伊勢神宮 世界遺産 なぜ。 伊勢神宮

伊勢神宮7社参りの旅 1日で御朱印7社を回る方法と順番を考察

伊勢神宮 世界遺産 なぜ

昭和30年生まれの58歳。 熊野市在住。 出雲の歴史と風土に憧れ、島根大学地理学科へ入学。 熊野市役所に奉職した30年前から土に埋もれ、忘れられた熊野古道の発掘・整備と調査に取り組んでこられました。 三重県と東紀州で構成する「みえ熊野学研究会」の運営委員・研究員として、熊野学の推進と世界遺産登録への文献的な準備を担当。 「紀伊山地の霊場と参詣道」の世界遺産登録の際には、イコモス調査団の説明員を担当されました。 現在は熊野市教育委員会総務課長。 熊野市文化財専門委員を務めていらっしゃいます。 旅に出る前にまずは少し熊野古道について学んでみませんか? わたしたちは旅に出る前にも旅があると思っています。 知識をつけていただくことで、想像が膨らんだり、旅が深まります。 銀座にございますティファニービルの8階にて、ツアー当日にもご同行いただく三石 学講師をお招きし、旅前の歴史講座を開催します。 当講座のみのご参加も可能です(参加費用@1,000円) ここでしか聞けない熊野に関する秘話も聴けるかも!? 詳しくはこちら クラブツーリズム株式会社 ロイヤル・グランステージ 四季の華 【TEL】03-4335-6240 【住所】〒104-0061 東京都中央区銀座2-7-17 ティファニー銀座ビル9階 【電話営業時間】月曜~土曜9:15~17:30 日曜・祝日:休業 【来店窓口営業時間】月曜~土曜9:15~17:30 クラブツーリズムから旅に関する最新の情報をお届け! クラブツーリズムからメールマガジンをお届けしています。 1万件以上あるツアーの中から厳選した、人気のツアーや限定ツアーの情報をご希望の方はメルマガ会員への登録をお願いします。 ログイン後、メールマガジンの設定を変更ください。 SNSでも最新の情報をお届けしています。 旅に関する最新の情報を共有しましょう! ・ ・ ・ ・.

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伊勢神宮が世界遺産では無い理由

伊勢神宮 世界遺産 なぜ

伊勢神宮 内宮~見どころ紹介【アクセス・駐車場・御朱印】 今回は、三重県の伊勢市宇治館町にある「 伊勢神宮」を訪れて「 お伊勢参り」を行うため、朝一番より三重県に向けて車を走らせています。 「 お伊勢参り」を行なうにあたり、すでに 「 二見興玉神社」と「 外宮」への参詣は終了しています。 二見興玉神社及び外宮の記事は後ほどコチラをご覧下さい! さらに「 伊勢神宮」の「 内宮」での参詣が終わったあと向かう「 金剛證寺」の記事もありますので、併せてご覧下さい! 金剛證寺の記事は後ほどコチラをご覧下さい! 一年を通して「 伊勢神宮」にお詣りに向かう方は数多くいるのですが、その中であまり知られていないのが「 二見興玉神社」で禊ぎを済ませてから「 伊勢神宮」の「 外宮」そして「 内宮」の順序でお詣りし、最後に「 奥の院」となる「 金剛證寺」にお参りするのが、正式な「 お伊勢参り」と言うことを知っている人はほとんどいません。 今の時代ですから、正式な「 お伊勢参り」をする方も少ないとは思いますが「 外宮」と「 内宮」は大人気となり、年間来訪者数を合わせると、約1000万人の参詣者が訪れる、日本随一のパワースポットとなっています。 そんな「 伊勢神宮」の「 内宮」を訪れるための「 アクセス」と「 駐車場」について、簡単に紹介しておきます。 伊勢神宮の内宮へのアクセスは良好です 「 伊勢神宮」の「 内宮」へのアクセスに関しては「 公共交通機関」を利用しても「 マイカー」を利用しても、比較的簡単に行くことができます。 まず初めに「 公共交通機関」を利用する場合ですが「 最寄り駅」となるのは「 近鉄鳥羽線」の「 五十鈴川駅」となるのですが「 内宮」への入口となる「 宇治橋鳥居」までは2. 3kmほどですので、徒歩で約30分で行くことができます。 また「 バス」を利用して行くこともでき「 五十鈴川駅」から「 三重交通バス 51系統 徴古館前経由」もしくは「 三重交通バスCANバス 二見鳥羽方面行き 」に乗車すれば「 内宮前」のバス停留所で下車するだけで、目の前が「 宇治橋鳥居」となります。 あと「 近鉄山田線・JR東海参宮線」の「 伊勢市駅」もしくは「 近鉄鳥羽線」の「 宇治山田駅」からでも、同じようにバスを利用することができます。 続いて「 マイカー」を利用する場合でしたら「 伊勢自動車道」の「 伊勢西IC」を降りることになりますが、降りてすぐの「 伊勢西IC」の交差点を右折して「 県道32号線 御木本道路 」に入り、少し走った先の「 宇治浦田町」の交差点を右折して「 国道23号線 伊勢街道 」に入ります。 あとは、直線に750メートルほど走り進めた先が「 伊勢神宮内宮」の「 駐車場」となりますが「 伊勢西IC」から「 駐車場」までは、2kmほどしかありませんので、約5分で行くことができます。 最後に「 駐車場」に関してですが「 内宮」の周辺には「 臨時駐車場」などすべて合わせると、約4000台近く止められる駐車場が点在しています。 『内宮』の『駐車場』です! 「 A3」の駐車場に関しては「 バス専用」となり、残りの「 A1」と「 A2」さらに「 A4」の、駐車場を利用することになりますが、収容台数は、合計260台となっており、それほど大きくないため「 内宮」へと続く「 国道23号線」の「 片側1車線」は、長蛇の渋滞となります。 数分待って「 1台出れば1台入れる」と言う感じで、とてもじれったいです。 合計260台分しか収容できない駐車場であることと「 内宮」の近くには「 おはらい町」や「 おかげ横丁」があることで、一人一人が長時間の滞在となるため、出ていく車が少ないので「 国道23号線」の「 片側1車線」は「 停滞状態」となります。 