中村 哲 アフガニスタン。 中村哲医師はアフガニスタン名誉市民。水路を作り現地で英雄視

中村哲医師経歴学歴!海外の反応やクリスチャン精神や功績

中村 哲 アフガニスタン

恥ずかしながら、中村 哲氏については、ニュースで知るまではマッタクと言ってよいほど知らなかった。 ブログの遺影写真は、アフガニスタンの首都カブールでの追悼集会のものである。 2001年のことだったらしい。 小生と女房はときどきテレビをのぞきながら、校正か何か仕事をしていた。 そうしたら、ニューヨークのビルにジェット旅客機が2機、立て続けに突入するという事件が発生したのだ。 われわれは仕事を忘れてテレビに見入った。 アフガニスタンとアルカイダ 2001年9月11日、米国で旅客機4機が国際テロ組織「アルカイダ」のメンバーらに乗っ取られ、ニューヨークの世界貿易センタービルのツインタワーに2機が突っ込み、ビルは崩壊。 さらに1機が国防総省に激突、もう1機はペンシルベニア州で墜落した。 日本人24人を含め計約3千人が死亡した。 ブッシュ政権は国際テロ組織アルカイダの犯行と断定。 指導者オサマ・ビンラディン容疑者らをアフガニスタンの当時のタリバーン政権がかくまっているとして、同年10月、アフガン攻撃に踏み切った。 さらに03年、イラクが大量破壊兵器を持っている疑いがあるとして、イラク戦争を開始した。 (朝日DIGITAL。 米 同時多発テロ (2010年09月12日 朝刊) 〈アフガニスタン〉 アフガニスタン・イスラム共和国(アフガニスタン・イスラムきょうわこく)、通称「アフガニスタン」は、南アジアまたは中央アジアに位置する共和制国家。 内陸国であり、南および東にパキスタン、西にイラン、北にタジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンが位置し、国の東端(ワハーン回廊)は中華人民共和国の新疆(しんきょう)ウイグル自治区に接する。 首都はカブール。 パシュトゥーン人(狭義のアフガーン人)のほか、タジク人、ハザーラ人、ウズベク人、トルクメン人などの数多くの民族が住む多民族国家である。 〈ソ連のアフガニスタン侵攻〉 1979年、ソ連のブレジネフ政権が、親ソ政権を支援し、イスラーム原理主義ゲリラを抑えるために侵攻した。 反発した西側諸国の多くはモスクワ=オリンピックをボイコットした。 経済の停滞するソ連でも大きな問題となり、ソ連崩壊の一因となった。 【YouTube バーバー 弦楽のためのアダージョ】 中村 哲さん 中村 哲は福岡県福岡市出身。 同県若松市(現在の北九州市若松区)を経て、6歳から大学卒業まで糟屋郡古賀町(現在の古賀市)で暮らした。 古賀市立古賀西小学校、西南学院中学校、福岡県立福岡高等学校を経て、1973年に九州大学医学部を卒業した。 医師免許取得後は国内病院勤務ののち、1984年、パキスタン北西辺境州の州都ペシャワールに赴任。 以来、20年以上にわたってハンセン病を中心とする医療活動に従事。 登山と昆虫採集が趣味で、1978年には7000m峰ティリチミール登山隊に帯同医師として参加した。 パキスタン・アフガニスタン地域で長く活動してきたが、パキスタン国内では政府の圧力で活動の継続が困難になったとして、以後はアフガニスタンに現地拠点を移して活動を続ける意思を示している。 中村 哲が何よりも大事に考えていたのは、現地の生活習慣や伝統文化を理解したうえでアフガン国民と接することだった。 治安回復や復興支援のため、米軍をはじめ世界中からさまざまのNGOがアフガンにやってきて活動しているが、その多くは欧米流の価値観や効率的な方法を押し付けてしまうため、活動が現地で受け入れられることは難しい。 中村は、2003年にマグサイサイ賞を受賞。 2004年には皇居に招かれ、明仁天皇・美智子皇后と紀宮清子内親王(いずれも当時)にアフガニスタンの現況報告を行った。 同年、第14回イーハトーブ賞受賞。 2008年には参議院外交防衛委員会で、参考人としてアフガニスタン情勢を語った。 