東急 大 井町 線 運行 情報。 充実する私鉄の座席指定…東急・東武・東京メトロでダイヤ改正 6月6日

充実する私鉄の座席指定…東急・東武・東京メトロでダイヤ改正 6月6日

東急 大 井町 線 運行 情報

概要 [ ] から、、を経てへ向かう路線である。 ・をのぞき、南北放射状に伸びる東急の各線(・・・)とのが存在する。 二子玉川駅 - 溝の口駅間は正式には田園都市線の区間である。 以降、田園都市線の混雑緩和のために同線のバイパス路線としての機能を持たせる改良工事が行われた。 一部列車で、田園都市線・・方面との直通運転を実施している。 路線データ [ ]• 路線距離:大井町 - 二子玉川間 10. 4km(田園都市線区間を含むと12. 4km)• :1067mm• 駅数:15駅(起終点駅含む。 田園都市線区間の溝の口駅を含むと16駅。 公式サイトの路線概要では二子新地駅・高津駅は含まれておらず、この2駅を含むと18駅になる)• 区間:全線• 電化区間:全線(1500V)• :車内信号閉塞式• また、と接続するやと接続する駅周辺は「住みたい街ランキング」の上位に顔を出すこともあるほどの人気がある。 大井町 - 旗の台 [ ] 起点のを西に向けてで出発する。 右手には(JR東日本)のおよび同社の社宅があり、用のなどが留置されている姿が見える。 の西端では、足元を(・)が、頭上をが通る3層のとなっている。 なお、品鶴線のこの地点は旧にあたる。 右にを見て進み、左カーブに差しかかるところが。 上り勾配でを跨ぐとそのまま高架のへ。 その国道1号の地下をが通っているが、一旦改札を出て乗り換えが可能である。 またこの区間は東急線で最初に立体化された区間でもある。 一旦地平に下りたでは、化されたが直下を流れる。 再び高架に上がるとを跨ぐである。 蛇窪の二重跨線線路橋。 旗の台 - 自由が丘 [ ] 旗の台を出るととを相次いで跨ぎ、を経て地下構造のへ進入する。 と合流し、方向別ホームとなっている。 駅前にはが、駅の直上には東急電鉄直営のがある。 駅を出ると右に大きくカーブしながら地下から一気に高架へ上るが、気象条件次第ではここからを望むこともできる。 この区間は線路の両側を東京工業大学の敷地に挟まれた形となっており、左手にはグラウンドが、右手には壁面の太陽電池が特徴的な大岡山北3号館を見ることができる。 カーブが終わると。 なだらかに下り、をくぐるところがである。 かつては隣接してがあったが、検車区機能をに移してからは留置線のみが残されていた。 その後も段階的に撤去され、5両編成1本分の留置線を残し、その跡地は商業施設であるに変わった。 2007年11月15日をもって平日夕方1本のみ設定されていた自由が丘行が廃止され、留置線は一旦完全に撤去されたが、その後、2009年までに5両編成1本分の留置線が復活・併用開始し、日中に車両が留置されている。 大岡山駅は方向別ホームで目黒線に乗り換えが可能な駅となっている。 自由が丘 - 二子玉川 [ ] 自由が丘からしばらく直線に進み、右にカーブするとである。 駅北側のに安置される「九品仏」(9体の像)が駅名の由来である。 構内の両端が踏切道であるため、二子玉川寄り1両は扉を開閉しない。 は(旧)世田谷キャンパスの最寄り駅である。 の手前でが頭上を越える。 九品仏 - 等々力間はほぼ直線で、隣の駅が見通せる。 等々力 - 上野毛間では東京23区で唯一の渓谷である「」を形成するが左を並行し、両駅の中間付近で交差して北に流れてゆく。 切り通しに位置するでは、頭上をが跨ぐ。 周辺はに位置し、や上野毛校舎などもあって緑が多い。 切り通しを抜けると、駅から河川敷へかけての街並みが一望できる。 大きく左へカーブして渋谷から来る田園都市線と合流し、二子玉川の2番線に到着する。 二子玉川駅の溝の口寄りを見る。 当時はまだ、大井町線の線路は溝の口までは延伸してない。 年表 [ ]• (2年) (目蒲電鉄)が大井町 - 大岡山間を開業。 当時から大井町線という路線名であった• (昭和3年) 池月駅(現・北千束駅)開業• (昭和4年)• 二子玉川線として自由ケ丘(現・自由が丘) - 二子玉川間を開業• 大岡山 - 自由ケ丘間開業により全線開業。 