ブラタモリ 阿蘇。 『ブラタモリ』「阿蘇〜阿蘇は世界一の“お役立ち”火山!?〜」編 6月29日放送

ブラタモリは熊本!桑子アナ最終回アンコール!見逃した方はこちら!2020.4.25放送

ブラタモリ 阿蘇

アクセス:折戸地区コミュニティセンター(地図は)から徒歩で登山()。 撮影地の青面金剛をめざす。 クルマはで、別の道から登頂も可能。 阿蘇山は、噴火でできた巨大なカルデラ(=火山活動で大きく陥没した部分)に、約5万人もの人が暮らす、世界でも珍しい場所です。 観光客は年間に約1000万人。 阿蘇山の噴火は、27万年前のAso-1から9万年前のAso-4まで、4回の噴火が繰り返されました。 とくにaso4は、規模が大きく、現在の阿蘇の地形の大半を形作ったとされています。 ブラタモリ阿蘇編のテーマは、阿蘇は世界のお役立ち火山です。 ブラタモリ熊本のおさらい 1 熊本県(肥後)は、火の国と呼ばれたように、熊本市の東には、阿蘇山がある。 2 阿蘇山は、2015年9月に噴火した世界最大級のカルデラ(=火山活動で大きく陥没した部分)。 阿蘇山の火砕流堆積物は、西に位置する熊本市周辺まで広く堆積している。 3 熊本城の南には、約9万年前に起きた4回目のAso-4と呼ばれる火砕流が露頭している。 草千里ヶ浜と米塚:ブラタモリ阿蘇 ブラタモリは、草千里(草千里ヶ浜)を訪ねます。 約3万年前の噴火で、山の上部が吹き飛ばされ、お椀状の円形の平地となったものです。 これはどのようにできたのでしょうか?• 草千里展望所のアクセス:JR阿蘇駅よりバス(阿蘇火口線) 草千里阿蘇火山博物館前下車 徒歩1分。 地図は(熊本地震の影響で2018年12月に移転再開)。 爆発的な反応が続き、噴煙が成層圏に達することもある、極めて大規模なプリニー式の噴火の痕跡です。 噴石、火山灰、火山ガスを主体として構成された1~5万mの噴煙柱は、1日、場合によっては数日から数カ月維持され、のちに大崩壊を起こし、周囲一帯を埋めつくします。 阿蘇を象徴する地形である米塚は、地中から、何度かに分けてしぶき状に噴出したマグマが、積み重なってできたものです。 ストロンボリ式噴火の痕跡です。 3000年前、縄文時代にできた比較的新しい地形です。 アクセス:米塚は、同じ草千里展望所から見ることができます。 (参考)東日本では、日光・男体山がプリニー式、伊豆大室山がストロンボリ式 (参考)東日本では、日光・男体山の噴火がプリニー式です。 写真は、最大116mもの噴出物が見られる戦場ヶ原。 (参考)東日本では、伊豆・大室山がストロンボリ式噴火の痕跡です。 ストロンボリ式式は、手持ち花火を地面に刺し、火花が吹き上がり、冷えて落ちてゆくイメージです。 周辺にもストロンボリ式?:ブラタモリ阿蘇 ブラタモリは、カルデラの北東部を訪ねます。 田んぼが広がります。 ここにもストロンボリ式の丘のようなものがいくつも見られますが……? これはストロンボリ式の丘ではなく、古墳群です。 番組の構成意図に反し、タモリさんは、誤解なく即答でした。 古墳は、阿蘇カルデラ内に90基あります。 長目塚古墳 タモリさんが特別な許可を得て登った長目塚古墳は、前方後円墳。 川の工事で一部が削られた「前方」の部分の発掘調査から、石室が発掘されました。 アクセス:阿蘇駅から北東へクルマで10分。。 ベンガラの原料を探る 発掘された真っ赤な石室の顔料は、ベンガラと呼ばる顔料です。 赤色は、埋葬や祭祀に使われる色でした。 ベンガラはどのように作られたのでしょうか? 周辺では、水路の流れが赤くなっています。 ベンガラは、酸化した鉄分を含む土から作られます。 水路へのアクセス:阿蘇駅から西へクルマで13分。。 ブラタモリは、ベンガラの原料となる土の採掘現場(日本リモナイト 阿蘇鉱業所)に特別な許可を得て入ります。 ショベルカーで、3〜6mの穴が掘られています。 地中で続く微弱な火山活動 中央火口丘から8キロもあるこの場所で、なぜ酸化した鉄分が出てくるのでしょうか? これは、地中で弱い火山活動が続いていると考えられます。 鉄分のもとは、マグマです。 阿蘇では、地下6m付近まで、鉄分を含んだ阿蘇黄土が出てきます。 阿蘇黄土は、身近なクレヨンの黄土色や、あるインフラ関係でも使用されています。 タモリさんもお世話になっているインフラとは、何のことでしょうか? 出典: ブラタモリは、阿蘇黄土を加工しペレット状にする工場を見学します。 硫化水素を溶かし、臭いを放つ汚れた水に、ペレット状の阿蘇黄土を入れてみます。 阿蘇黄土は、東京都の下水処理にも使われています。 日本リモナイトの一般向け商品は 大観峰:ブラタモリ阿蘇 古い地図には、牟田(=無田)という表記が多数見られます。 土壌が悪く、農業には向かない土地です。 ブラタモリは、阿蘇の雄大な景勝地、大観峰に向かいます。 阿蘇の地質は、阿蘇黄土により酸性が強いため、農業には向きません。 どのように土地を改良したのでしょうか? 外輪山の草原のススキ 外輪山の1万6千ヘクタールの草原に広がる、養分を含んだ草(ススキ)を田んぼに加え続けることで、土地を生まれ変わらせたのです。 かつては、草原の奪い合いが生じていました。 その痕跡として、境界線を示す土塁の跡が多数残っています。 土塁の総延長は500キロあり、150のグループが決められた範囲を利用していました。 阿蘇の草原の管理 3月には野焼きが行われ、草原の森林化を防ぐ手入れがされています。 現在、阿蘇のススキは、かやぶき屋根に欠かせないものとして使われています。 3層の地層があります。 草原の土に挟まれた、鬼界カルデラの火山灰から成る赤い層(約7300年前)から年代を推測すると、阿蘇の草原は、縄文時代に存在した可能性があります。 狩猟に適した見通しの良い場所を作るために、縄文人が野焼きしていた可能性も考えられます。 縄文人も同じ、草原、野焼き、阿蘇の火山の光景を見ていたのかも知れません。 (関連)では、湧水の観点から阿蘇山を研究しています。 (参考)東日本では、日光・男体山の噴火がプリニー式です。 戦場ヶ原では、最大116mもの厚さの噴出物が見られます。 先週のブラタモリ• ブラタモリ• … ブラタモリ現シリーズの記事の一覧です。 … いいねすると、記事完成時に連絡が行きます。 ツイッターもあります。 ブラタモリ白金編のまとめです。 茶畑と下屋敷(別邸)が広がる田舎だった白金が、なぜ最先端の高級住宅地になったのかが、明らかにされました! 《暫定まとめ》 — ブラタモリ buratamori2018.