また、天皇陛下御在位20年記念式典 にも、明仁天皇・美智子皇后が関心をもつ分野に縁のある代表者の一人として紹介され列席している。 2010年、水があれば多くの病気と帰還難民問題を解決できるとして、福岡県の山田堰(やまだせき)をモデルにして建設していた、ガンベリー砂漠まで総延長25kmを超える用水路が完成する。 約10万人の農民が暮らしていける基盤をつくった。 中村が砂漠を緑の大地に変えたといえる。 アフガニスタンの国旗と緑化された大地を下に示す。 中村は2013年、第24回福岡アジア文化賞大賞、第61回菊池寛賞を受賞した。 2016年、現地人が自分で用水路をつくれるように、学校を準備中。 住民の要望によりモスク(イスラム教の礼拝堂)やマドラサ(イスラム教の教育施設)を建設。 旭日双光章受章。 2018年、アフガニスタンの国家勲章を受章した。 2019年10月7日、アフガニスタンでの長年の活動が認められ、同国の名誉市民権を授与された。 【YouTube 関口宏の人生の金言(中村 哲) 】 中村医師が指揮して現地スタッフらと掘った井戸は1600本、農業向けの灌漑用水路は13本に上る。 そもそも医師である中村氏は、農業や土木の専門家ではない。 それでも自ら先頭に立ち、砂漠だった土地を緑の大地に変え、戦乱や旱魃、貧困に苦しんでいたアフガンの人びとに、実りをもたらした。 とつぜん銃撃を受け死亡 中村 哲さんは2019年12月4日、アフガニスタンの東部ナンガルハル州の州都ジャラーラーバードにおいて、車で移動中に何者かに銃撃を受け、右胸に一発被弾した。 負傷後、現地の病院に搬送された際には意識があったが、さらなる治療のためにパルヴァーン州バグラームにあるアメリカ軍のバグラム空軍基地へ搬送される途中で死亡。 なお、中村さんと共に車に同乗していた5名(運転手や警備員など)も、この銃撃により死亡した。 中村さんが襲撃されたこの事件に対してターリバーンは報道官が声明を発表し、組織の関与を否定。 一方で、アフガニスタン大統領のアシュラフ・ガニーは「テロ事件である」とする声明を発した。 日本共産党の志位和夫は、「憲法9条に基づく国際貢献とは何かということを身をもって体現された方だった」と追悼の意を示した。 アフガニスタン東部ジャララバード近郊で殺害されたNGO「ペシャワール会」(福岡市)現地代表の医師中村 哲さん(73)の遺体が8日夕、妻尚子さん(66)、長女秋子さん(39)らと共に民間機で帰国した。 自宅に向かうため、9日午前、福岡空港に到着した。 【YouTube 中村哲さん、福岡に帰郷 NGO「全ての事業継続」 】 アフガニスタンで農業支援中に凶弾に倒れた医師中村 哲さんの告別式が11日、福岡市の斎場で営まれた。 中村さんの長男、健さんは親族代表のあいさつで、「父から学んだことは、家族はもちろん人の思いを大切にすること、物事において本当に必要なことを見極めること、そして必要なことは一生懸命行うということです」と述べた。 中村さんに同行し、中村さんを守るために亡くなったアフガニスタン人の運転手ら5人への哀悼や関係者への謝意も表した。 (西日本新聞 2019. 16) 【YouTube 被災地に届け!~佐渡裕 一万人の第九】 中村 哲さんは、もとより外交官ではないが、不屈の闘志と努力によって、日本とアフガニスタンの結びつきをつよめることに成功した。 そういった意味では、外交官以上の外交をなし得たと言え、英雄であると思う。 われらが九州大学出身者の誇りである。 ご冥福を祈るとともに、ご遺族の平安とご活躍をお祈りしたい。 追 記 政府は23日の閣議でアフガニスタン東部で今月、武装集団に銃撃されて亡くなった福岡市の NGO「ペシャワール会」現地代表で医師の中村 哲さん(73)に旭日小綬章を授与することを決定した。 また、首相感謝状を贈ることも報告された。 菅義偉官房長官が同日の記者会見で発表した。 (了) 注: 表紙の中村 哲氏の遺影写真は「NEWSポストセブン」から引用。 同氏の経歴その他はウイキペディアを参照した。 投稿ナビゲーション.