二子玉川線を大井町線に統合し、大井町 - 二子玉川間の直通運転を開始• (昭和5年)• 尾山台駅開業• 池月駅を洗足公園駅に改称• (昭和8年)4月1日 中丸山駅を緑ヶ丘駅に改称• (昭和11年) 戸越駅を下神明駅に、蛇窪駅を戸越公園駅に、洗足公園駅を北千束駅に改称• (昭和15年) 大井町線二子玉川駅とよみうり遊園駅を統合し、二子読売園駅に改称• (昭和18年) 玉川線(溝ノ口線)二子読売園 - 溝ノ口間の軌間を1372mmから1067mmに改軌し、大井町線に編入• (昭和19年) 二子読売園駅を二子玉川駅に改称• (昭和20年) 二子玉川駅 - 溝ノ口駅間をに基づく軌道からに基づく鉄道に転換• (昭和26年) 東洗足駅を移転し、旗の台駅に改称• (昭和29年) 二子玉川駅を二子玉川園駅に改称• (昭和33年) 架線電圧を600Vから1500Vに昇圧• (昭和38年) 大井町線を「」に改称。 これにより大井町線という名称は一時消滅する• (昭和41年) 緑ヶ丘駅を緑が丘駅に、自由ヶ丘駅を自由が丘駅に、溝ノ口駅を溝の口駅に改称• (昭和51年) 一部列車を4両編成から5両編成に増強する• (昭和54年) 田園都市線の電車が二子玉川園から新玉川線を経由して・当時の方面へ直通運転を行うようになり、同時に大井町 - 二子玉川園間が大井町線として分離され、約16年ぶりに名称が復活(田園都市線はこの日より二子玉川園 - つきみ野間となる)。 (昭和56年) 一部列車を18m車による6両編成として運転(5両編成と混用)• (元年) 18m車による6両編成運転を廃止、全列車が20m車5両編成となる• (平成12年) 二子玉川園駅を二子玉川駅に改称。 (平成18年)• 8005Fが走行中に車両ドアが開くトラブルが発生。 重大インシデントとしての調査が行われる• 土曜・休日に限り田園都市線に直通する急行の運転開始(大井町線内では各駅停車、上下各3本、2008年3月22日まで)• (平成19年) 自由が丘終着の列車を廃止• (平成20年)• 保安設備を東急形ATSからATC-Pに変更• 大井町線内で急行運転開始。 同時にの運用開始• (平成21年) 溝の口駅まで延伸。 同時に、2種類の各駅停車(種別色が青色と緑色)の運転開始。 (平成24年)• 上旬から順次、が導入される。 大井町駅でホームドアの使用を開始。 (平成25年) で2両分ホーム延伸ならびに踏切移設工事が行われ、同駅でのドアカットが解消。 (平成29年)11月4日 急行の7両化開始。 (平成30年)• 急行の7両化完了。 3月28日 6020系営業運転開始。 平日夜間の長津田行き急行で有料「Qシート」を開始。 (令和元年)10月1日 急行の一部列車が中央林間駅まで延伸。 運行形態 [ ] 2019年3月16日現在、急行と各駅停車が運転されている。 大部分は - 間の折り返し運行となっているが、一部に直通列車があり、・・発着で運転される。 日中の運行本数 [ ] 日中1時間あたりの運転本数は以下のようになっている。 日中の運行パターン 駅名 \ 種別 大井町 … 二子玉川 … 溝の口 … 中央林間 備考 本数 急行 2本 2本 各停 G各 6本 二子新地・高津通過 各停 B各 4本 二子新地・高津停車 列車種別 [ ] 急行 [ ] 急行停車駅のドア位置案内 3番ホーム (2008年3月29日) より運転を開始した。 なお、急行は戦前の一時期にも運転されていた(後述)が、それとは全く異なるものである。 全列車が・7両編成で運転されるが、車両故障およびで運用する編成が不足する場合や、事故・各種トラブルなどでダイヤが乱れた場合は5両編成で運転することもある。 平日はほぼ終日、土休日は日中のみ運転される。 平日朝ラッシュ時はおおむね9分間隔(各停2本に対して1本)、平日の日中・夕ラッシュと土休日の日中はおおむね12 - 18分間隔(各停2 - 3本に対して1本、平日夕ラッシュは各停3 - 4本に対して1本)で運転される。 列車種別は基本的に赤色で表示される。 