パラリンピック 知 的 障害。 パラリンピック競技特集(14)知的障害者陸上競技

東京パラリンピック開催延期を受けて、パラ陸上・国内外の選手の声 | 後藤佑季

パラリンピック 知 的 障害

「私もスポーツにコンプレックスを持つ一人」と話す熊谷晋一郎さん。 7月末に開かれたシンポジウム『日常への帰還』。 主催した東京大学先端科学技術研究センターの熊谷晋一郎さんは、冒頭、2年前に起きた相模原市の障害者施設殺傷事件に触れ、「能力主義」について問いかけました。 「あの事件の犯人は、『能力のある人には生きる価値があるけれども、能力のない人には生きる価値がない。 』こんなことを言ったわけですね。 それに対して私たちは、良識を持って、『それは間違いである』と反論をしたわけです。 しかし、よく考えてみると、この能力主義というのは、簡単に否定できるものでもない。 例えば障害者福祉の現場でよく言われるのが、『今は支援を受けられていないから能力が発揮できないけれども、適切な合理的配慮さえあれば、能力を十全に発揮できるのだ』というようなロジック。 そして恐らく、そのこと自体、誰も反論できない。 」(熊谷さん) こうしたなか、2020年に開催されるパラリンピックを前に、2つの複雑な思いがあるといいます。 それは、大会をきっかけに様々な領域でのバリアフリーが進み、選手の活躍によって障害者への差別や偏見が減るのではないかという期待。 もう一つは、障害者の間で能力主義的な格差が助長されるのではないかという不安です。 「パラリンピックを見て『頑張っている障害者がいる一方で、私は何て至らないんだろう、無能力なんだろう』と、自分を責めてしまう一般の障害のある人々の存在というものも無視できないわけです。 私自身も決して、スポーツは得意ではないどころか、スポーツにコンプレックスを持ってこれまで生きてきた、比較的多数派の障害者です。 多くの障害者にとって、スポーツあるいは体育といいますと、のけものにされるとか、うまくなじめない、排除されるイメージというのがあると思うんですね。 こうした能力主義の問題とどううまく付き合うのかっていうことが、2020年のパラリンピックを私たちがどう受容するのかという問題と深く関わっているように思います。 」(熊谷さん) 私たちの社会に深く根付く能力主義。 熊谷さんは「相模原事件を生き延びた私たちは、能力主義に対して一定の距離を保ちつつ、否定し切れないそれをうまく使いこなしていかなければいけない」と会場に呼びかけました。 オリンピアンにとってのその後の不自由 引退後の苦しみを打ち明けたバスケットボール元日本代表の小磯典子さん。 今は子ども向けのバスケット教室を開き、スポーツの楽しさを伝えている。 能力主義は障害者だけではなく、オリンピアンのようなトップアスリートも苦しめる現状があります。 高校時代に全国優勝し、実業団で長年活躍してきたバスケットボール元日本代表の小磯典子さん。 現役中は5回オリンピックに挑戦し、アトランタとアテネの2大会に出場。 日本代表をキャプテンとして支えたこともあります。 しかし引退後、ある症状に悩まされました。 現役時代を思い出すものを見たり聞いたりすると、当時のつらい記憶がフラッシュバックし、胸が苦しくなったり、夢でうなされたりするというのです。 「一番怖かった監督のもとで、決勝戦の日にユニフォームを忘れるっていう夢を見て汗だくになって起きて、それで隣にいる娘を見て、『ああ、私はもう大丈夫だ、違う』と(言い聞かせる)。 常に、何か綱渡りしているような日々。 『明日も練習がある』『今、体育館に行かなきゃいないんじゃないか』っていうような、そんな不安がよみがえったりしてきていました。 」(小磯さん) こうした症状が10年ほど続きました。 自身を苦しめるのは、五輪予選に敗れて出場を逃した後悔や喪失感。 そして、勝つために後輩たちに厳しくあたってしまった罪悪感だといいます。 「早く消し去りたいのにどうしても蘇る」。 一見、成功者であるようなオリンピアンでも、過酷なトレーニングと五輪の重圧がその後の人生に大きな傷を残すことがあるのです。 五輪出場を逃したときの世間の冷たさも知る小磯さんは、2020を前に勝者だけを称賛する社会にならないよう警鐘を鳴らします。 「スポーツの利点は、競い合うことで己を磨き、それが社会の向上につながるとは思うんですが、弊害も同時にあると思います。 勝つ人がいたら必ず負ける人がいる。 『敗者の勇気』というのも見てほしいです。 時には無理だと分かっている状況でも自分を奮い立たせ、色んな工夫をして勝負に挑む姿もクローズアップして欲しい。 