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アフガニスタンの首都カブールにある幹線道路に面した住宅街の一角には、ことし1月、地元の市民団体などによって中村さんの壁画が完成しました。 壁画には、アフガニスタンの公用語の1つであるダリ語で「あなたは一生、私たちの心の中で生き続けます」という言葉が添えられ、平和と復興のシンボルとして地元の人たちに親しまれています。 中村さんが銃撃され、死亡した事件から4日で半年となり、この壁画の近くでも中村さんの死を惜しむ声が聞かれました。 このうち、会社員の男性(50)は「中村さんが亡くなったことに改めて失望し、非常に悲しい気持ちでいっぱいです。 彼はアフガニスタンに貢献し、多くの恩恵をもたらしてくれました。 新型コロナウイルスは危険なうえ、治安の悪化も私たちへの脅威となっているので、平穏になることを願っています」と話していました。 また、30代の会社員の男性は「中村さんは立派な人で生涯忘れることはないでしょう。 子どもたちには中村さんのような人になってもらい、国に貢献してほしいです」と話していました。 アフガニスタンでは反政府武装勢力タリバンなどによるテロや、襲撃が続いているうえ、新型コロナウイルスの影響で、都市部を中心に外出制限が続いていて、市民の暮らしは厳しさを増しています。 アフガニスタンでは現在、中村さんの遺志を継ぐ形で、現地のNGOが、新型コロナウイルスの感染予防に努めながら、農地再生などの活動を続けています。 医師の中村哲さん(73)は、福岡市のNGO「ペシャワール会」の現地代表として、アフガニスタンで長年にわたって人道支援の活動に取り組んできましたが、去年12月4日、東部ナンガルハル州を車で移動中に何者かに銃撃され、死亡しました。 事件のあとは現地のNGO「PMS=ピース・ジャパン・メディカルサービス」が、中村さんの遺志を継ぐ形で農地再生や医療支援などの、活動を続けているということです。 PMSによりますと、ことし4月には新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐためとして、農業用水路の建設現場に通じる道路が封鎖されたこともありましたが、州政府と何度も交渉し、特例として必要な物資などを運ぶ車両と、スタッフの通行が認められたということです。 また、感染によって州政府から活動停止を命じられることのないよう、スタッフにはマスクの着用や手の消毒を積極的に行うよう、指導しているということです。 一方、医療支援の現場では、感染拡大防止のための移動制限などの影響で、医療物資の入手が難しく、医師や看護師は使い捨ての防護服を再利用し、体温計も十分な数を確保できない状況だということです。 ただ、スタッフの士気は高いということで、今後も感染予防策と安全対策をとりながら、今後も活動を続ける予定だということです。 「ペシャワール会」の会長でPMSの代表も務める村上優さんは「もし中村先生がいま現地にいたら、活動を止めることなく、危険を回避しながら前に進んでいったと思う。 私たちに求められているのはまさにそのことだ」と話していました。 アフガニスタンでは、2014年に国際部隊の大部分が撤退して以降、反政府武装勢力タリバンや、過激派組織IS=イスラミックステートなどの過激派が活動を活発化させ、政府の治安部隊と激しい戦闘を続けています。 タリバンやISが、政府機関や軍の施設などをねらったテロや襲撃を繰り返す中、多くの民間人が巻き添えとなっています。 国連によりますと去年、戦闘やテロなどに巻き込まれた民間人の死者は3403人、けがをした人は6989人となり、死傷者が6年連続で1万人を超えるなど、治安の悪化に歯止めがかからない状況です。 治安の安定が大きな課題となる中、アフガニスタンでは去年9月、タリバン政権崩壊後4回目となる大統領選挙が行われ、選挙管理委員会はことし2月、現職のガニ大統領の当選を発表しました。 選挙結果をめぐり、政権ナンバーツーだった対立候補との間で政治的な混乱が続きましたが先月、閣僚や知事の任命権など権限を分け合う形で決着し、新たな政権づくりに一致して取り組むことで合意しました。 新たな政権では、ことし2月に、アメリカとタリバンが署名した和平合意を踏まえて、アフガニスタン政府として、タリバンとの直接対話や停戦に向けた協議をどのように進めていくかが焦点となりますが、一部の地域では、依然として政府の治安部隊とタリバンが激しい戦闘を続けており、停戦協議が進展するかは不透明な情勢です。 一方、政府は、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、ことし3月下旬から、首都カブールなど都市部を中心に、食料品の購入や通院などを除いて外出制限を続けています。 保健省によりますと、これまでに感染者は1万7000人を超え、このうち300人近くが亡くなっていて、長引くテロや戦闘で医療機関が疲弊する中、感染者を受け入れる医療体制の整備が大きな課題となっています。