大井町駅 - 溝の口駅間の運転が基本であるが、平日朝の上りと、平日・土休日の日中毎時上下2本ずつ、夜の下りには、大井町駅 - 田園都市線長津田駅・中央林間駅間で運転される列車が設定されている。 これらの列車は田園都市線内でも急行で運転され、大井町線 - 田園都市線間の転線を二子玉川駅で行う。 ただし、田園都市線が人身事故・各種トラブルなどで急行運転を取り止めた場合、田園都市線内は溝の口駅 - 鷺沼駅で各停で運転、または大井町線内運転となることがある。 なお、大井町線内の途中駅が始発・終点となる列車は設定されていない。 途中停車駅は他の東急各線との連絡駅のみで、東急線全体のバイパス路線という大井町線の性格がよく反映されている。 上下ともで各駅停車に接続するほか、上りのみ平日朝夕ラッシュ時にはで各駅停車を追い抜く。 田園都市線直通列車はこれに加え二子玉川駅・鷺沼駅・長津田駅で田園都市線の各駅停車に接続する(朝夜間は一部接続・追い抜き駅が異なる列車もある)。 また、日中の急行(田園都市線直通を除く)は、二子玉川駅・溝の口駅で同じ方向の田園都市線の速達列車(平日は急行、土休日は準急)に接続している。 設定当初はほとんどの列車が線内(大井町駅 - 溝の口駅間、2009年7月10日までは大井町駅 - 二子玉川駅間)での運転で、田園都市線と直通運転する列車はごく一部だった。 2011年には後の一時期、節電のための臨時ダイヤとして平日日中の急行が田園都市線長津田駅まで乗り入れて運行された。 2012年3月17日より、土休日日中に毎時2本が溝の口駅発着から長津田駅発着に延長され、定期列車として日中の田園都市線直通急行の運行が開始された。 2019年10月1日より、 平日・土休日ともに日中の一部列車が中央林間駅発着へと延伸された。 これにより、大井町線急行の中央林間行が新たに設定されることになった (中央林間駅発の大井町線急行大井町行は2019年9月以前も土休日に存在した)。 なお、一時期には夜間に田園都市線鷺沼行きの下り急行が土休日に1本設定されていたが、長津田行きに延長される形で廃止された。 11月4日より、6両編成から7両編成への増強が開始されており 、2018年2月には7両編成での運行に統一された。 Qシート [ ] から有料「 Qシート」 Q SEAT を開始した。 の3号車をな車両に置き換え、平日の発が19時台から23時台の間の田園都市線直通の急行行のうち5本を、大井町駅 - 間で座席指定サービス車両として運用する。 座席数は45席。 座席指定料金は一律400円で、大井町駅 - 間は乗降可能、 - 間は降車専用、たまプラーザ駅から終点長津田駅まではフリー乗降駅となる。 列車指定券は大井町駅、、、自由が丘駅の各駅の駅窓口で販売されるほか、販売専用webサイト「Qシートチケットレスサービス」でも購入できる。 列車指定券は乗車当日の朝5時から発売され、チケットレス購入も可能である。 サービス開始初日は、発売開始から3時間以内に全ての指定券が売り切れた。 2019年5月には、の一部にもQシートが導入されている。 各駅停車 [ ] 5両編成が使用される。 大半の列車は大井町駅 - 溝の口駅間の運転である。 また、早朝・深夜には田園都市線鷺沼駅発着の列車が、始発・終電に各1本二子玉川駅発着の列車が、平日朝に1本自由が丘発の列車が、それぞれ設定されている。 一部の列車は旗の台駅での急行を待ち合わせをするほか、上り(大井町方面行き)のみ朝や夕方に上野毛駅で急行の通過待ちを行う列車が存在する。 一部の各駅停車は・を通過するため、種別色により区別して案内されている。 なお、後述のように、高津駅・二子新地駅を経由しない二子玉川発大井町行の各駅停車についても、緑の各停として運転されている。 なお、種別色が緑の各駅停車の方が多く運転されており、種別色が青の各駅停車は、日中1時間に4本と早朝・深夜時間帯の鷺沼駅発着(平日上下7本、土休日上下8本)の列車のみである。 こちらは、直通先の田園都市線を含めてすべての駅に停車する。 2009年7月11日に二子玉川駅 - 溝の口駅間が延伸開業するまでは、種別色での表示・案内には青色のみが使用されていた。 また田園都市線に直通する鷺沼行きがあった。 