市川うだんじブログ。 市川右團次の画像・写真

市川左團次

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人物 [編集 ] 父は 飛鳥流家元の飛鳥峯王。 1972年6月、での「天一坊」一子忠右衛門で初舞台を踏み、1975年に上京してに弟子入り。 猿之助のとなって を名乗る。 それ以後はの一員としてなど数々の演目に出演した。 またや歌舞伎以外の舞台への出演もあり、またの演出も手掛ける など多彩な活動を見せている。 2016年5月26日、2017年1月のでの正月『壽新春大歌舞伎』公演にて、死去から80年を経て上方歌舞伎の名跡であるの名を復活させ、三代目としてすることを発表した。 二代目右團次の血縁である三代目が現役であるが、こちらは2017年7月で右團次の隠居名であったを二代目として襲名した。 2017年1月3日、新橋演舞場での『壽新春大歌舞伎』初日を以て正式に 三代目市川右團次を襲名した。 また、右團次襲名と共に屋号をと改めた。 私生活では3度の結婚歴と2度の離婚歴があり、2006年12月に結婚した3人目の妻(9歳年下の女性) との間に2010年4月18日、右近46歳のときに第1子である長男のタケルが誕生している。 2016年6月、長男のタケルが、にて澤瀉屋の門弟筋では初となる二世代目の初御目見得を果たした。 2017年1月、前名である市川右近を譲り、を襲名し、歌舞伎役者として初舞台を踏んだ。 略歴 [編集 ]• 1963年11月 - 日本舞踊飛鳥流家元の長男として大阪府に生まれる。 1972年6月 - 京都南座で「天一坊」一子忠右衛門で初舞台。 1975年1月 - 市川猿之助の部屋子となり、市川右近を名乗る。 1987年3月 - 慶應義塾大学法学部卒業。 1989年 - 新人賞受賞。 1990年2月 - 受賞。 1992年7月 - 歌舞伎座賞受賞。 1993年 - 大劇場で第1回「市川右近の会」公演を開催。 1994年6月 - 名古屋ペンクラブ賞受賞。 1996年4月 - 真山青果賞激励賞受賞。 1997年 - での東京室内歌劇場公演「」で初めてを演出。 1998年3月 - 『』で役を演じ、テレビドラマ初出演。 2000年6月 - 「歌舞伎」の保持者の団体の構成員として認定される。 2014年6月 - 体調不良のため、『松竹大歌舞伎』広島公演から埼玉公演までを休演。 代役はが務める。 2017年1月 - での正月『壽新春大歌舞伎』公演にて 三代目を襲名した。 受賞歴 [編集 ]• 1989年 松尾芸能賞新人賞• 1990年 咲くやこの花賞(制定)• 1992年 歌舞伎座賞(「倭仮名在原系図-蘭平物狂」 (奴 蘭平に対して))• 1994年 名古屋ペンクラブ賞(「八犬伝」 ( 犬江新兵衛に対して))• 1996年 真山青果賞激励賞(「慶喜命乞」 (山岡鉄太郎に対して)) メディア出演 [編集 ] テレビドラマ [編集 ]• (、1998年6月 - 9月) - 徳川秀忠 役• 第1シリーズ 第6話「越前竹人形の秘密」(、1998年) - 有馬左衛門佐 役• (、1999年1月2日) - 役• TBS開局60周年記念ドラマ (、2010年11月3日 - 7日) - 野中一馬 役• 第11話「大晦日、都で悪の大掃除 -京-」(2010年12月20日)• 第15話「内蔵助殿、助太刀致す -赤穂-」(2011年1月31日)• スペシャルドラマ (TBS、2014年3月22日 - 23日) - 隅沢和志 役• (TBS、2017年) - 村野尊彦 役• 手裏剣お秀(フジテレビ、2018年12月21日) - 松平下総守 役• (フジテレビ、2019年9月3日 - 9月23日)第8話 - 最終話 - 神崎譲治 役 バラエティ [編集 ]• (テレビ朝日、2010年3月20日) - と共にゲスト出演• (TBS、2010年10月2日) - 解答者として出演• (テレビ東京、2010年10月26日) - ゲスト出演• (読売テレビ、2013年4月27日)• (フジテレビ、2014年3月3日)-市川猿之助、佐々木蔵之介、市川弘太郎らと共に解答者として出演• (ABC、2016年10月18日)• (日本テレビ、2018年6月24日) 舞台 [編集 ]• ミュージカル『〜White Lovers〜』 - 雄佐役 (2006年)• W-IMPACT『 〜戦〜』 - 役 (2011年)• Sound Theatre THANATOS(タナトス) デイビッド・スウェイン役(2012年)作・演出: テレビCM [編集 ]• 2018年3月8日 - 脚注 [編集 ]• KENSYO vol. 85 セクターエイティエイト. 2016年5月26日閲覧。 (大阪夕刊). 2016年2月3日. 2016年5月26日閲覧。 Sponichi Annex スポーツニッポン新聞社. 2016年5月26日. 2016年5月26日閲覧。 Sponichi ANNEX. スポーツニッポン新聞社. 2017年1月3日. 2017年1月4日閲覧。 スポーツニッポン(電子版) 2007年6月7日• Sponichi Annex スポーツニッポン新聞社. 2016年4月21日. 2016年5月26日閲覧。 スポーツ報知. 報知新聞社. 2016年6月2日. 2017年1月4日閲覧。 (シアターガイド、2014年6月24日)• 2019年8月25日. 2019年9月3日閲覧。 - ABCマート 2018年3月8日 外部リンク [編集 ]• - 歌舞伎 on the web•

