近寄らず」の意味・読み方・類語【使い方や例文】

君子危うきに近寄らず

Sponsored Link 孔子の漢文ってホント? この「君子危うきに近寄らず」は、中国の思想家・哲学者である孔子が残した言葉だと思っている人が多いようです。 ですが、孔子とその弟子たちの語録をまとめた 「論語」にはそういった一文はありません。 「 じゃあ何で孔子の言葉って思われているの?」 っていうところですよね。 実は孔子が作ったといわれている「 春秋」という歴史書があります。 後にそれを解釈した「春秋公羊伝」には、 「 君子不近刑人」 という一文が載っています。 これが「君子危うきに近寄らず」の元になっているという説があるので、それが間違って伝わり「君子危うきに近寄らずは孔子の残した言葉だ」という説が広まってしまったようですね。 (^^; ちなみに「君子不近刑人」は「 君子は罪を犯した人間には近づかない」という意味となります。 確かに「君子危うきに近寄らず」に意味合いは近いので、孔子の言葉という説が上がるのも無理ないはなしですよね。 Sponsored Link 「李下に冠を正さず」とセットで使われることも 「君子危うきに近寄らず」は 「 李下に冠を正さず」 とセットで使われることも多いですね。 セットになるくらいですから意味が似ているのでしょうか。 それとも対になる意味なのでしょうか。 まずは「李下に冠を正さず」の意味をみてみましょう。 ・・・・・・・ 意味を調べると、誤解を招くような行動はするべきではないといういましめの言葉、とあります。 「李」というのは中国では「スモモ」を意味します。 つまり、スモモの木の下で曲がった冠の位置を直していると、スモモを盗んでいるように見える。 そういった場所で紛らわしい行動をとるべきではない、という状況をあらわしているんですね。 誤解を受けるような場所での行動は慎む、というのは「君子危うきに近寄らず」の教養のある人は危ない場所には近づかない、に似ていますよね。 なので共通する教訓としてセットになることが多くなっています。 君子危うきに近寄らずは正解?不正解? 人生の格言として、 「 君子危うきに近寄らず」 は 正しいのでしょうか。 確かに自分の行動は慎むべきですし、危ない場所には近づくべきではないですよね。 むやみに危険な場所に入るのは思わぬトラブルを生みます。 しかし、安全な場所にばかりいて冒険を避けてしまうというのもどうでしょうか。 危険な場所やきびしい場所であっても、 ときには果敢にチャレンジしないと得るものもないですよね。 こういった「君子危うきに近寄らず」の対になる考えは「危ない所に登らねば熟柿は食えぬ」や「虎穴に入らずんば虎子を得ず」などのことわざでも表現されています。 「君子危うきに近寄らず」はためになる教訓が含まれていますし、決して不正解ではありません。 しかし、過度に自分を守ってしまい、用心も度が過ぎるというのは考え物かもしれませんね。

次の