過去の運行形態 [ ] 大井町線車両に貼り付けられている誤乗防止用ステッカー。 白い矢印が大井町線、その他の縦の線は他の東急各線(左から、田園都市線・東横線・目黒線・池上線)を指し、東急各線を結ぶという位置付けが表されている(2006年6月10日、中央林間駅)。 1943年の溝の口線編入から1979年までは、大井町駅から二子玉川園(現・二子玉川)駅を経由し、二子玉川園駅以西の現在の田園都市線区間へ運行する形態が基本的な運行であった(1963年から1979年までは大井町駅 - 二子玉川園駅間も「田園都市線」の路線名であった)。 なお、二子玉川園駅の高架化後は線路配置の関係で同駅での折り返しがしにくかった時期があり、二子新地前(現・二子新地)駅に逆方向の片渡り線を設けて、一部は二子新地前駅折り返しの列車も設定されていた。 また、ラッシュ時間帯には梶が谷、溝の口、鷺沼の各駅を発着する列車も運転されていた。 その後、新玉川線(現在の田園都市線渋谷駅 - 二子玉川駅間)の開業後に二子玉川園駅以西からの一部列車が新玉川線渋谷方面へ直通するようになる。 1979年には、大井町線の分離によって逆に一部を除き二子玉川園駅以西へは運転されなくなり、大井町駅 - 二子玉川園駅の運行が基本となった。 同時に一部のみ設定されていた二子新地駅折返し列車の設定がなくなり、系統分離直後に同駅の渡り線を撤去した。 1979年の系統分離以前には快速列車が運転されていた時期があったが、快速運転は二子玉川園駅以西で行われ、現在の大井町線にあたる大井町駅 - 二子玉川園駅間ではすべての列車が各駅に停車していた。 1979年8月12日から2008年3月27日までは全列車が各駅停車であった。 田園都市線と直通する急行列車が2002年と2003年 に臨時列車として、2006年3月18日からは土曜・休日のみの定期列車として運行を開始した が、これも2008年3月28日の大井町線の急行運転開始より前は大井町線内は各駅停車として運転し、田園都市線内のみ急行として運転した。 なお、直通急行の定期運用化の時期に、田園都市線内での誤乗を防ぐため、一部編成をのぞき先頭車の前面下部と側面のドアと窓の間に大井町線のロゴ入りステッカーが貼り付けられ、帯のデザインも大井町線のカラーのオレンジのグラデーションに変更された。 この時に施行されなかった編成についても大井町線内急行運転開始時に施行された(8000系をのぞく)。 2008年3月28日に線内での急行列車運転が開始された。 また、2009年7月11日に二子玉川駅 - 溝の口駅間が延伸開業し、現在の運行形態が形作られた。 (の節も参照) 戦前期の急行運転 [ ] 大井町線では戦前の一時期に急行列車が運転されていた。 これは大井町 - 二子玉川間で運行される列車のうち、朝間の上りと夕方の下りに大井町 - 荏原町間を通過運転するものであった。 古い事柄のため運転開始時期は不明であるが 、1936年(昭和11年)4月1日のダイヤ改正で廃止されている。 この急行には、車両の前面向かって右側(東横線系統は前面向かって左側 )に急行板が掲出されていたが 、「急行」表記のほかに「通過駅 中延 蛇窪 戸越」と表記されていた。 なお、この表示の「戸越」・「蛇窪」はそれぞれ、現在の下神明駅・戸越公園駅のことである。 改良工事 [ ] 大井町線では、以降大規模な改良工事が行われた。 これは、大井町線にのバイパス路線としての機能を持たせることで、混雑が激しい同路線の混雑緩和を図るものである。 東急大井町線改良・田園都市線化工事( - 間)を実施し、以下の工事を行っていた。 等々力駅以外はすべて完工している。 ホーム拡幅と車両全長20m級7両編成の列車が停車できるホーム長を確保するため、2面2線から頭端式1面2線へとリニューアル工事を実施。 駅施設改良工事ならびに相対式2面2線から島式2面4線に線路を増やし、緩急接続を可能な構造とした上で、車両全長20m級7両編成の列車が停車できるようにホーム延伸工事。 駅施設改良工事ならびに車両全長20m級7両編成の列車が停車できるようにホーム延伸工事を実施。 現在の地上ホーム島式1面2線から島式1面4線構造とし、両外側に急行通過線を設置する計画であるが、後述のにより未だ着工はされていない。 