しびれを切らした車が列から離れると「 その分だけ前に進む!」と、言った感じです。 いつもこんな感じなのか、たまたまかは分かりかねますので、待つのが苦手な方は少し離れますが、周辺に点在する駐車場に移動するのが良いかと思います。 以上が「 伊勢神宮」の「 内宮」への「 アクセス」と「 駐車場」の紹介となります。 伊勢神宮の内宮に架かる宇治橋はパワースポットです! 先に訪れた「 外宮」にも、たくさんの参詣者がいましたが「 内宮」に関しては、そんなどころではありません! 大きく見渡す限り、人で溢れかえっています。 そんな人で溢れかえる参道口にある「 宇治橋」は、長さ101. 8メートルで、幅が8. 42メートルあり、純日本風の木造で強固な反橋となっています。 「 宇治橋」の両側に立つ大鳥居は「 神明鳥居」となっており、人間が住む「 俗界 ぞっかい 」すなわち、この世と神が宿る神域となる「 聖界」すなわち、あの世との結界になっています。 強固な反橋の『宇治橋』です! 20年毎に建て替えが行われる「 神宮式年遷宮」にあわせて、この2つの「 神明鳥居」も、同時に建て替えられるのですが、外側にあたる 西 の鳥居は「 外宮正殿の棟持柱」の古材から造られ、内側にあたる 東 の鳥居は「 内宮正殿の棟持柱」の古材から作られています。 建て替えが済んだ「 神明鳥居」は、鈴鹿の「 関の追分 せきのおいわけ 」と、桑名の「 七里の渡 しちりのわたし 」の鳥居へと姿を変えます。 そんな「 宇治橋」には、隠れたパワースポットが2つあります。 宇治橋に隠れた『パワースポット』 ひとつ目のパワースポットは「 内宮」の参道に架かる「 宇治橋」の、3枚目にあたる橋板なのですが、この橋板を踏むことにより「 金運アップ」の御利益があると言われています。 しかし「 宇治橋」の3枚目にあたる橋板は、知らなくてもほとんどの方が、知らず知らずの間に歩いているだけで踏むことになりますので・・ もうひとつのパワースポットは「 宇治橋」の手すり部分に合計16基ある「 擬宝珠 ぎぼし 」にあります。 進行方向から言うと、左側の2つ目の「 擬宝珠」になるのですが、この「 擬宝珠」にだけ文字が刻まれていますので、見ればすぐに分かると思います。 この「 擬宝珠」の内部にだけ「 宇治橋」の守り神「 饗土橋姫神社 あえどはしひめじんじゃ 」のお札となる「 萬度麻 まんどぬさ 」がおさめれられています。 「 萬度麻」のお札は「 饗土橋姫神社」で「 1万度祈願しただけのご利益がある!」と言われるほど、力のあるお札になっています。 「 宇治橋」の安全をはじめとして「 宇治橋」を渡られる数多くの方々の安全も祈願していますので、通りすがりにでも軽く触れてお力をいただいて下さい。 尚「 宇治橋」の3枚目の橋板と「 擬宝珠」は、同一線上の位置にありますので、考え方次第ではどちらかに触れることで、両方の御利益をいただけると考えても良いかと思います。 最後に注意点としまして「 擬宝珠」は、左手側の2つ目となるのですが「 内宮」は右側通行となっており、左手側は逆行となりますので「 擬宝珠」に関しては、すべての参詣が終了して、ご自宅へ帰るための「 安全祈願」として触れてお帰り下さい。 内宮の手水舎は清流「五十鈴川」 「 正宮」に向けて歩き進めといると、参詣の前に身を清める「 手水舎」があり、多くの方が身を清めるなか、管理人は「 手水舎」を横目に見て、スルーして歩き進めます。 何故かと言うと、この先にある「 五十鈴川御手洗場 いすずがわみたらしば 」まで行き、五十鈴川の清流で心身を清めるためです。 『五十鈴川御手洗場』です! 「 倭姫命 やまとひめのみこと 」が「 御裳着 おんもぎ 」のすその汚れを濯いだと言う伝説があり「 御裳濯川 みもすそがわ 」と言う別名を持っています。 その伝説のこともあり、先ほど渡ってきた「 宇治橋」も、別名「 御裳濯橋 みもすそばし 」と、呼ばれることもあります。 しかし、いくら清流といえども口を濯ぐのは?・・と思うでしょうが、かつては手洗いだけではなく、口濯ぎまで川の水で行われていたと言いますから・・・ かつてはと言うのは、かつてはですから、いくら清流とはいえ、時代は大きく変わって現在の「 五十鈴川」ですからね! どちらで、心身を清めても良いかと思います。 正宮の御祭神は「天照大神」 心身を清めた所で「 正宮」へと歩みを進めます。 「 外宮」と比べると、5倍の広さがあると言われる「 内宮」だけに、歩きごたえはあります。 左手側に見えてくる「 神楽殿」では、たくさんの方が「 お札」や「 お守り」を購入する長蛇の列があるのですが、これまた横目に見ながら「 正宮」へ向けて止まらずに歩き進めます。 ここでひとつ、神社ではおなじみとなる「 おみくじ」ですが「 伊勢神宮」にはありません! 「 おみくじ」は無いのですが「 伊勢神宮に参拝に訪れた日は誰もが吉日!」と、考えられています。 古来より、皆が平等に「 天照大御神」に見守れていると言うことになるそうです。 「 正宮」に到着すると「 伊勢神宮」ならではの光景で、数多くの方が一度は目にしたことがある、階段の上に鎮座する「 正宮」へ参詣する長蛇の列があります。 正宮へ参詣する『長蛇の列』です! このシーンを見るだけで「 伊勢神宮に来たんだ~!」と実感できるのも、不思議なことです。 「 伊勢神宮」の「 内宮」は、神路山・島路山の麓の五十鈴川のほとりに鎮座する「 皇大神宮 こうたいじんぐう 」となり、我が日本国の象徴である天皇の御祖先「 天照大神」を御祭神とします。 また「 三種の神器」のひとつである「 神鏡」の「 八咫鏡 やたのかがみ 」を御神体とした「 正殿」となっています。 「 外宮」そして「 内宮」ともに、社殿の中心である「 正殿」は、五重の垣根に囲まれており、唯一、神明造の古代の様式を伝えます。 