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風林火山 第3次出演者発表 仲代達矢 風吹ジュン 市川左團次 高橋和也:風林火山大河ドラマCOM

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甲斐一国の統一を成しとげ、さらに信濃へと領土の拡大を試みるが、嫡男・晴信によって駿河に追放され当主の座を奪われる。 信虎は、14歳で家督を継ぎ、四分五裂の状態にあった甲斐を統一。 戦上手として知られ、甲斐の治安は安定し他国からの侵略を受けることもなくなった。 一方で、際限なく続く戦役に領内の不満が高まり、さらに苛烈な性格から家臣の離反も目立つようになる。 嫡男・晴信を理由もなく嫌い、遂には次男に家督を継がせる意思を鮮明にし、結果、家臣からも見限られ駿河今川家に追放されることになる。 大井夫人(おおいふじん)…風吹ジュン(ふぶきじゅん) 武田信虎の正室。 嫡子・晴信をはじめ三男一女を産む。 夫人は武田の流れを汲む甲斐の豪族・大井氏の生まれだが、実父が信虎と争い敗れた際に人質同然に信虎と結婚させられた。 そのため心の底では夫・信虎を信じることができず、その分、長男・晴信に愛情を注ぎ、熱心に教育した。 夫が晴信によって追放された際には、父子の不仲の原因が自分にあるのではと悩み出家し、以後は北の方と呼ばれた。 板垣・甘利の両重臣が討たれ大敗した上田原の戦いでは、帰陣を促す手紙を送り、意地を張って撤退しない晴信を諌めた。 肉親・家臣からの敬慕の情は厚く、戦乱の世にあって大井夫人は武田家安泰の象徴ともいえる存在であった。 寿桂尼(じゅけいに)…藤村志保(ふじむらしほ) 戦国大名・今川義元の母。 公家の生まれで、京より今川家に嫁ぐ。 夫は今川氏親。 長男・氏輝、次男・彦五郎、五男・義元など6人の男子を産む。 夫・氏親が死んで以降、幼い氏輝を補佐して、実質的な当主として今川家に君臨。 そのため、後世「女戦国大名」と言われた。 当主・氏輝、彦五郎が相次いで謎の死を遂げ、お家騒動が勃発した際、寿桂尼は、当時出家していた承芳(後の義元)を盛りたて、側室の子・玄広恵探と対決する。 この内乱は、花倉の乱(はなくらのらん)と呼ばれ寿桂尼と義元が制し、義元が当主となる。 その後も今川家の重鎮として崇敬を集め、義元が桶狭間で織田信長に討ち取られるとまたも若い当主を支えることとなる。 1568年、武田信玄が同盟を破って駿河を侵略、今川家は滅亡するが、それは寿桂尼の死の直後だった。 生涯かけて今川家を支えた女性である。 上杉憲政(うえすぎのりまさ)…市川左團次(いちかわさだんじ) 関東の名門中の名門、山内上杉氏の最後の当主。 代々、関東管領を継ぎ東国を実質的に支配していた上杉氏は相次ぐ内紛で次第に没落し、憲政が継いだ頃には新興の小田原北条氏によって北関東に追い詰められていた。 1552年に北条氏康によって関東を追われた憲政は越後の長尾景虎の元に逃れ、実質的に山内上杉家は滅亡する。 関東の秩序回復を求められた長尾景虎は北条氏を倒すために出陣、そこに信濃進出を続ける武田家の思惑が絡み合って、東国は巨大な戦乱の渦に飲み込まれていく。 のちに、憲政は景虎と養子縁組を交わし、上杉姓と関東管領職を譲る。 長尾景虎は関東管領・上杉謙信となり、戦国史上最も有名な武田・上杉の戦いが始まることになる。 教来石景政(きょうらいしかげまさ)…高橋和也(たかはしかずや) 晴信の側近の一人。 後に甲斐の名門・馬場家を継ぎ名将・馬場信春として後世に名を残した。 甲斐の地侍にすぎなかった景政は晴信に目をかけられ次第に出世、天文15年には侍大将となり、家老の一人に加わる。 戦上手なだけでなく調略や築城にも才能を発揮し、勘助の一番弟子ともいえる存在となる。 諏訪攻めにあっては勘助とコンビを組んで諏訪家臣の切り崩しを行い大功を立てる。 信濃では、守護・小笠原長時が逃亡した後の松本城代を務め、筑摩郡を支配した。 