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2018年度までの放送

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阿蘇ジオパーク推進協議会 会員• 熊本県阿蘇地域振興局• 阿蘇市• 南小国町• 小国町• 産山村• 高森町• 南阿蘇村• 西原村• 山都町• 阿蘇エコツーリズム協会• 国立阿蘇青少年交流の家• ASO田園空間博物館• 阿蘇ミュージアム• なみの高原やすらぎ交流館• 阿蘇たにびと博物館• 阿蘇地区パークボランティアの会• 阿蘇市観光協会• 南小国町観光協会• ASOおぐに観光協会• 産山村観光協会• 高森町観光協会• みなみあそ観光局• 西原村観光協会• 山都町観光協会• 阿蘇火山博物館• 熊本大学• 京都大学火山研究センター• 熊本地学会• 熊本県地質調査業協会• 阿蘇の自然を愛護する会• 自然公園財団阿蘇支部• 阿蘇グリーンストック• 阿蘇地域振興デザインセンター• 阿蘇青年会議所• くまもと21の会• 日本リモナイト• 阿蘇温泉観光旅館協同組合• 阿蘇ネイチャーランド• SMO南小国• REASO• ECO九州ツーリスト 阿蘇ジオパーク推進室 〒869-2232 熊本県阿蘇市赤水1930-1 阿蘇火山博物館1F TEL: 0967-34-2089 FAX: 0967-34-2090.

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ブラタモリは島原・天草!見逃した方はこちら!2020.3.14放送

