ロケット マン。 ロケットマン (映画)

映画『ロケットマン』が伝えるエルトン・ジョンについての10の事実

ロケット マン

エルトン・ハーキュリーズ・ジョンは、イギリスの有名なミュージシャンです。 ハートの形のサングラス、毒々しいオレンジ色の羽根つきの悪魔コスチュームの衣装を着たエルトン・ジョンが互助会に来ると、依存症だと告白します。 エルトンはアルコール依存症、コカイン中毒、セックス依存、過食症、買い物依存症、マリファナ中毒…と、次々に自分自身が抱えている問題を列挙しました。 どんな子どもだったか問われたエルトンは、自分の子ども時代を振り返ります…。 …エルトン・ジョンというのは、本名ではありません。 本名は、レジナルド・ドワイトと言いました。 レジナルド、通称:レジーは、両親と祖母と住んでいます。 レジーの父・スタンリーは軍人で、いつも家を留守にしていました。 たまに戻ってきても、2~3週間ですぐに出かけていきます。 レジーの母・シーラは派手な女性で、子育てが好きではありませんでした。 シーラは自分が遊ぶことに夢中で、レジーがピアノに興味を持つと、ベビーシッターに預けるような気持ちでピアノを学ばせます。 祖母のアイヴィだけは、レジーをかわいがってくれていました。 レジーは5歳のころから、ピアノの才能がありました。 レジーは両親に愛されたいと思い、ピアノの練習に励みます。 しかし見てくれていたのは祖母だけで、父も母もレジーに冷たく当たります。 母はレジーを放ったらかしですし、レコードを大事にする父は、レジーがレコードを触ると怒りました。 レジーがハグしてもらいたがっても、父は拒否します。 ピアノの先生が、王立音楽院の生徒になれると太鼓判を押しました。 レジーは王立音楽院を受験し、聞いただけの曲をすぐに自分で再現し、合格します。 レジーは王立音楽院に通い始めますが、その頃になると、両親は不仲になっていました。 母は別にフレッドという恋人を作り、車の中でイチャイチャします。 それを見たレジーはショックを受けましたが、母は悪びれることはありません。 父にもすぐに知れ、両親は別れました。 父からも母からも愛情をもらえないレジーは、孤独でした。 そんなレジーが、ロックと出会います エルヴィス・プレスリーが人気を博し、レジーはプレスリーのレコードを手に入れます。 レジーは夢中になり、プレスリーの髪形も真似しました。 そのままレジーは成長します。 レジーは『ブルーソロジー』というバンドを組んで、街の小さな店で演奏をしていました。 その店へソウルのプロモーターがやってきて、レジーをスカウトします。

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ケタ違いの歌唱力!ロケットマン主演タロン・エガートン特別インタビュー! (1/2)