川中島の戦いでは別働隊の将の一人として武田軍を敗戦から救い、勘助、晴信の死後も勝頼に仕え、長篠の戦いで敗戦の中、殿(しんがり)を務め戦死する。 小山田信有(おやまだのぶあり)…田辺誠一(たなべせいいち) 武田家の重臣・小山田家の当主。 武田信虎、晴信の二代に仕える。 小山田家は信虎が甲斐を統一するまでは、甲斐の東半分にあたる郡内(ぐんない)地方を領有し、その勢いは武田家をしのいでいた。 信有の父の時代に小山田家は信虎の軍門に下り、以後は武田家の重臣として活躍することになった。 信有は知略と武力を兼ね備えた名将で、駿河の今川家がお家騒動で内乱状態に陥った時には素早く先を読んで、家督争いに勝つ今川義元側を支援し、結果、長年の仇敵であった武田家と今川家は同盟を結ぶことになる。 以後は、譜代家老衆の一人として武田家の先陣に立ち信濃攻略に奮戦。 勘助とはお互い智謀に優れるゆえに一種ライバル関係となる。 禰々(ねね)…桜井幸子(さくらいさちこ) 晴信の妹。 対立関係にあった武田家と諏訪家の和睦の証として、諏訪頼重のもとに嫁ぐ。 頼重との間に嫡子・寅王丸をもうけ幸せな家庭を築くが、兄・晴信が突如、諏訪を攻めたことによって運命が暗転する。 降伏した頼重とともに甲斐に連れ戻されるが、頼重は晴信によって自害を命じられる。 慕っていた兄に裏切られたショックから病に伏すようになり、晴信の面会すら拒むようになる。 諏訪滅亡の翌年、病が高じて死去。 戦乱の世を恨み、嫡子・寅王丸には平和に生きて欲しいとの今わの際の願いは、やがて裏切られることになる。 常勝武田家に生まれながら運命に翻弄された悲劇の女性であった。 武田信繁(たけだのぶしげ)…嘉島典俊(かしまのりとし) 晴信の同母弟、母は大井夫人。 晴信を嫌った父・信虎は家督を信繁に譲ろうとしたが、信虎追放にあっては兄・晴信に従った。 官職名の左馬助(さまのすけ)の別称、典厩(てんきゅう)の通り名で知られた。 晴信に劣らぬ知将とされ、信繁が息子に与えた九十九か条の家訓はのちに「信玄家法」の名で流布し、武士の身の処し方のバイブルとされた。 勘助が命を落とした第4回川中島の戦いでは劣勢の武田本隊にあり、命を賭けて兄の本陣を守り、壮烈な討ち死にを遂げる。 当時の記録には、信繁の死を嘆く記述が数多く見られ、武田家にあって重きをなしその名声が他国にまで及んでいたことが窺える。 北条氏康(ほうじょううじやす)…松井誠(まついまこと) 小田原北条氏の三代目当主。 祖父・北条早雲が無からつかみ取った領国を拡大し、ほぼ関東一円を手中に収めることに成功する。 氏康は武田晴信と同世代で家督もほぼ同時期に継ぎ、今川義元が尾張織田の攻略に、武田が信濃攻めにそれぞれ苦労する間に関東を席巻。 氏康は晴信、上杉謙信と並ぶ名将として人望も厚く戦も強かった。 関東管領・上杉憲政の大軍を河越(かわごえ)で破り、憲政を越後に追い落とし、憲政の養子となった長尾景虎が小田原に迫った際も徹底して決戦を避け、戦を長引かせることで上杉勢を退けた。 浪人時代の勘助は氏康を見込んで仕官を申し出るが、氏康は勘助の武田への復讐心の強さを警戒して拒む。 しかし二人の出会いは後の武田・北条・今川の三国同盟成立の足がかりとなる。 第3次出演者発表にあたって…制作統括・若泉久朗(NHKドラマ番組部) 「風林火山」、いよいよ大所の皆さんの発表です。 信玄の父・武田信虎は仲代達矢さん。 ドラマの前半を引っ張っていただきます。 母・大井夫人は大河初出演の風吹ジュンさんです。 対する今川義元の母・寿桂尼は藤村志保さん、関東管領・上杉憲政は市川左團次さんです。 武田の若き武将、教来石景政は高橋和也さん、小山田信有は田辺誠一さん、そして信玄の薄幸の妹・禰々は桜井幸子さんに演じていただきます。 信玄の弟・信繁の嘉島典俊さんと北条氏康の松井誠さん。 お二人は大衆演劇で活躍される人気者です。 重厚かつ時代劇のプロの皆さんによる競演に御期待ください。