萱葺 かやぶき の屋根には「 外宮」では9本「 内宮」では10本の鰹木 かつおぎ がのせられ、4本の千木 ちぎ の先端は「 外宮」は、垂直で「 内宮」は、水平に切られています。 「 伊勢神宮」の「 正宮」への参詣にあたり、ひとつ気を付けなければいけないのが、基本的に自分のお願い事をするところではなく、御祭神である「 天照大神」が「 太陽の神様」と言われていることから「 日頃の太陽の恵みに感謝を伝える場!」と、考えるのが正解です。 ならば「 お願いは聞いてくれないの?」と、ご心配のあなたに是非とも参詣して頂きたいのが、第一別宮となる「 荒祭宮 あらまつりのみや 」に参詣することで「 ご自身のお願いごと!」をすることができます。 神様の中には、神の優しく平和的な一面の「 和御魂 にぎみたま 静 」と、神の荒々しい一面で荒ぶる魂「 荒御魂 あらみたま 動 」の2つがあり「 正宮」では「 和御魂」が祀られており「 第一別宮」に「 荒御魂」が祀られています。 そのため「 第一別宮」に祀られた「 荒御魂」が、個人的なお願いを聞いてくれると言うことです。 自身のお願いごとは第一別宮「荒祭宮」で! 十分に「 正宮」で感謝を伝えたうえで、自分のお願いを聞いていただくため「 荒祭宮 あらまつりのみや 」へと歩みを進めます。 歩き進めていると、とんでもない巨木が参道脇に鎮座しているのが目に入ります。 どれぐらいの樹齢があるのでしょうか? お願い事を聞いてくれる『荒祭宮』 「 御稲御倉 みしねのみくら 」を越え、そのあとに続く「 外幣殿 げへいでん 」を越えて行くと、その先の階段の上に「 荒祭宮」が鎮座しています。 「 荒祭宮」には「 天照大神」の「 荒御魂」がお祀りされているのですが、先ほども少し話ましたが、ご自身のお願い事を聞いてくれるのは、ここ「 荒祭宮」となります。 心ゆくまで、ご自身のお願い事をしてください! 内宮にあるパワースポット「四至神」 「 荒祭宮」への参詣が終わると、続いては「 内宮」の最南にある「 風日祈宮 かざひのみのみや 」に向かうのですが、途中にある「 五丈殿 ごじょうでん 」の手前に、注連縄で囲われた「 四至神 みやのめぐりのかみ 」が鎮座しています。 「 四至神」は、石垣のように積まれた石段が2段よりなり、その石段上に「 石神」としてお祀りされています。 四方の境界を守護する『四至神』 「 四至神」は、神域の四方の境界を守護する神様と言われ、一見すると普通の石に見えますが、近くまで行ってそっと手をかざすと、ほのかな温かみを帯びた、目に見えないパワーが宿る場所になっています。 「 四至神」を訪れた際には、手をかざして温かみのあるパワーを感じとり、心身に力がみなぎってくる感覚をご体験下さい。 「 外宮」にも「 三ッ石」と呼ばれ、手をかざすと温かさを感じるパワースポットがありますが、それと同じようなパワーを感じることができます。 内宮の最北に鎮座する神風を吹かせた「風日祈宮」 「 四至神」で、心身にパワーを充填したあとは「 内宮」の最南に鎮座し「 神風を吹かせた!」と言われている「 風日祈宮 かざひのみのみや 」へと歩みを進めます。 「 神楽殿」の前より南へと歩みを進めるのですが、極端にひと気がなくなります。 『風日祈宮』に続く参道です! 少し気付きにくい場所と言えばそれまでですが、実は、この先にある橋の手前の右手側に参道があり、知らない人のほうが多いのですが、その道はパワースポットになっています。 と、偉そうに言いましたが、管理人も知らなかったので、素材写真などはないのですが、訪れた際は是非歩いていただきたい参道になっています。 その参道には「 神棚」や「 祭壇」などにお供えし、神道の神事にももちいられる植物「 榊 さかき の木」が立ち並んでいると言うことを、あるテレビ番組で取り上げれられていたのを見たことがあります。 榊は「 木」と「 神」を合わせた字となり「 神さまに関わりがある木!」と言うことで、代表的な神木となります。 そんな、代表的な神木が立ち並んでいるのですから、最高のパワースポットに違いありません! 「 風日祈宮」をお詣りする際には、是非ともお立ち寄りください。 と、言っている間に橋を渡り「 風日祈宮 かざひのみのみや 」に到着となります。 内宮の別宮となる『風日祈宮』です! やはり「 風日祈宮」まで参詣に訪れている人は、かなり少ないようです! 「 風日祈宮」は「 外宮」の「 風宮」と同じく、風を司る神「 級長津彦命 しなつひこのみこと 」と「 級長戸辺命 しなとべのみこと 」をお祀りしている「 別宮」となります。 鎌倉時代の元寇 げんこう の時、神風 かみかぜ を吹かせて「 日本をお守りになった神様!」としてよく知られています。 安産・子授け・子育ての祈願ができる「子安神社」 「 伊勢神宮」の「 内宮」でもう1ヶ所、ひと気の少ない場所があるのですが、それが入口の「 宇治橋」を渡ったあと、多くの方は「 正宮」へと向かうため、参道を右に曲がり歩いて行きます。 しかし「 宇治橋」を渡ったら、そのまま直進したところに鎮座しているのが「 大山祇神社」と、その横に鎮座する「 子安神社」となるのですが、知る人ぞ知る「 安産・子授け・子育て」の祈願ができるお社となります。 伊勢神宮の『御朱印』です! 尚「 御朱印」に関しては、基本的には、ひとつにつき300円を納めれば、誰でも頂くことができます。 「 御朱印」に関しては、寺社で参拝しなければ頂けないと言うものではなく「 仏像鑑賞」や「 パワースポット巡り」など、別な楽しみも兼ねた証として頂くと言う考え方もあります。 寺社を訪ねるだけでなく「 御朱印集め」は「 何を書くのか?」や「 どんなハンコ 朱印 を押すのか?」さらに「 字の良し悪し」などを、楽しみのひとつとして収集するのも良いものですよ。 