スピリチュアル テラー サトミ。 亡くなった人と話しませんか

亡くなった人と話しませんか|mstk川崎|HONYA NET

スピリチュアル テラー サトミ

そうしたスピリチュアル テラーとしての力に気がついたのは、私が20歳になった頃でした。 小さな頃は、それを特別な能力と思わず、誰もができることだと思っていたのです。 私自身はあまり記憶にないのですが、子どもの頃のことを母親から聞かされたことがあります。 一緒に道を歩いていると、私は人とすれ違うたびに「あの人は今こう思ってんねん」「あの人の勤めてる会社、もう危ないわ」などと口にしていたそうです。 今でこそ通りすがりの人の心を読み取っていたとわかりますが、当時、母は私が憶測でものを言っていると思ったようで、「思いつきで、そんなこと言うたらあかん」としょっちゅう怒っていたと言います。 またバスに乗ると、「その人に近づくと何か憑くで」(失礼!)と言って怖がることもあったようです。 近所の人に対しても、「あの人死ぬで」と私が言った数日後に、元気そうだったその人が亡くなったり、テレビで芸能人をみたときに「この人危ないわ」と言うと、直後に亡くなったりしたことがあって、「この子、ちょっと不気味やなって思ってたわ」と後々、母に言われたこともありました。 そんなふうに、子どもの頃は届くことを全部口に出して言っていたので、それが母にとっては、とにかく心労のようでした。 私が目にみえないものを読み取れることについて、母は特殊な才能とは思いもせず、遂 つい には私のことを、「あの人はこう思っているに違いない」と勝手に決めつける、思いこみの激しい性格だと考えたようです。 そのため「あんたは神経質で、人のことばっかり気にしすぎや」と、よく注意されていました。 そんな経験もあって、届くことを口に出して言うのはいけないことなのだと子ども心に思い、その力を少しずつ封印するようになりました。 私には、わずかながら生まれる前の記憶があります。 光の中に私がいて、ぼんやりとした、大きな光の存在に懇願しているのです。 「人を助けたい、みんなを幸せにしたいので、どうか生まれさせてください」と。 そんなふうにお願いしているシーンを、小学生のときに突然、鮮明に思い出しました。 そして、もう一度だけこの世に生まれることができたら、もう生まれ変わらなくてもいいということも、そのときに誓っています。 なので、私が人間として生きていけるのは、現世(現在の、この世)が最後です。 そうやって、みえない世界とみえる世界の架け橋になりたいと願い、許しを得て、私はこの世に生まれてきました。 ずっと封印してきた力を、大人になってから再認識することができ、持って生まれた使命を全うするために、数年前からスピリチュアル テラーとして活動を始めました。 関連キーワード.