」(小磯さん) パラリンピアンの生きづらさ 車いすマラソンでアテネ大会6位、ロンドン大会5位入賞を果たした花岡伸和さん 車いすマラソンで、パラリンピックに2大会出場した花岡伸和さん。 パラリンピック選手においても同様の問題が生じていると警鐘を鳴らしました。 花岡さんは現役時代、パラリンピック出場をかけたレース前にストレスで自立神経の失調を起こして、体調を崩した経験があります。 当時は、「トップアスリートとして世界と戦おうとしているのだから、これぐらい当たり前」と思っていました。 しかし、選手を指導する立場になった今、自身に起きていたことを客観的に理解できるようになったといいます。 「2016年のリオパラリンピックが終わった後、ある選手がご飯をあまり食べられなくなったんですね。 食べてもおなかを下したり、戻したりする、微熱も続く。 でも、病院へ行っても何の原因もわからない。 完全に心理的なストレスから体調を崩していたんですね。 心理的なストレスが、いかに屈強なアスリートといえども自律神経の失調を起こして、体調を崩してしまう。 それを客観的に見て、ようやくわかったんですね。 これはもしかしたら大変なことなのかもしれないって。 」(花岡さん) こうした選手へのプレッシャーは、パラリンピックの注目度とともに、さらに高まっています。 2012年のロンドン大会では、結果を出さなければならないというプレッシャーはあったものの、あくまでも「自分自身への責任」に対するものが大きかったといいます。 しかし、ロンドン以降、パラリンピックが注目されるようになり、五輪と同様、「社会に対しての責任」を全うしなくてはというプレッシャーに変化しつつあるのです。 さらに、パラリンピックが注目されるにつれて懸念されるのが、パラリンピアンが作り上げてしまう障害者のイメージだと、花岡さんは指摘します。 「パラリンピアンは障害者のイメージを画一的にする恐れがある」と指摘する花岡伸和さん。 「目立つ人の姿が世の中の障害者のイメージになりやすいと思うんですよね。 パラリンピアンは、そもそも少ない障害者の中のトップアスリートですから、キングオブマイノリティ。 そのイメージは、『身体機能を最大限に生かしている人』や『強者』、『清く正しい人』かなと思うんですよね。 これが障害者のイメージとして定着すると危険です。 選手自身も世の中のレッテルに対して、そうあらねばならないとなったときが一番しんどいんじゃないかと思っています。 」(花岡さん) アスリートは「超人」と表現されることがありますが、「超頑張っている凡人なだけで、何があっても大丈夫な人じゃないんです」と花岡さん。 必ずドロップアウトする人間はいるので、それを受け止める社会の網の目をいかに張り巡らせるかが重要だといいます。 一方、選手自身も、スポーツをやめたとき、次の自分のアイデンティティになるものを現役中から掴んでおくことが大事だと訴えました。 2020で求められる「スポーツ観」 アスリートと障害者。 両者の生きづらさに共通していたのは「能力主義」という私たちの日常に深く根付いた考え方でした。 なかでも、「パラリンピックを見て能力の差を突き付けられてしまう障害者がいる」という熊谷さんの指摘は、2020を前にした盛り上がりのなかで目をそらしてはならない事実です。 実際、障害のある視聴者から「パラリンピックで頑張っている姿を見るとつらくなる」といった声もありました。 一方で、パラリンピックは障害のある人とない人の壁をなくし、社会を変える大きな力を持っているのも事実です。 「」でも議論しましたが、パラリンピックが継続的に盛り上がるためには、障害のある当事者にとってスポーツがもっとポジティブで身近な存在にならなければならないと思います。 能力主義が行き過ぎると、オリンピアンやパラリンピアンの人生そのものにも深く影響を及ぼすことも示されました。 アスリートが弱音を吐きづらいなかで、小磯さんと花岡さんは勇気をもって「弱さ」を打ち明けてくれたと思います。 2020に向けてアスリートへの期待は一層高まり、重圧がのしかかるのは間違いありません。 私たちメディアも勝利を称えるだけでいいのか。 スポーツを通して何を伝えるべきなのか。 私たちの「スポーツ観」が改めて問われていると感じました。 (中野淳) 中野淳アナウンサー 2006年入局。 旅行先でロンドンパラリンピックを観戦したのをきっかけに、数多くのパラアスリートを取材。 リオ大会とピョンチャン大会では現地で開会式の実況などを担当。 スポーツ番組を経て、現在は「ハートネットTV」のキャスター。 あわせて読みたい.