管理人は、訪れた寺社仏閣では必ず「 御朱印」を頂いているので、正確に数えたことはないですが、知らず知らずの間に「 1000」に手が届きそうなくらいになっています。 「 御朱印集め」を、始めようとお考えの方には、是非お勧めしたいと思います。 尚、近年では「 御朱印」を「 スタンプラリー」のように、参拝もしないで頂きに行く方が増えていると言うことですが、最低限のマナーとしては、参拝が終了してから頂くことをお勧めしておきます。 と、言ったところで「 伊勢神宮」の「 内宮」の散策が、すべて終了となります。 古い町並みが再現された通りには、たくさんのお店が立ち並び、歩いているだけも楽しい時間を過ごすことができます。 伊勢名物『伊勢うどん・手こねずし』 「 太くてコシがない最悪の組み合わせで名物?」と、思うでしょうが、長旅をしてきた参拝者の消化に良いように考えられたとのことで、とても古い歴史があり「 考えられているんだ~」って思ったのもつかの間、食べてびっくり「 ん~」っとしか言えません! 熱くもなく、冷たくもなく、たまり醤油をかけただけの極太のモチモチ麺・・ コシの無い麺が好きな方には良いかもしれませんが、コシが大事と考える「 気まぐれファミリー」のお口には・・ ならばと「 手こねずし」を口へと運びます! 鰹の切り身をタレに漬け込んだ「 手こねずし」は、伊勢志摩を代表する郷土料理で、味がしっかりしていておいしいです! 好き嫌いには差があり、我が姫君達の評価はもうひとつでしたが、管理人はおいしく頂きました。 空腹も満たされたので「 おはらい町」から「 おかげ横丁」へと移動します。 お勧めできない『宝くじ売り場』 縁起の良さそうな招き猫に誘われて目に付いたのが、招き猫の前にある「 宝くじ売り場」です。 先ほど「 宇治橋」の「 3枚目の橋板」を嫌と言うほど踏んだことで「 金運アップ」は間違いありません! さらに売場前に鎮座する「 カエル」の上に買った宝くじを載せて拝むと「 お金がカエル」と言う縁起から「 あら不思議!」当たるらしい・・・ と言うことで、早速にも管理人が常日頃から購入し続けているが、まったく当たる気配がないナンバーズを購入してみることに・・ いつもと同様に6500円分のナンバーズを購入すると、すぐさまカエルの上に載せてわき目も振らず、一心不乱にお祈りを始めます! 「 もういいやろ~!」と言う、我が姫君達の声に我に戻った管理人は、すぐに結果が分からないナンバーズを財布に入れると、速攻で結果の出るスクラッチを購入することを思いつきます! 2000円分だけ購入し、一気に削り倒すが、無残にも200円の払い戻しとなります! わずか1分で-1800円となり、一気に疲れが出てきた「 気まぐれファミリー」は「 おかげ横丁」をあとに、駐車場へと歩き出します。 訪れた際には是非・・・・お勧めできません! と、言ったところで「 おはらい町」と「 おかげ横丁」の散策も終了となります。 日本随一のパワースポットと言われる「 伊勢神宮」のパワーは「 のちに訪れるはず!」と、自分に言い聞かせ「 気まぐれファミリー」は、賑わい続ける「 伊勢神宮」をあとにする・・ 伊勢神宮の内宮のアクセス及び駐車場情報! 【 基本情報】 *基本情報は、できる限り新しい情報を掲載することを心掛けていますが、すべての変化に対応できないのが現状となりますのでご了承ください。 「 伊勢神宮 内宮 」• 住所:〒516-0023三重県伊勢市宇治館町1• 電話:0596-24-1111 神宮司庁• 参詣料:無料• 定休日:年中無休• 駐車場:有料 約260台 「 A1 第1駐車場」は「 普通・軽自動車 51台 」専用で24時間入出庫可能です。 *最初の1時間まで無料で1時間を超え2時間まで500円となり以後30分毎に100円加算されます。 *最初の1時間まで無料で1時間を超え2時間まで500円となり以後30分毎に100円加算されます。 * A2 第2駐車場はバスで使用する場合があります。 「 A3 第3駐車場」は「 大型バス・マイクロバス専用」で24時間入出庫可能です。 *バスに関する駐車料金は 1台1回3000円 となります。 *予約はできません。 *出庫に関しては24時間可能です。 *尚、全ての駐車場での注意点として自動精算機で利用できる紙幣は1000円札に限ります。 【 公共交通機関】「 近鉄鳥羽線」の「 五十鈴川駅」から「 宇治橋鳥居」まで徒歩2. 3km 約30分 「 近鉄山田線・JR東海参宮線」の「 伊勢市駅」もしくは「 近鉄鳥羽線」の「 宇治山田駅」から「 三重交通バス外宮内宮循環 55系統 庁舎前経由 51系統 徴古館前経由」に乗車して「 内宮前」の停留所で下車してすぐ 「 近鉄鳥羽線」の「 五十鈴川駅」から「 三重交通バス 51系統 徴古館前経由」に乗車して「 内宮前」の停留所で下車してすぐ 「 近鉄山田線・JR東海参宮線」の「 伊勢市駅」または「 近鉄鳥羽線」の「 宇治山田駅・五十鈴川駅」から「 三重交通バスCANバス 二見鳥羽方面行き 」に乗車して「 内宮前」の停留所で下車してすぐ 【 お車】「 伊勢自動車道」の「 伊勢西IC」を降りてすぐの「 伊勢西IC」の交差点を右折して「 県道32号線 御木本道路 」に入り少し走った先の「 宇治浦田町」の交差点を右折して「 国道23号線 伊勢街道 」に入り750m走り進めた先が「 伊勢神宮内宮」の「 駐車場」です2km 約5分 最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございます。 「 伊勢神宮」の「 内宮」は、我が国が世界に誇る格式ある尊いお宮となります。 確固たる歴史と、伝統を備え持つ「 伊勢神宮」におとずれ、日本随一の「 パワースポット」を、是非ご堪能下さい。 【 関連記事】 「お伊勢参り」に関する記事はコチラをご覧下さい! 三重県に関する記事はコチラをご覧下さい!.