そのため、当駅付近でなどが行われている。 上り(大井町方面行)に急行通過線を追加し、島式1面3線構造とする。 また、それに合わせて駅本屋の新設・既存施設の改良工事。 大井町線と田園都市線の位置の入れ替え工事。 田園都市線二子玉川駅 - 溝の口駅 大井町線延伸のための線増工事。 溝の口駅は相対式2面2線から、上りが島式1面2線・下りは相対式1面1線を併せ持つ2面3線構造となった後、大井町線延伸に伴い島式2面4線構造となった。 (田園都市線) 改良工事完成後の大井町線の車両増に対応するために同線用の梶が谷車庫(4線)の建設。 さらに、急行運転開始に伴う安全性向上と列車運転間隔の短縮のため、に ATS から ATC-P へ保安装置が更新された。 経過 [ ] 前述の通り、田園都市線の混雑緩和を目的とした特定都市鉄道整備事業計画の認定をに受け、「大井町線大岡山 - 二子玉川園(当時)間改良工事および田園都市線二子玉川園 - 溝の口間複々線化工事」として工事が進められた。 当初は、上記の事業名称にもある通り大井町線内の改良区間は大岡山から二子玉川までで、急行運転も同区間のみとされた。 また、急行待避設備はに上り(大井町方面行)、に下り(溝の口方面行)に急行通過線を上下線別々に設置し、同時に両駅を地下化する計画であった。 しかし、に計画が変更されて改良区間に大井町 - 大岡山間も追加され、これにより大井町線改良工事は同線全区間が対象となった。 同時に、前項で述べた急行通過線は、上下線ともに等々力駅に集約・設置するように変更された。 東急電鉄ウェブサイトによると、急行運転は本来ならばの開始を予定していたが、用地買収が難航していることなどからに延び 、その後2007年度内に急行運転開始することを発表した後、2008年度内に溝の口駅までに延伸させる計画が発表された。 そして、から大井町線内での急行運転を開始し 、その後、溝の口延伸はとの発表があったが、実際にはさらに延び、となった。 完成後 [ ] 工事完成後、大井町線が溝の口駅まで延伸された。 二子玉川 - 溝の口間は複々線となり、外側2線は田園都市線、内側2線が大井町線である。 なお、同区間の途中にあるとの両駅は、外側の田園都市線にのみホームがある。 このため、両駅は田園都市線のみの駅として扱われ、大井町線の駅ではないとされる。 前述の通り各駅停車の列車は2系統になる。 二子玉川 - 溝の口間で大井町線の線路を走行して高津・二子新地の両駅を通過する各駅停車は種別色が緑となり、二子玉川 - 溝の口間で田園都市線の線路を走行して高津・二子新地の両駅に停車する各駅停車は種別色が青となる。 種別色が青の各駅停車は、この複々線区間で田園都市線の線路に転線しているため、厳密には途中で田園都市線を経由して走行していることになる。 等々力駅周辺での反対運動 [ ] この改良工事に対して、とりわけ等々力駅周辺で反対運動が起きている。 主な反対の理由は「等々力駅周辺の地下化によって内唯一の渓谷であるの湧水が妨げられ、渓谷の自然が破壊されるおそれがある」との観点である。 このため、を中心として等々力駅地下化工事技術検討委員会が設立された。 同委員会は工事によって環境影響が生じないように第三者的立場から技術的検討を行い、2005年12月に報告書を提出した。 2018年4月現在も等々力駅地下化工事は着工されていない。 以上の理由から、に伴って等々力駅地下化工事は着工できずにおり、仮に着工されたとしても相当な時間を要することが予想されることや、かつ急行運転開始を2007年度内に間に合わせるために、急遽計画を一部変更して上り線(大井町方面行)に急行通過線が追加された。 なお、あくまでもこれは暫定的な措置であり、将来等々力駅地下化工事が完成した際は、上野毛駅での待避は行われない予定であるが、等々力駅での待避に移行された後も上野毛駅の急行通過線は撤去されず、非常用として何らかの形で使用を続けるとしている。 使用車両 [ ] 現行の使用車両 [ ] 10月時点で営業運転に使用している車両を記載する。 - 5両編成15本(75両)• - 5両編成3本(15両)• - 7両編成6本(42両) 優等列車運用。 - 7両編成2本(14両) 優等列車運用。 2018年3月28日営業運転開始。 車両のはすべてとなっているが、6000系・6020系以外は当初菱形のものを装着しており、後年にシングルアーム式に交換された。 また、5両編成は全編成とも前面帯が後年にグラデーションタイプのものに張り替えられ、側面ドア横には「大井町線」のシールが貼られている。 では二子玉川寄りの1両がを実施している。 そのため、ドア非扱い装置を設置しているほか、ドアとその上部にはドアが開かない旨のステッカーを貼り付けている。 なお、かつて大井町寄り2両のドアカットを行っていたについても、同様にドアとその上部にドアが開かない旨のステッカーを貼り付けていた。 両駅を通過する急行のみで運用される6000系・6020系はドアカットを行わないため、ドアカットのステッカー貼り付けも行われていない。 大井町線では、2006年3月の田園都市線直通急行定期運転開始の際に一部編成で各駅停車の表示を開始したものの、大井町線内急行運転開始を経ても全編成では表示を行わず、溝の口延伸までに全編成が各駅停車表示を行うようになった。 6020系 過去の使用車両 [ ]• (狭義)• - 9020系に改番• 1979年(昭和54年)8月の田園都市線・新玉川線(当時)と大井町線との運転系統分離時には、東横線を含めた大規模な車両の転配が行われた。 大井町線という名称が復活した同時点では5両編成、初代5000系5両編成、8000系5両編成の3系列が配置されていた。 この時点での大井町線の冷房車は全23編成中わずか2編成(8000系)であった。 1980年(昭和55年)には東横線から7200系が5両編成として転入した。 1981年(昭和56年)3月には東横線から初代6000系が転入し、同年4月1日からは初代6000系・7200系中型車(18m車)による6両編成運転が開始された。 これに伴い、デハ3450形は運用を終了し、大井町線は全車両が高性能車となった。 1981年(昭和56年)12月には7000系が6両編成として転入するなど 、しばらくの期間は大型車(20m車)5両編成と中型車(18m車)6両編成との混用が続いていた。 最終的には、東横線から8090系が転入することで中型車(18m車)による6両編成の運転は、1989年(平成元年)1月26日のダイヤ改正に合わせて20m車5両編成に統一され消滅した。 2000系(2018年撮影) その他 [ ] 営業運転ではないが、東急電鉄や(東京メトロ)への入出場のため、東急の他路線の車両やの車両 が当路線を回送列車として走行することがある。 近年の輸送実績を下表に記す。 表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。 田園都市線複々線区間も合わせて記載。 正式路線名 駅番号 駅名 駅間キロ 累計キロ 各停 急行 接続路線・備考 所在地 大井町線 OM01 - 0. 8 0. 7 1. 6 2. 6 2. 5 3. 8 4. 8 4. 5 5. 0 6. 8 7. 7 7. 5 8. 9 9. 2 10. 7 11. 6 11. 7 12. 脚注 [ ] []• - 東京急行電鉄• では、不動産大手8社が参加する不動産ポータルサイト「メジャーセブン」でのマンション購入意向者に対するアンケートの結果として、1位に自由が丘、4位に二子玉川が2年連続で入っていることを紹介している。 の概要の部分を参照• 2012年11月19日, at the. - 東京急行電鉄、2012年1月26日、2012年1月26日閲覧。 2013年6月25日時点の [ ]よりアーカイブ。 2012年2月8日閲覧。 鉄道ファン railf. jp 2017年11月5日• jp 鉄道ニュース、2018年3月29日• jp鉄道ニュース 2018年10月23日• マイナビニュース 2019年8月7日. 2019年8月29日閲覧。 東京急行電鉄. 2016年5月13日閲覧。 - 東洋経済オンライン、2018年11月13日• 鉄道コム 2018-11-12JST20:45:00. 