次の

日本知的障害者スポーツ連盟

パラリンピック 知 的 障害

強化合宿に参加した21人(男子11人、女子10人)は、400メートル、1,500メートル、走り幅跳び、砲丸投げの強化指定選手です。 いずれも全国から集まってきた 知的障害者陸上競技のトップ・アスリートたちです。 合宿参加者の数が身体障害者の陸上競技などに比べて少ないのは、出場できる競技種目が少ないためです。 なぜなら、2000年のシドニー・ パラリンピックで、極めて不幸な事件が起きたからなのです。 事件というのは、知的障害者バスケットボールでスペインチームが複数の健常者を知的障害者と偽って出場させ、金メダルを取ったのです。 その後、不正が発覚し、金メダルが剥奪されただけでなく、知的障害者が参加している全競技から追放されました。 このため、ロンドン大会まで計3回、12年にわたって知的障害者は パラリンピックから排除されたのです。 強化選手たちに走り方のコツを教える河合強化委員長=右 ロンドン大会から知的障害者の陸上競技、水泳、卓球の3競技が再開されました。 ただ、陸上競技で参加が認められたのは1,500メートル、走り幅跳び、砲丸投げの3種目だけでした。 リオ大会からの追加種目も400メートルの1種目のみです。 日本知的障がい者陸上競技連盟では、東京大会からさらなる追加種目を期待していますが、今のところ何の連絡もないそうです。 スペインチームの選手替え玉事件は、今もって知的障害者の選手たちに大きな傷跡を残しているのです。 走り幅跳びの練習をする女子選手 同連盟で8年以上、強化委員長を務めている河合正治さん(46)は「リオ大会に日本選手が何人出場できるかどうかは、今春実施される3つの大会での成績次第です。 その結果を受けて、5月末にも日本の出場割当数が国際連盟から示される予定です」と語りました。 また、リオ大会の見通しについては「男子は走り幅跳び、女子は1,500メートルが有望ですが、いずれもメダルは厳しい状況です」と話していました。 このため、開催国である東京大会に期待をつなぎ、今後(1)若い選手の発掘(2)若い選手の育成(3)今の選手の力を引き出すことを課題に、強化を進めていく考えを示しました。 さらに、河合強化委員長は20年以上、教員として障害者教育に携わってきた経験を踏まえ、「知的障害者への対応が世の中で遅れているのは否めません。 知的障害者スポーツの認知度も低いので、フェイスブックやツイッターでPRしていきたい」と話していました。 走り幅跳びの男子で有望な選手は、昨年秋の世界知的障害者選手権で惜しくも4位となった山口光男選手(26)。 静岡県富士市在住で、地元の住宅設備機器メーカー、パーパス(株)で働いています。 富士特別支援学校時代に走り幅跳びを始め、全国大会へ出場して注目されました。 同じ学校で陸上競技をしていた1年後輩の恵美さんと結婚、現在、女の子2人の父親です。 高校時代から指導している強化スタッフの神田いづみさんは「山口君が働いている会社が全面的に支援し、海外遠征の際には旅費を援助しています。 また、山口君の後も、障害者を毎年採用してくれています」と話す。 山口選手は国際大会でメダルに手が届きそうな結果を残していますが、世界ランキングは現在14位です。 「リオ大会に出るには世界ランクが5位以内に入らないと難しい。 東京大会の時には32歳になりますが、けがをしないよう競技を続けて、大会に出られるようがんばりたい」と、静かに闘志を燃やしていました。 走り幅跳び女子のホープは、本格的に練習を始めてまだ1年の酒井園実選手(19)。 埼玉県久喜市在住で、小さい時からのスポーツ好き。 兄や姉と水泳や空手を習い、中学時代から部活動で陸上競技を始めました。 高校卒業と同時にスポーツクラブ「彩たま陸上クラブ」に入り、走り幅跳びを本格的に始めたそうです。 昨年は2度の国際大会に出場し、4m69cmを跳び、日本記録を更新しました。 しかし、世界ランキングはまだ14位で、5位以内に入らないと出場は厳しい状況です。 酒井選手は「もっと記録を伸ばし、 東京パラリンピックを目指したい。 仕事と練習の両立は大変だけど、楽しくやっています」と、明るく話していました。 400メートル男子のホープは、愛知県刈谷市在住の石田正大選手(19)。 中学1年生の部活動で100メートルを始めましたが、その後、400メートルに転向しました。 社会人1年生で、トラック運送会社の事務員をしながら練習に励んでいます。 記録は1年ごとに伸びていて昨年夏、51秒48の日本新を記録しました。 だが、世界ランキングはまだ19位で、やはり5位以内に入らないと パラリンピック出場は厳しいといいます。 石田選手は「50秒台から49秒台に持っていき、なんとかして東京パラリンピックに出たい」と意気込んでいます。 400メートル女子の有望株は、東京都世田谷区在住の池崎 恵選手(24)。 高校卒業と同時に知的障害者の陸上クラブに入り、練習を重ねています。 昨年夏、日本知的障害者陸上競技選手権で優勝を飾りました。 しかし、世界ランキングの壁は厚く、現在15位。 5位以内を目標に、スピードを上げていく練習を積んでいるといいます。 池崎選手は「だんだん良いフォームに仕上がっていくのがうれしい。 スピードの質を上げていき、 東京パラリンピックでなんとかメダルを取りたい」と、抱負を語っていました。 知的障害者のスポーツは身体障害者などに比べ、歴史が浅く、認知度も低い。 社会の目もまだまだ厳しいが、選手たちは心からスポーツを楽しんでいるように感じました。 知的障害者陸上競技 陸上競技には、さまざまな障害のある選手が参加する。 そのため、障害の種類や程度によってクラス分けされるが、基本的には一般の陸上競技と同じルールが適用される。 知的障害者の場合も同様である。