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伊勢神宮 内宮~見どころ紹介【アクセス・駐車場・御朱印】

伊勢神宮 世界遺産 なぜ

伊勢神宮は、正式には単に「神宮」という名の最古級の神社です。 伊勢の国(三重県)にあるから、後世、地名をつけて呼ばれるようになりました。 歴史学的には、いつ始まったのかわからないほど古い神社。 (そういう神社は他にもありますけど。 ) 日本書紀に書かれた伝説では第11代垂仁天皇の時代に始まるといいますが、垂仁天皇がそもそも実在したかわからないほど古い伝説の世界です。 古代には、伊勢の神宮は、天皇家の祖先を祀る神社として朝廷から特別扱いを受けました。 まあ、天皇家専用の神社だったわけです。 古代には、天皇以外の人がこの神宮に参詣したり奉幣したりすることが禁じられ(私幣の禁)、天皇家の未婚(処女)の皇女の一人が長く神宮に仕えました。 (斎宮(さいぐう)といいます。 神宮の近くに住み、毎日神宮の神のための儀式をしました。 ) でも、中世以降は、私幣の禁もなくなり、一般人の参詣が普通になり、江戸時代には「お伊勢参り」が大流行、日本の庶民に親しまれる神社になっていきました。 神宮の内宮の正殿の建物は、唯一神明造という古代の日本の建物の姿を想像させる特殊な形で、ブルーノ・タウトという世界的な建築家が絶賛したこともあります。 歴史、伝承、建築、どれをとっても日本の大切な文化遺産ですね。 ところで、首相が伊勢神宮に行くのは、別に歴史的・文化的には、それほど意味のあることではありません。 古来の考えに従えば、天皇か、天皇が派遣する使者(勅使)が行くことに、意味があると私は思います。 まあ、首相も一平民として、行っていけないとは思いませんが。 靖国神社は、同じ神道に属する神社ですが、それ以外伊勢神宮との共通点はほとんどありません。 明治時代に、近代日本国家のために戦争で戦い亡くなった人の魂を祀る趣旨で作られました。 伊勢の神宮のような古来からの歴史はありません。 文化遺産とはいえませんね。 靖国神社に参拝するとわかりますが、軍隊(旧日本軍)とのつながりを象徴するものが多く、普通の神社の平和的なイメージとは大きく異なります。 靖国神社をどう考えるか、どう評価するかは、日本人の間でも政治的な立場や、国家観、歴史観によって、まちまちです。 (私は、国のために亡くなった人たちを尊敬し、大事に考えたいと思いますが、靖国神社に対してはやや醒めた見方をしています。 身内に軍隊に行って死んだ人がたまたまいなかったからかもしれません。 でも、肉親を軍隊に取られて失った多くの遺族にとっては靖国神社は心情的にとても大切なものとは知っておくべきでしょう。 なお、靖国に参拝する遺族の方々こそ、戦争の悲惨を最も深く体験した人たちであり、靖国参拝が戦争賛美であるかのように見なすのはあまりに表面的過ぎると思います。 ) 神宮と神社は同じです。 病院と医院はさして変わりないですね。 規模や歴史が違うだけ。 古事記・日本書紀によれば、天皇の起源は神武天皇。 神武天皇が作った祭事場は、今の「伊勢神宮」の場所。 江戸時代まで「お伊勢参り」は日本の伝統、そして今も。 イスラム、キリストで言えば「メッカ」の地。 さて、国際戦争に初めて本格参戦した第2次大戦。 日本人が初めて経験する「国家のための世界戦争」。 兵隊は「靖国で会おう」を合い言葉に、戦場に散りました。 別に、神社(神道)の信仰心が厚かった訳でもないけど。 日本国民にとって「靖国神社」は聖地となりました。 はてさて、今の日本があるのは誰のおかげ? 森喜朗・前首相は「日本は神の国」と発言してやめちゃいました。 歴代首相は、靖国神社を参拝して一騒動。 世界で200もの国があるのに、今や日本は第2位の超大国。 「靖国で会おう」と集まった靖国から日本人を追い出せと? A ベストアンサー 朝廷というのは天皇を頂点とした政府のことですが、ここが日本全国を完全に支配していたのはせいぜい平安時代までで、その後紆余曲折はありますが、鎌倉時代、室町時代、戦国時代(この時代は全国を支配した政権はありません)、安土桃山時代から江戸時代まで、ほとんどは武士が支配することになります。 ただ、ややこしいのは武士が支配していた時代でも一貫して朝廷は存在していたことです。 幕府の長は征夷大将軍ですが、これは形式的には天皇の部下なんですね。 ただ、現実には天皇が将軍を自由に選べるということはほとんどなく、武士に言われるがままに任命していたわけですから、実権は武士の側にあったということになります。 wikipedia. ただ、今の天皇陛下も政治的な実権はまったくなくて象徴として存在しているわけなので、それとちょっと似ているというような説明は、できるかもしれませんね。 (今でも首相を任命するのは天皇と決まっています。 ただし天皇が首相を選ぶことはできず、国会が選んだ人を形式的に任命するだけです) 朝廷というのは天皇を頂点とした政府のことですが、ここが日本全国を完全に支配していたのはせいぜい平安時代までで、その後紆余曲折はありますが、鎌倉時代、室町時代、戦国時代(この時代は全国を支配した政権はありません)、安土桃山時代から江戸時代まで、ほとんどは武士が支配することになります。 ただ、ややこしいのは武士が支配していた時代でも一貫して朝廷は存在していたことです。 幕府の長は征夷大将軍ですが、これは形式的には天皇の部下なんですね。 ただ、現実には天皇が将軍を自由に選べるという... A ベストアンサー 実はそのことについてわからないので困っているんです。 というのも3世紀に活躍したとされる邪馬台国の卑弥呼という女王の解釈により、最近では神武天皇でさえ紀元前660年前の人物とすることには異論がありながらも、その存在自体はありえて、だからこそ正史である『日本書紀』に記載されているのでは?といった論調もあります。 神武天皇そのものというより、神武の伝承として伝わる物語の核になる史実が存在した。 