2019年4月18日閲覧。 - 鉄道ホビダス RMニュース、2019年6月3日• 鉄道ピクトリアル 2017年7月号特集「東急田園都市線」• 鉄道図書刊行会「鉄道ピクトリアル」1985年1月臨時増刊号「東京急行電鉄特集」102頁記事。 プレスリリース , 東京急行電鉄, 2000年11月17日 , 2018年7月22日閲覧。 プレスリリース , 東京急行電鉄, 2009年4月10日 , 2018年7月22日閲覧。 上野毛駅掲示ポスターによる• jp 鉄道ニュース、2019年2月18日• 『鉄道ダイヤ情報』2008年4月、 p. - マイナビニュース、2018年11月21日• 交友社「鉄道ファン」1980年10月号「'80夏 東急ニュース」93-95頁記事。 交友社「鉄道ファン」1981年7月号「東急ニュース '81-4」121-124頁記事。 ネコ・パブリッシング「レイルマガジン」1989年4月号NEWSCRAMBLE「営団半蔵門線延長および東急ダイヤ改正」記事• - 鉄道ファン・railf. jp 鉄道ニュース、2017年7月29日• - 鉄道ファン・railf. jp 鉄道ニュース、2018年12月4日• 国土交通省. 4 2019年7月18日. 2019年7月20日閲覧。 「都市交通年報」各年度版• 神奈川県 1987年9月. 2015年1月13日時点のよりアーカイブ。 2015年5月10日閲覧。 PDF. 東京都議会議会局. 2016-04-29. 2017年2月3日閲覧。 品川区. 2017年2月3日閲覧。 関連項目 [ ]• - 大井町線が収録されており、運転することができる。 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 2007年1月15日.

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東急大井町線

東急 大 井町 線 運行 情報

概要 [ ] (17年)、 は陸上交通事業調整法の趣旨に基づき、同じ五島慶太が経営していたおよびを合併。 さらに、(昭和19年)にはを合併。 また(昭和20年)には子会社で経営基盤が脆弱であったの経営を受託。 その営業範囲は東横の元々のテリトリーであった南西部および・に加え、や・など東京のより南側や、・など神奈川県の大部分に及ぶものとなった。 大東急時代の鉄道路線は、現在ののものに加え、・小田急電鉄・・相模鉄道に該当する。 さらには、以下の企業をその傘下に収めた。 東京都南西部と多摩南部・神奈川県全域・静岡県中部および群馬県草津・長野県軽井沢地区の私鉄• 、 、 、 、(現・)• バス路線• 関東乗合自動車(現) 、東都乗合自動車(現・) 、東海道乗合自動車・藤沢自動車・伊勢原自動車 (統合し神奈川中央乗合自動車、現・)• 上記の私鉄バス事業および子会社、タクシー会社• 陸運会社• 品川運送・城南運送・東横運送・東京砂利運送・厚木通運・相鉄運輸 (以上、現・)• 横浜西部運送・小田原運送・平塚運送・相模運送・横須賀運送 (以上、現・)• 横浜東部運送(現・)、、城北運送 後、()およびが公布されたが、鉄道事業者である大東急は適用対象外となった。 しかし鶴川一郎(後の社長)を筆頭に旧小田急電鉄従業員を中心とした分離独立を求める動きが旧小田急のみならず旧京王・旧京浜でも高まり、企業分割を巡り社内が混乱した。 さらに大東急の路線は私鉄の中でとりわけによる被害が大きく、これをすべて復旧する資金を一企業が調達するのには限界があった。 結局、を受けていた五島慶太は、会社を分けることで東急各線の復旧が早まると判断し、この意を受けた(当時専務)の案により会社は再編成され、(昭和23年)、京王・小田急・京急の3社が分離独立し、ほぼ(昭和14年)当時のの路線のみが東急の路線として残り、現在の形となった。 それ以外の私鉄も統合前の形に基本的には復することになったが、鉄道路線では元小田急電鉄の帝都線であったが京王帝都電鉄(現・京王電鉄)の所属となったり 、バス路線でも旧東横乗合の路線のうち以北が京王帝都電鉄に、より海側が京浜急行電鉄の所属となったように、若干の変化はあった。 