ロケット マン

解説 グラミー賞を5度受賞したイギリス出身の世界的ミュージシャン、エルトン・ジョンの自伝的映画。 並外れた音楽の才能でまたたく間にスターへの階段を駆け上がっていった一方で、様々な困難や苦悩にも満ちたエルトン・ジョンの知られざる半生を、「ユア・ソング(僕の歌は君の歌)」や「ロケット・マン」など数々のヒット曲にのせたミュージカルシーンを交えて描いていく。 イギリス郊外の町で両親の愛を得られずに育った少年レジナルド(レジー)・ドワイトは、唯一、音楽の才能には恵まれていた。 やがてロックに傾倒し、ミュージシャンを目指すことを決意したレジーは、「エルトン・ジョン」という新たな名前で音楽活動を始める。 そして、後に生涯の友となる作詞家バーニー・トーピンとの運命的な出会いをきっかけに、成功への道をひた走っていくが……。 日本でも社会現象となった大ヒット作「ボヘミアン・ラプソディ」で、降板した監督に代わり映画を完成させたデクスター・フレッチャーがメガホンをとり、「キングスマン」シリーズのマシュー・ボーンが製作を担当。 同じく「キングスマン」シリーズでブレイクしたタロン・エガートンがエルトン役を務め、吹き替えなしで歌唱シーンもこなした。 エルトン・ジョン本人も製作総指揮に名を連ねているほか、主題歌「(アイム・ゴナ)ラヴ・ミー・アゲイン」が第92回アカデミー賞の主題歌賞に輝いた。 2019年製作/121分/PG12/イギリス・アメリカ合作 原題:Rocketman 配給:東和ピクチャーズ スタッフ・キャスト ネタバレ! クリックして本文を読む エルトン・ジョンのことを、どこかバカっぽく思っていて、シリアスに捉えられずにいた自分がいた。 実際、エルトン自身が道化師的な持ち味を売りにしていて、ドナルドダックやワニの着ぐるみでライブをするような人なのだ。 しかし、道化になるまでには、その人なりの事情や嗜好や歩いてきた道があるというちゃんと考えたら当たり前のことを、エルトンの曲と詞を通じてとてもわかりやすく伝えてくれるミュージカル映画だった。 伝記映画、と呼ぶにはかなり脚色されていて、曲の時系列もかなり変更が加えられている。 でも、ミュージカル映画だからこその、単純明快な伝達力を最大限に利用して、ざっくりと人生のようなものを堪能できる。 このアレンジ力がみごとだと思う。 監督つながりで『ボヘミアン・ラプソディ』と比較されがちではあるが、まったくベクトルの異なる作品だし、ラストが『ボヘ』のようなカタルシス満載のライブではなく、おちゃらけたミュージックビデオであることも、なんともエルトン・ジョンらしくて好きです。 まったく、最高の条件で映画化が実現したという他ない。 タロン・エガートンのあまりのハマり役にも心底恐れ入った。 この感覚、歴史を懐かしむのではなく、我々もまた歴史が躍動するのを目撃していると言えばいいのだろうか。 そして脚本家リー・ホールの驚きの構成力にも感服しきり。 彼の筆致はまさに伝記映画の新たな地平を切り開いたと言っていい。 ありったけのリスペクトを捧げながらもエンタメ精神を片時も忘れない、そんな傑作の誕生だ。 タロン・エジャトンが見た目は少し異なるエルトン・ジョンを彼らしい愛らしさで巧く造形している。 両親の愛に恵まれなかった少年時代の記憶は成長したエルトンを苦しませるし、愛に恵まれないのはロックスターとなってからも同じ。 でも、この世の誰かに理解され、人生を賭けるに値するビジネスと、それを全うするに足る才能に恵まれたことの至福が、エジャトンの熱唱を介して客席にまで伝播していく。 それを支えるのは、近頃珍しいほどショーアップされたミュージカル・シーケンスだ。 時々スキャンダラスに傾きすぎるエルトンの生き様が、音とサウンドとダンスによってショーアップされる、これぞまさしくミュージカル・ファンタジー。 見終わっても、しばらく興奮が冷めやらないこのジャンルの楽しさを、本当に久々に味わった。 「ボヘミアン・ラプソディ」のメガホンをブライアン・シンガーから引き継いだデクスター・フレッチャーが、またも音楽アーティストの伝記映画の快作を送り出した。 主演タロン・エガートンが何よりすごいのは、劇中曲を吹き替えなしで歌い、それらが本当に素晴らしいこと。 「ボヘミアン~」のラミ・マレックも好演だったが、ボーカルのトラックはフレディ・マーキュリー本人の音源が主。 その点でエガートンはマレックを超えたと言っていい。 多くがミュージカル仕立てのサウンドトラックは、当然エルトンのヒット曲を網羅しているが、たとえば「キャンドル・イン・ザ・ウインド」やディズニーアニメ「ライオン・キング」の主題歌「愛を感じて」、ジョン・レノンのソロ曲に参加した「真夜中を突っ走れ」など、ぜひとも聴きたかった超有名曲がいくつか欠けている。 権利関係の事情があったのかもしれないが、いちファンとして少々残念。

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ロケットマン (映画)