それは現存はしていませんが『日本書紀』編纂の主な材料となりえた『帝紀』などに書かれていたのであろう。 と予測する立場があるんですね。 ですから国家や天皇の成り立ち自体はよくわかっていない中で、神話などの古伝承から国家や天皇の成り立ちを整合性を以って説明できるのでは?と目下奮闘中といった人々もいる。 とのあり方が現況では一番進歩が見られるスタンスであり、逆にそのような暗中模索な状況こそが、現在の学界における日本国家成立の研究、ないし天皇支配の淵源の研究などの現状だと思います。 そして天皇(大王)を中心とした国家といった概念が表れたであろうとされるのが、いわゆる4世紀の古墳時代と呼ばれる時代であったことは、考古史料から、特に前方後円墳などの規格性の強い墓制の出現で見当がつきつつあるのですが、そこの詳しい実態は、日本はもとより、3世紀段階における日本の国情を伝えた古代中国の史書などが4世紀時点ではないためよくわからないんです。 いわゆる「謎の4世紀問題」ですね。 いずれにせよ『魏志』倭人伝などの記述から、卑弥呼が活躍する前後(3世紀)にあっては「倭国大乱」と評価できる内戦状態が、その規模は別として事実あったのでしょうね。 もちろんその戦闘状態は天皇の出現と無関係であるとも思えないんです。 その様な中、詳しい経緯はわかりませんが、倭国大乱と呼ばれる混沌とした戦乱の世にあって、統一的国家としてのヤマト政権を樹立するだけの武力ないし交渉力が、4世紀段階における天皇(大王)の祖先にあったことは疑う余地はないのかな?と思いますし、考古史料などが語る結果から帰納法的に糸を手繰りつつ明らかにしようと試みている、3世紀から4世紀にどのような経緯で歴史がつながるのか?といった問題は、識者はもとより僕に限らず古代史に興味を持つ者が一番知りたい部分なのです。 ですから率直に申し上げれば「初代天皇は、どういう経緯で出来たのですか?」という質問については「こっちが知りたい部分です」といった頼りない回答になり、せっかくのご質問に明確にお答えできないことを心苦しく思いながらも、現状をご理解いただければありがたいと思う次第です。 実はそのことについてわからないので困っているんです。 というのも3世紀に活躍したとされる邪馬台国の卑弥呼という女王の解釈により、最近では神武天皇でさえ紀元前660年前の人物とすることには異論がありながらも、その存在自体はありえて、だからこそ正史である『日本書紀』に記載されているのでは?といった論調もあります。 神武天皇そのものというより、神武の伝承として伝わる物語の核になる史実が存在した。 それは現存はしていませんが『日本書紀』編纂の主な材料となりえた『帝紀』などに書かれていたの... A ベストアンサー 既に適切な回答があるので蛇足かもしれませんが、刑事手続きがどうなっているのかを知ればその違いが自ずと分かるので刑事手続きの概要を必要最小限(のつもり)説明しておきます。 長いですので覚悟してください。 全部話をするわけにもいきませんしその必要もないので質問に関するところ(主に捜査)だけ説明します。 犯罪が犯罪として処罰の対象になるためには、まず裁判に先立って、その犯罪の存在を捜査機関が知り、必要な証拠を集め、被疑者(=容疑者)の身柄の確保をしないとなりません。 これを捜査と言います。 被疑者の身柄の確保というのは、「後で裁判になった時に被疑者の出廷が必要」なので逃げられては裁判ができなくて困るというのが第一点。 それと「自由にさせておくと証拠を隠滅するかもしれない」というのが第二点。 ですから逆に言えば、「逃げも隠れもしない、証拠隠滅のおそれも無い」のであれば身柄を確保する必要はありません(一定の軽微な犯罪につき、更に例外あり)。 入院しているような人間なら逮捕しないことはよくあります。 この身柄の確保のための手続きが、「逮捕」であり「勾留(起訴前勾留)」です(起訴前と言っているのは起訴後というのがあるからですがここでは関係ないので説明しません)。 「逮捕」というのは、被疑者の身柄を確保する手続きの内、「短時間のもの」。 具体的には、身柄を拘束し最大48時間拘束し続けることです。 この制限時間が過ぎると釈放しなければなりません。 しかし、それでは困る場合には、引き続いて身柄を拘束することができます。 これが「勾留」です。 勾留は最大10日間身柄を拘束できます。 なお、勾留は1回に限り最大10日間延長することができますから、都合20日間まで勾留できることになります(例外として25日可能な場合もあります)。 ところで勾留の申請ができるのは検察官だけです。 ですから警察官が逮捕した場合には、検察官に勾留申請をしてもらうかどうか決めてもらう必要があります。 そこで48時間の逮捕の制限時間内に検察官に証拠物、捜査書類と一緒に身柄を送致しなければなりません(刑事訴訟法203条1項)。 これを「検察官送致、略して送検」と言います。 無論、警察限りで釈放する場合は必要ありません。 検察官送致を受けると検察官は24時間以内に釈放するか勾留請求をするかしなければなりません。 このような身体を拘束した被疑者を送検することを「身柄付送検」と言う場合があります。 これはなぜかと言えば、質問にある「書類送検」と明確に区別するためです。 ただ、一般には単に「送検」と言えば「身柄付送検」を意味します。 さて、では「書類送検」とはなんぞや?ということになりますが、まず前提として犯罪捜査は常に被疑者の身柄を拘束するわけではないということを知っておかなければなりません。 全犯罪件数から見れば、身柄を拘束しない事件の方が多いです。 身柄を拘束していない場合には、先に述べたように「(203条1項による)検察官送致」をする必要がありません。 と言うか、身柄を拘束していないのでできません。 たとえ逮捕した場合でも、警察限りで釈放すればやはり検察官送致の必要はありません。 