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カカ・ムラド~中村哲の信念(3) 「100の診療所よりも1本の用水路」 アフガニスタンの今を取材(TNCテレビ西日本)

中村 哲 アフガニスタン

中村哲とは? 中村哲は、一人の日本人医師です。 長きに渡りアフガニスタンで、ペシャワール会という組織を作り、人々に無償で医療を行なっていました。 2003年より、アフガニスタン人の生活を守るため用水路の建設を開始し、2010年に完成。 アフガニスタンでは英雄のような扱いを受けていましたが、2019年12月4日にアフガニスタン国内で何者かの銃撃を受け死亡しました。 用水路建設当時のアフガニスタン アフガニスタンは9. 11アメリカテロの首謀者とされる ウサマ・ビンラディンをかくまったとされましたが、当時の タリバン政権は、 ウサマ・ビンラディンの引き渡しを拒否したため、アメリカから空爆を受けました。 アメリカの空爆により罪のないアフガニスタン人がたくさん死んでいきました。 用水路建設開始を決意 2003年頃のアフガニスタンでは大規模な干ばつが起きて、人々の食料と飲料がなくなり死んでいく人が増えていきました。 それでも、アフガニスタンの人々の健康を根本から解決するには、医療行為だけでは、どうしようもないと思ったのです。 用水路建設の開始 建設する用水路は、「真珠の水」という意味の「マルワリード用水路」と名付けられました。 用水路建設工事には、近くの農民だけでなく、近隣国へ亡命していた難民たちも参加しました。 当時、難民は世界中からアフガニスタンに戻され、100万人もの人が職も家も食べるものもないままあふれかえっていました。 中村哲が行う用水路建設作業は、難民たちに仕事を与えることにもなっていました。 日本円で240円ほどの日当は、難民たちにとって、生きていくための大事な収入でした。 ペシャワール会には日本からの寄付が集まっていたため、作業者たちに給料を払うことができていました。 用水路の建設工事では、 現地農民の自立のため、近代工法を最小限に抑え、現地の道具と材料で行いました。 土を掘るときはツルハシとシャベルで行いました。 米軍ヘリにより作業員たちが機銃掃射されるという事件が発生しました。 それでも作業を進めますが、固すぎる岩盤のせいでまっすぐ掘り進めなくなってしまいます。 岩盤のとなりに埋立地を作り、その埋立地を掘って用水路を作ることにしました。 アフガニスタンで 過去に前例がない工事でした。 何度も何度も土を踏み固めて、強固な地盤を作りました。 7年をかけた工事は、砂漠に緑を蘇らせ、アフガニスタンの人々の生活を一変させました。 中村哲の言葉 アメリカによる空爆が始まったとき 「自由と民主主義」は今、テロ報復で大規模な殺戮戦を展開しようとしている。 おそらく、累々たる罪なき人々の屍の山を見たとき、夢見の悪い後悔と痛みを覚えるのは、報復者その人であろう。 瀕死の小国に世界中の超大国が束になり、果たして何を守ろうとするのか、素朴な疑問である。 用水路に水がとおったときの言葉 作業地の上空を盛んに米軍のヘリコプターが過ぎてゆく。 彼らは殺すために空を飛び、我々は生きるために地面を掘る。 彼らはいかめしい重装備、我々は埃(ほこり)だらけのシャツ一枚だ。 彼らに分からる幸せと喜びが地上にはある。 乾いた第一で水を得て、狂喜する者の気持ちを我々は知っている。 水辺で遊ぶ子供たちの笑顔に、はちきれるような生命の躍動を読み取れるのは、我々の特権だ。 そして、これらが平和の基礎である。

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