ロケット マン

1972年の代表曲から名のついた映画『ロケットマン』は、の初期のキャリアやブレイク期を描いた伝記映画だ (日本公開8月23日)。 監督は『ボヘミアン・ラプソディ』の最終監督をつとめたデクスター・フレッチャー、エルトン役にはタロン・エガートン、彼の共作者を長く務めてきた作詞家バーニー・トーピン役はジェイミー・ベルが演じる。 エルトンの人生の転機に焦点を当てた映画とあれば、彼の名曲はふんだんに使われていることだろう。 同作の評判は高くエルトン自身もタロンの演技を絶賛している。 劇中ではエルトンのどの曲が使われているのだろうか。 ここに紹介しよう。 「Your Song 僕の歌は君の歌 」 初収録アルバム: 『Elton John 僕の歌は君の歌 』 発表年: 1970年 チャート上の最高位: 英7位、米8位 エルトン・ジョンによる2作目のアルバムに収録された重要曲「Your Song」は、もともと米シングル「Take Me to the Pilot パイロットにつれていって 」のB面曲だった。 だがアメリカのDJたちは「Your Song」の方を好んだため、A面とB面は入れ替えられ、同シングルはエルトンにとって初めての全米トップ10ヒット曲となった。 「I Want Love」 初収録アルバム: 『Songs From The West Coast』 発表年: 2001年 チャート上の最高位: 英9位 エルトンがピアノ中心のサウンドに回帰した26作目『Songs From The West Coast』は批評家からも広く絶賛された。 ミュージック・ビデオに登場するのは「アイアンマン」の主演を務める前、薬物問題でボロボロだったころのロバート・ダウニー・Jr。 「Take Me To The Pilot パイロットにつれていって 」 初収録アルバム: 『Elton John 僕の歌は君の歌 』 発表年: 1970年 チャート上の最高位: 記録なし ヒット・シングル「Your Song」のカップリング・ナンバーに選ばれた楽曲で、セカンド・アルバム『Elton John 』のハイライトのひとつにもなった。 骨太なサウンドを伴った「Take Me To The Pilot」は1970年代のライヴの定番曲として楽しまれ、1987年の『Elton John live in Australia with the Melbourne Symphony Orchestra(エルトン・スーパー・ライヴ 〜栄光のモニュメント〜)』ではフル・オーケストラ・ヴァージョンも披露された。 この曲をアルバムからのサード・シングルとしてリリースすることも検討されたが、結局シングル・カットは見送られている。 エルトンとバーニー・トーピンはそれぞれアン・オーソンとカルト・ブランシュというペンネームでこの曲を書き、に楽曲提供する予定だったのだ。 結果としてエルトンがキキ・ディーとのデュエットで発表することとなったが、英米両国のチャートで1位となり、1976年にはアイヴァー・ノヴェロ賞も受賞している。 同曲にはデル・ニューマンによるホーン・アレンジが施されたほか、のカール・ウィルソンとブルース・ジョンストンがバック・コーラスに参加したことで豪華なサウンドに仕上がっている。 1991年にはジョージ・マイケルとのデュエット・ヴァージョンがリリースされ、英米両国のチャートで首位をマークしている。 「Goodbye Yellow Brick Road」 初収録アルバム: 『Goodbye Yellow Brick Road 黄昏のレンガ路 』 発表年: 1973年5月 チャート上の最高位: 英6位、米2位 デル・ニューマンがアレンジを担当したストリングスが壮麗に響く、言わずと知れたソフト・ロックの名曲。 エルトンの代表曲のひとつであり、現在もステージに欠かせない1曲になっている。 後年、エルトンはビリー・ジョエルとのデュエットでこの「Goodbye Yellow Brick Road」を披露。 そのヴァージョンは『One Night Only: The Greatest Hits Live ワン・ナイト・オンリー〜グレイテスト・ヒッツ・ライヴ 』(2000年)で聴くことができる。 タロンの歌い手としての力量について、エルトンはローリング・ストーン誌の取材にこう語っている。 「僕はタロンとジャイルズ・マーティンを信頼して、制作の過程を彼らに任せたんだ。 出来上がったものを聴いたら驚いたよ」。

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