しかし、それとは別に、警察は犯罪の捜査をしたら原則として必ず検察官にその捜査についての資料、証拠などを送らなければなりません(刑事訴訟法246条本文)。 これを「書類送検」と呼んでいます。 書類(証拠物、捜査資料、捜査報告書などなど)を検察官に送致するということです。 正確には送致しているのは「事件」なのですが、実際に何を送るのかと言えば「書類」であるということです。 つまり、「(身柄付)送検」と「書類送検」は同じ送検でも別の条文に基づく別の手続きです。 と言っても、(身柄付)送検をすればそのとき書類も一緒に送っているので、重ねて書類送検を行う必要はないので、(身柄付)送検は書類送検を実際には兼ねていますが(と言っても、身柄付送検をすれば書類送検をしなくていいのはあくまでも246条本文に「この法律に特別の定のある場合を除いては」と書いてあり、身柄付送検が「特別の定」だから)。 というわけで、「逮捕」と「送検」というのは次元の違う話であることがわかると思います。 まとめれば、 1.「逮捕」とは、捜査において被疑者の身柄を確保すること。 2.警察が「逮捕」した場合は、刑事訴訟法203条1項により、釈放しない限り48時間以内に被疑者の身柄を検察官に送致しなければならず、これを「(身柄付)送検」と呼ぶ。 3.「書類送検」とは、警察が捜査した事件について刑事訴訟法246条本文に基づきその証拠、捜査資料を検察官に送致すること。 4.「(身柄付)送検」は「書類送検」を兼ねている。 5.警察が「逮捕」した場合でも、釈放すれば「(身柄付)送検」はできないので、その場合は「書類送検」を行わねばならない。 ということです。 そして、「書類送検」するということは「身柄付送検」をしていないということですからつまりは「身柄を拘束していない」ということになります。 身柄を拘束していない場合というのは大概は相対的に軽微な犯罪であることが多いのでその意味では、逮捕した事件(これを身柄事件と言う場合があります)に比べれば罪が軽いことが多いのは確かです。 しかし、それはあくまで結果論であって、書類送検だから、逮捕したから、と言うわけではありません。 既に述べたように逮捕しても身柄付送検せずに釈放すれば書類送検ということになりますし。 なお、先に述べたとおり、「捜査した事件はすべて検察官に送致する」のが原則(全件送致の原則)ですが、例外として検察官送致にしないものが幾つかあります。 例えば、検察官が指定した事件について、月報でまとめて報告するだけの微罪処分ですとか、あるいは報告すらしない始末書処分などがあります。 ちなみに、交通反則通告制度については、微罪処分の一種とする文献もあるにはありますが、多少なり疑問のあるところではあります。 そういうわけで、どういう場合に書類送検となるかと言えば、「刑事訴訟法246条前段に当たる場合」ということになります。 もう少し具体的に言えば、「微罪処分等で済ませることのできない事件で、かつ、身柄付送検等もしなかった事件」ということになります。 ところで、前科というのが何かと言えば、これは法律用語ではないということになっているのですが、法律的に見れば「有罪の判決を受けたこと」を言うと思ってください。 ですから、前科が付くためには、「裁判を経て有罪判決が出なければならない」ことになります。 しかし、最初に述べたとおり「検察官送致」というのは単なる捜査手続きの一部でしかなく、この後で検察官が起訴するかどうかを決め、起訴して初めて裁判になるのですから、検察官送致だけではまだ前科は付きません。 その後どうなるかはその後の話です。 無論、逮捕だけでも前科は付きません。 逮捕=有罪ではありません(そう勘違いしているとしか思えない報道が多いのは事実ですが、有罪判決が出ない限りは被疑者、被告人はあくまでも「無罪」です)。 ちなみに、捜査したが起訴しなかった犯罪事実について「前歴」と呼ぶことがあります。 既に適切な回答があるので蛇足かもしれませんが、刑事手続きがどうなっているのかを知ればその違いが自ずと分かるので刑事手続きの概要を必要最小限(のつもり)説明しておきます。 長いですので覚悟してください。 全部話をするわけにもいきませんしその必要もないので質問に関するところ(主に捜査)だけ説明します。 犯罪が犯罪として処罰の対象になるためには、まず裁判に先立って、その犯罪の存在を捜査機... A ベストアンサー 伊勢神宮の起源を知れば理解できます。 壬申の乱で大海人皇子(天武天皇)が、吉野から逃れ 伊勢に入った時、国司初め多くの国人の助けを受け、 これが勝利の元になった。 のちの柿本人麿呂の歌の中に 行く鳥の 争うはしに 渡会の斎宮ゆ 神風に 伊吹きまどはし 伊勢の神風で大海人皇子の勝利が決まったとの意。 天武天皇はお礼に国人の信仰厚い渡会(今の三重県 明和辺り)の狭く簡素な斎宮を、五十鈴川のほとりに 立派な社殿を建立し移すこととした。 生存中は完成せず、持統四年に完成し、伊勢皇大神宮 の第一回遷宮を行った。 天武天皇の私的皇祖祭祀場と見られたようです。 持統六年の伊勢神宮御親拝にあたり、強い反対が あった。 それ以降明治まで約千年間天皇の伊勢御親拝は 行われなかった。 道鏡の事件で、御神託を仰いだのは、宇佐神宮、 後白河法皇は33回も熊野神社詣を行ったのに、 伊勢詣はない。 もうひとつ「逆説の日本史」の井沢元彦氏の説。 天武天皇の血統は称徳天皇で途切れ、光仁天皇から まえの天智天皇の血統に戻り、それが続いたためでは ないかと。 天武系の他の天皇の時代にも伊勢行幸はなかったので これは関係は薄いようです。 それなのになぜ伊勢神宮は庶民に人気がある。 一つは天武天皇が、律令制度とともに定めた20年 式年遷宮が庶民の注意を惹くから。 庶民は大行事が好き。 戦乱で遷宮が中断された 時代は庶民の関心はありませんでした。 清流五十鈴川の畔で環境が素晴らしい神社だから。 天武天皇の鑑識眼の高さです。 建立は勇み足かも知れませんが、お蔭で江戸時代j以降 民衆の楽みになりました。 