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スピリチュアルカウンセリング 90分

スピリチュアル テラー サトミ

タイトルから分かるかもしれませんが、ザ・スピリチュアルな本です。でも心理学でもあり、暮らしでもあり、考え方でもあり、生き方でもあるような。 著者は、スピリチュアルテラーとして、亡くなった人からの声を届ける活動をしているサトミさん。 幼少の頃から不思議な力を持ち合わせていたサトミさんが、多くの人が知りたいと思う死後の世界についてお話しします。 ブログ記事がきっかけで出版へ 私はふだん長くて5,000字くらいまでの原稿を書くことが多いのですが、2年半前にふと「今度は1冊丸まる原稿を書いてみたいなぁ」と思っていたら、そのタイミングで、立て続けに2件ブックライティングのお仕事の打診がありました(引き寄せ、スゴイ)。 それまで一度も依頼されたことがなかったのに…! それで1件は立ち消えとなったのですが、もう1件の方は、トントン拍子に話が進み、私が本の構成を担当させてもらうことになったのです。 きっかけとなったのは、下記のブログ記事。 著者のサトミさんに会ってお話を聞くうちに、こんなに面白い話、もっと聞きたい、インタビューしたい!と思って、そのことを記事の最後にさらっと書いていたのでした。 そして、それをたまたま読んで声を掛けてくれたのが、幻冬舎の編集の方。 私が仕事の関係で幻冬舎に連絡をとった際、メールの署名欄から編集者さんが偶然この記事を読み、興味を持ってくれました。 さらに記事を読んだタイミングで、その編集の方が京都へ出張に来る機会があり、私に連絡を取ってくれたのです。 そして、その翌日には、編集者とサトミさんが会うことになり、まるですべてが計算され尽くしたかのようなタイミングで話が進んで、あっという間に本を出版することが決まったのでした。 このブログ記事を書くときに、私はサトミさんに確認をしていました。 サトミさんはホームページなどは持っておらず、紹介制だけで相談者と会っているので、念のために。 すると、サトミさんは「私のことはブログに書いてくれてもいいですよ」と快諾してくれたのですが、その後「江角さんがブログを書いたら、本が出ることになるかも」ってぽつりとつぶやいたんです。 私は「え〜!」と思いつつ、真剣に受け取っていなかったのですが、編集の方からメールが来たときに、本当にサトミさんが言った通りになった!!!!!と鳥肌が立ったのを覚えています。 私は結構まめに記事を書いているので、興味を持ってブログを見てくれたとしても、数ある中から、よくこの記事にたどり着いてくれたなと今でも思う。 あしかけ2年… それでサトミさんを取材したのが、忘れもしない2017年8月の終わり。 初めての共著「」の原稿締切に追われていた真っ最中のことでした。 なんで、忙しいときに限って、仕事って重なるのか…? そして最終的に、今年9月末に約9万字を書き終え、あとは編集さんの手にゆだねることになったのでした。 そう、つまり2年、私はこの原稿を抱えていたことになり、本当に私は原稿を書き終えることができるのか? ずーっと深い海の底に居るような不安の中で過ごしていたのでした。 短距離走のランナーがいきなり練習もせずに42. 195kmのフルマラソンに出場するようなもの。 2年も待ってくださってありがとうございますという気持ちしかない。 でも2年前の私には絶対に書けなかったことが書いてある。 表紙には 「死後の世界」がわかると生き方が変わる!とありますが、これは本当にそうで。 私はサトミさんの言葉を書かせてもらうことで生き方が変わり、私が変わったから、やっと書けたのだとすら思っています。 それに2年かかってしまったのだ、必要な時間だったと今は思う。 サトミさんの言葉を必要としている人がたくさんいると思うので、そういう人たちに届きますように。 お話の内容は、また発売までにちょっとずつ紹介していきたいと思います。 というわけで、ぜひご予約よろしくお願いいたします!!!.

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「亡くなった人と話しませんか」を読んで~よかったブログ521日目~

スピリチュアル テラー サトミ

そうしたスピリチュアル テラーとしての力に気がついたのは、私が20歳になった頃でした。 小さな頃は、それを特別な能力と思わず、誰もができることだと思っていたのです。 私自身はあまり記憶にないのですが、子どもの頃のことを母親から聞かされたことがあります。 一緒に道を歩いていると、私は人とすれ違うたびに「あの人は今こう思ってんねん」「あの人の勤めてる会社、もう危ないわ」などと口にしていたそうです。 今でこそ通りすがりの人の心を読み取っていたとわかりますが、当時、母は私が憶測でものを言っていると思ったようで、「思いつきで、そんなこと言うたらあかん」としょっちゅう怒っていたと言います。 またバスに乗ると、「その人に近づくと何か憑くで」(失礼!)と言って怖がることもあったようです。 近所の人に対しても、「あの人死ぬで」と私が言った数日後に、元気そうだったその人が亡くなったり、テレビで芸能人をみたときに「この人危ないわ」と言うと、直後に亡くなったりしたことがあって、「この子、ちょっと不気味やなって思ってたわ」と後々、母に言われたこともありました。 そんなふうに、子どもの頃は届くことを全部口に出して言っていたので、それが母にとっては、とにかく心労のようでした。 私が目にみえないものを読み取れることについて、母は特殊な才能とは思いもせず、遂 つい には私のことを、「あの人はこう思っているに違いない」と勝手に決めつける、思いこみの激しい性格だと考えたようです。 そのため「あんたは神経質で、人のことばっかり気にしすぎや」と、よく注意されていました。 そんな経験もあって、届くことを口に出して言うのはいけないことなのだと子ども心に思い、その力を少しずつ封印するようになりました。 私には、わずかながら生まれる前の記憶があります。 光の中に私がいて、ぼんやりとした、大きな光の存在に懇願しているのです。 「人を助けたい、みんなを幸せにしたいので、どうか生まれさせてください」と。 そんなふうにお願いしているシーンを、小学生のときに突然、鮮明に思い出しました。 そして、もう一度だけこの世に生まれることができたら、もう生まれ変わらなくてもいいということも、そのときに誓っています。 なので、私が人間として生きていけるのは、現世(現在の、この世)が最後です。 そうやって、みえない世界とみえる世界の架け橋になりたいと願い、許しを得て、私はこの世に生まれてきました。 ずっと封印してきた力を、大人になってから再認識することができ、持って生まれた使命を全うするために、数年前からスピリチュアル テラーとして活動を始めました。 関連キーワード.

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