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市川右團次 (3代目)とは

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会話弾む愛犬の存在 新年早々の紙面に出させていただけるというので、着物を着てみました。 いつも着物で生活しているわけじゃないですが、歌舞伎俳優は着る機会が多い。 ワンちゃんと一緒に、りりしく見えるでしょうか? まあ最近は、地下深く潜る地下鉄の駅が多くなって、上がり下りの裾さばきが面倒なんで、あんまり着なくなりましたね。 今日はペットとハレの舞台ってことで。 チワワの小さいほうが8歳の桃太郎、大きいほうが3歳の桜(おう)次郎です。 見ての通り、長男と次男で大きさが逆なんですよ。 うちの中での序列も、ある意味逆です。 僕が一番下なの。 一番偉いのはカミさん。 彼らにとって、ご飯をくれるし散歩にも連れてってくれるし。 僕も散歩に連れて行くことはあるけれど、地方公演で1か月もいないことがあるから、下に見られているんです。 家族みんなでベッドで一緒に寝ています。 桃太郎なんて、もう自分のベッドみたいな顔して真ん中で。 僕がベッドに入ろうとすると「ゥ~ 何すんだ! 」という感じでうなる。 僕は「どうもすいません」って言って横にならせていただくんです。 ワンチャンを飼うことになったのは、60を過ぎてカミさんと結婚したのがきっかけです。 「もも」というメスのポメラニアンをカミさんが飼っていて、もうかわいくてかわいくて。 カミさんには「本当は、モモと結婚したかったんでしょ」と責められたもんです。 それからしばらくして、8年ほど前に福岡・博多座で公演した時のこと。 ホテルから劇場に向かう途中に、ペットショップがあった。 そこにいたのが桃太郎です。 毎日「かわいいなあ」とみていたんですが、公演の千秋楽が近づいても売れる気配がない。 それなら、ウチで飼うことにした。 先にいたのがモモだから弟分は桃太郎。 そしてモモが亡くなった後に、遊び相手としてきたのが桜次郎です。 歌舞伎俳優に、休みはほとんどありません。 1か月単位で演目が変わり、千秋楽の後にすぐ次の舞台のけいこが始まる忙しい毎日の中で、桃太郎と桜次郎は、僕ら夫婦にはなくてはならない存在です。 僕は根っからのずぼらタイプで、あれこれと気を配って話を弾ませるタイプじゃない。 だから桃太郎と桜次郎がいると、今日はこうだった、あんなだったって、カミさんとの話が弾む。 話の接ぎ穂を作ってくれる、ありがたい存在なんです。 いちかわ・さだんじ 歌舞伎俳優。 1940年、京都市生まれ。 四代目市川男女蔵(おめぞう) 三代目左団次 の長男として、47年に初舞台。 79年に四代目市川左団次を襲名。 敵役から老け役まで、幅広く演じる。 新橋演舞場で通し狂言「壽三升景清(ことほいでみますかげきよ)」 26日まで に出演。

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