伊勢神宮の起源を知れば理解できます。 壬申の乱で大海人皇子(天武天皇)が、吉野から逃れ 伊勢に入った時、国司初め多くの国人の助けを受け、 これが勝利の元になった。 のちの柿本人麿呂の歌の中に 行く鳥の 争うはしに 渡会の斎宮ゆ 神風に 伊吹きまどはし 伊勢の神風で大海人皇子の勝利が決まったとの意。 天武天皇はお礼に国人の信仰厚い渡会(今の三重県 明和辺り)の狭く簡素な斎宮を、五十鈴川のほとりに 立派な社殿を建立し移すこととした。 生存中は完成せず、持統四年に完成し、伊勢皇大... A ベストアンサー 一番判りやすいのは[とこぶし]と[あわび]の殻の穴の数を比較すると[とこぶし]は9個前後、[あわび]は7個位で[とこぶし]が多い。 両方とも殻の色は茶褐色で、赤褐色の不規則な斑紋があって内側は真珠のような光沢があり、大きさの違いが特徴です。 [あわび]は北海道南部から九州までの水が澄んだ潮通しのよい海域に生息し・・・旬は晩春から夏にかけてです。 [とこぶし]は北海道南部から九州までの各地に分布し,外海の岩礁に生息し・・・夏が旬です。 [とこぶし]も[あわび]も3~4月頃、内臓に毒性がみられますが一般に夏に解禁時期を迎えています。 [とこぶし]の美味しい所は、東京近辺では伊豆下田、火山被害で心配な「三宅島」が有名です。 [あわび]の美味しい所は、エサの海藻が美味しければ[あわび]も旨く北海道北部の昆布産地の[蝦夷あわび]は最高だと思います。 okweb. php3? okweb. php3? the-kaiya. html・・・こんな鮑もあります。 *中華料理では[鮑魚]とかいてある場合、特にアワビとトコブシを区別しないようです。 *[あわび]の大きいものは、殻の長さが約15~25cmにもなり[くろあわび][まだかあわび][めかいあわび]などがあります。 一番判りやすいのは[とこぶし]と[あわび]の殻の穴の数を比較すると[とこぶし]は9個前後、[あわび]は7個位で[とこぶし]が多い。 両方とも殻の色は茶褐色で、赤褐色の不規則な斑紋があって内側は真珠のような光沢があり、大きさの違いが特徴です。 [あわび]は北海道南部から九州までの水が澄んだ潮通しのよい海域に生息し・・・旬は晩春から夏にかけてです。 [とこぶし]は北海道南部から九州までの各地に分布し,外海の岩礁に生息し・・・夏が旬です。 [とこぶし]も[あわび]も3~4月頃、内臓に毒性... A ベストアンサー 膵臓が悪い=慢性膵炎と仮定してお話しします。 慢性膵炎の場合の食事療法の基本は「禁酒」と「低脂肪食」です。 膵臓は消化酵素を作るところでもありますから、高脂肪食を食べていると 消化酵素がたくさんでてその結果膵臓自体を消化してしまい、膵炎を悪化させてしまうことがあります。 食事については下記URLが参考になると思います。 さて話は変わりますが、義理のお父さんは本当に膵臓が悪いのでしょうか? この病院の先生がいわれたのは、膵臓が悪い=血液検査で「アミラーゼ」の数値が高いということだろうと思います。 実はアミラーゼは腎臓が悪くなるとクリアランス(要するに腎臓から体外への排出)が低下して、膵臓が悪くないのに高い数字となる場合があります。 また、アミラーゼは膵臓から作られるアミラーゼと、唾液腺から作られるアミラーゼがありますが、唾液腺アミラーゼが高いだけで膵臓は正常な場合があります。 以上より、お義父さんが本当に膵臓が悪いかどうかは腎機能の程度と、上昇しているアミラーゼの種類(膵臓または唾液腺)および画像診断や症状などを総合的に判断する必要があると考えます。 一度病院の先生に聞いてみてください。 ocn. htm 膵臓が悪い=慢性膵炎と仮定してお話しします。 慢性膵炎の場合の食事療法の基本は「禁酒」と「低脂肪食」です。 膵臓は消化酵素を作るところでもありますから、高脂肪食を食べていると 消化酵素がたくさんでてその結果膵臓自体を消化してしまい、膵炎を悪化させてしまうことがあります。 食事については下記URLが参考になると思います。 さて話は変わりますが、義理のお父さんは本当に膵臓が悪いのでしょうか? この病院の先生がいわれたのは、膵臓が悪い=血液検査で「アミラーゼ」の数値が高いというこ... Q 11ヶ月の不妊治療(注射と薬併用)を経験後 妊娠にいたりましたが、昨日10週で 心音が確認出来ず流産となりました。 病院の先生から、不妊治療もしていたし 子宮への影響も考えて、自然流産を待ちましょう。 この出血具合からすれば今週中にはとのことでした。 17日に診断してもらい完全流産に至らなければ 手術を考えましょうと言われました。 GW前に診察した時には元気な心音も聞こえ いつも寝ていることの方が多い赤ちゃんなのに 動き回っていて珍しいねぇと褒めて頂いたのが 嘘のようです。 過去の質問を検索してみても なかなか自然流産の回答が少なく 質問を立てさせて頂きました。 流産確定後、どのくらいの期間で完全流産されましたか?痛みや出血がひどいとネットで調べると書いてありますが、そんなにひどかったですか? お気づきの点があればアドバイス頂きたく存じます。 宜しくお願い致します。 初めは前日ぐらいから腰がだるくなってきて、 当日は朝から生理痛のような痛みが不定期に。 近くを散歩したりしながら過ごしていました。 私もネットで調べて出血がひどくなる人や痛みの事を知り不安に思ったりしていましたが、 実際は出血する事はなく3時頃無事に完全流産になりました。 痛み止めを飲むと出血した時に止まりにくくなるという話を担当医から聞いていたので飲みませんでした。 痛みの感覚が少しづつ狭まり2分間隔ぐらいになると 冷や汗が出てきたり、足が震えたり生理痛とお腹を下した時を合わせたぐらいの痛さでしたが、流産後はやはり不思議と痛さは収まります。 今はとてもお辛いでしょうが、私は自然流産を希望してよかったと思えています。

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