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Contents• ブラタモリ(天草)崎津集落で潜伏キリシタンの秘密をさぐる 天草市、崎津(さきつ)という海辺からスタート。 この場所は、 2018年「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として世界文化遺産に登録映画「沈黙」の舞台でもある。 キリシタンは、250年ものあいだ、信仰を守り抜きました。 街中を歩きます。 イチジクが置いてあるのですが、「南蛮柿」と書かれている。 お店の方の説明で、「イチジクも天正の少年使節が持って帰ってきたもの」だそう。 ブラタモリ(天草)崎津集落で、秀吉も愛した西洋音楽を楽しむ 熊本大学の安高先生が案内人です。 — 安高啓明研究室 雑記帖 IKMAGQyYOg8JbIq 修復中のカトリック教会。 楽器を演奏する方たち。 当時西洋から来た楽器を復元したものだそうです。 イギリスのブタの皮をはったタイコ。 イタリアンヴァージナルというピアノのような楽器。 林田アナが奏でると美しい音色。 林田アナがハープシコードでインベンションのフレーズ弾いてる。 さすが音大。 今日が最後って残念だな。 — PIGMONCAEF pigmon3 信長も秀吉も西洋音楽が好きだったそうです。 秀吉が3回もアンコールしたという「千のかなしみ?」を演奏していただきます。 この曲を天正の少年使節も秀吉の前で演奏したそう。 「この曲はたいこなかったんですね」 と太鼓奏者を心配するタモリさん。 ブラタモリ(天草)崎津集落で、潜伏キリシタンの秘密をさぐる 「忘れてたよ」と今日のお題。 「島原・天草~なぜキリシタンは250年も潜伏できた?~」 この秘密をタモリさんが解き明かします。 では、潜伏の秘密をときあかしています。 「こんな小さな村でよくも・・」 キリシタンを探し出すのは庄屋だったが、踏み絵で信者を見つけようとした。 「板踏み絵」「真鍮踏み絵」の写真があります。 板踏み絵はこわれるので、途中から真鍮踏み絵に。 「どんな思いで踏み絵を踏んだでしょう」 「おれならあっさり踏むけど、逃れられるんならいい」とタモリさん。 「真鍮踏み絵は、あまり心苦しく踏んでいなかったようなんです」 板踏み絵には、ロザリオがあるけれど、真鍮踏み絵はロザリオがない。 踏み絵を作った職人は仏教徒で、ロザリオの大切さに気づかなかったらしい。 潜伏キリシタンの子孫だという、寿司店のご主人。 「44歳なんですけれど、自分がそういう家系だと知ったのが42歳の時、それも、世界遺産登録で父が新聞にのったことで知ったんです」 「すごい潜伏ですね」 たとえば、この家に受け継がれているのが、丸い硬貨が8つ。 「まるやまるやまるや・・」何度もいうとマリヤになる。 こういう、見つかってもわからないものを持っていた。 古い貝殻、よーーく見ると、天使が書かれている。 心のきれいな人にはマリアの顔が見える貝殻も。 「わからないね」 江戸時代には、子どもには言わなかった。 縁座、連座もあるので、本当に言わなかった。 お店の前のしめ縄もなんだか十字架風。 この町では、一年中しめ縄をまつる風習がある。 しめ縄をだしておけば、「うちは神道」といえる。 潜伏キリシタンが寺社の氏子総代をつとめるケースもあった。 「うちもそうです」と寿司屋のご主人。 この町では、人口も少なく、宗教にこだわらず、みんなで力を合わせる風土があった。 いまも、神社の山からみると、教会がみえる。 寺社に属していれば、キリシタンではないとされる(寺請制度)ので、みんな属していた。 ところが、1800年ごろに、「天草崩れ」が起こる。 天草の人が信者だということが、ばれてしまったが、無事だった。 「百姓の宗門心得違い」として処理された。 取り締まる側に事情があり・・ これまで踏み絵も、寺請制度もしているのに、キリシタンが発見されたら、制度が悪いことになってしまう。 役人が知恵をしぼって、「宗門心得ちがい」として処理した。 ブラタモリ(島原)原城で島原・天草一揆の痕跡を探す 一行は船で島原へ。 島原・天草一揆の激戦地、原城に向かいます。 厳しい取り締まりに耐えかねたキリシタンによる一揆でした。 奈良大学の千田先生が登場。 (お城の先生) 原城は大きい。 丘全体が原城。 一揆軍3万7千人、幕府軍12万人以上。 「いかに攻めるのがむずかしいか」 原城に上るには、クランク状の進路を何度も曲がる。 「この形は、なんでしたっけ?」 案内人さんが、林田さんに質問。 「クランク状になってる?」 「ま、す」のヒントで「枡形(ますがた)!」と正解。 この形は、侵入してきた敵に攻撃をあびせやすい。 「何回あるんだろう」 一揆のときも、この升形は最後まで突破されませんでした。 上に上がると、高さもある。 幕府軍の総大将も打ち取り、3か月も籠城した。 3か月も籠城するには、水も必要。 原城には、池があった。 池ができたのは、地層に関係がある。 島原ジオパークの案内人さんも登場。 下の方は泥岩。 海の中でたまった地層。 水を通しにくい、 上は、火山の火砕流によってできた地層。 「阿蘇」そうです。 ASo4という4回目の噴火による地層がこのあたりには奇跡的に残っていました。 二つの地層の境目から、水が湧き、池が出て、原城を支えました。 「一揆軍はわかってましたかね?」 「わかってただしょう。 アソフォーじゃ」 幕府軍の球を使った十字架が残っています。 最後は、子どもから年寄りまで全員戦死した凄惨な戦いでした。 「幕府軍は宗教がこんなに人を奮い立たせることをしった」 だから、天草崩れを裁くことなく、秘策をとりました。 「キリシタンのイメージが変わった。 表も裏も知りました」 興奮して、高所でずるっとしそうになるタモリさん。 原城で改めておうかがいしたところ、本物がしっかり残っている城の天守や石垣・堀、そして城の立地や地形を見るのは好きですよ、とのことでした。 ありがとうございました」林田アナの挨拶。 「いやいやたいしたことせずに」 最後の写真で、花束をかかえた林田アナ。

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