次の

日本パラリンピック委員会

パラリンピック 知 的 障害

概要 [ ] 、 が設立された。 この組織は知的障害者選手のを支援することを目的としており、「 "sport for all" 」のアプローチを取るとは対照的である。 冬季のに初めて知的障害者選手の種目のみが採用され、我が国初の知的障害者選手のパラリンピックとなったを輩出。 その後のパラリンピックにおける知的障害者が参加する競技種目の拡大が期待された。 しかしのにおいてスペインなどで複数(チーム12名中10名も)の健常者が知的障害クラスの種目に出場し金メダルをさらったという不正行為が発覚し、それ以降は不正行為に関わっていない者であってもINAS-FIDの選手はパラリンピックの全ての正式競技から除名排除された。 こうして知的障害者のパラリンピック参加への道は再び閉ざされた。 その後パラリンピックに知的障害者が復帰するための活動が進められ、に至ってようやくにおいて、との3種目の復活が認められ本連盟から選手団が派遣され水泳において我が国初となる知的障害者のパラリンピックであるを生んだ。 だが次の冬季大会においては知的障害者の競技種目は採用されなかった。 には男女合わせて285名の選手が派遣された。 しかし、その内本連盟からの派遣選手の人員や競技種目などの詳細について公表はしていない。 だが競技結果の報道から陸上競技は男子6名女子7名の13名、水泳には男子8名女子4名の12名、卓球に男女各3名で6名が派遣されていることが知れる。 沿革 [ ] 日本知的障害者スポーツ連盟 [ ]• 2000年 - 設立• 2003年 - NPO法人化• 2012年 - に陸上競技と水泳、卓球の日本代表選手団を派遣• 2014年 - に陸上競技と水泳、卓球の日本代表選手団を派遣。 2018年 - 解散。 全日本知的障がい者スポーツ協会 [ ] 加盟団体 [ ]• 日本障害者フライングディスク連盟• 日本知的障がい者フットベースボール連盟• 日本知的障がい者ソフトボール連盟 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ]• この項目は、に関連した です。 などしてくださる(/)。

次の