成立と崩壊の経緯 [ ] 東京急行電鉄の直系前身となる会社は、・の開発した分譲地と省線(現在のJR)を結ぶための鉄道線として(11年)に設立された(目蒲電鉄)である。 翌(大正12年)に目黒 - 蒲田間(、後のおよびとなる)を開業したが、それと並行する形でが1922年(大正11年)から(昭和3年)にかけて蒲田 - 五反田間の路線を開業させた。 これにより、両者は競合関係になる。 付帯事業である乗合バスまで含めた競争は、目蒲代表者の五島慶太が池上電鉄の大口出資者であるを口説き落として、(昭和9年)に漸く併呑する形で収拾、池上電鉄の路線は自社のとした。 この「敵を身内にしてしまう」やり方は、主に株式の買い占めを図ることで行われた。 次いで、目蒲の姉妹会社である(旧)(東横電鉄、現在のの母体)と、(玉電、後のの一部との母体)が渋谷開発を巡り衝突した。 東横電鉄の開業に対抗し、玉電は二幸を誘致して玉電食堂ビルを建設した。 また、東横乗合と玉電バスも路線が錯綜し競合していた。 玉電は東横に対抗すべく、路線が隣接しておりかつ同じが経営していた京王電気軌道と結託した。 このような対立関係が続く中、五島はまた東京高速鉄道の建設といった案件を抱えており、同社渋谷駅を建設するためには、玉電の協力が不可欠であった。 こうして、五島は玉電の大株主であるに働きかけ、大量の同社株式を取得した。 これで企業乗っ取りは成功し、(昭和11年)玉電は東横電鉄に合併された。 また、これで東横電鉄と京王は関係会社同士になったが、五島と井上は依然として敵対関係であり、手を携えるどころか、逆に主として乗合バス事業の面で大いに対立していた。 上記でも触れた(後にを経て現在の)は、渋谷 - 新橋 - 東京間の建設を行う会社として、を背景に設立された会社で、東横電鉄の経営で実績のあった五島が常務(事実上の代表者)に迎えられた。 五島は、東京高速鉄道の新橋以東の路線をすでに浅草 - 神田 - 新橋間で開業していたと結んだ方が良いと判断し、先方と交渉に及び直通することで合意したが、東京地下鉄道側はと結んで京浜地下鉄道を設立し、新橋から品川方面への延伸計画を発表した。 約束を反故にされた形の五島は、直ちに東京地下鉄道の提携先である京浜電気鉄道株式の買い占めにかかり、まず同社の大株主であった前山久吉(頭取で、後に衆議院議員となったの義父)から株式を譲り受け、次いで同社の実力者であるの説得に当たった。 これには前山や鬼怒川水力電気のも荷担し、三者による再三にわたる説得に漸く望月も応じることになり、1939年(昭和14年)4月東京高速鉄道が京浜電気鉄道ならびに姉妹会社である湘南電気鉄道・東京地下鉄道を傘下に収めることになった。 なお、東横電鉄と京浜電鉄はの経営を巡って争ったことがあり、また大森地区や江ノ島地区 で乗合バス事業が競合していた。 また、目黒蒲田電鉄は(旧)東京横浜電鉄を合併して名称を逆に(新)東京横浜電鉄に改称し、京浜電気鉄道もまた湘南電気鉄道・湘南半島自動車を合併。 統制経済に伴う企業の集約化が進んだ(東横電鉄を略して東横と呼び、一時は子会社の社名に東急ではなく東横が使われたこともある)。 これら一連の企業買収、企業乗っ取りで五島はその手腕の強烈さから、苗字をもじって 強盗慶太との異名をとった。 鬼怒川水力電気の利光鶴松は上記の通り、五島の良き理解者であったが、自らが手掛けたの金鉱開発事業が経営上大きな負担となり、また主業であった電力事業が国家買収されたため、以降は採算の乏しい小田急電鉄だけとなってしまった。 利光は同社の先行きは不透明であるが、高齢もあって自らの手での再建は難しいと考えた。 このため引退を決意し、事業の一切を五島に引き継ぐこととした。 こうして(昭和16年)9月、五島は小田急社長に迎えられ、同社の再建を担うことになった。 東横・京浜・小田急の3電鉄は全く異なる沿革を持ちながら、同一人物が経営することとなったため、経営の合理化と陸上交通事業調整法の趣旨に則って、合併することとなった。 (昭和17年)、三社合併が成立して「大東急」が誕生した。 このとき、東横の一株主から「小田急の如き業績の悪い会社と1対1の比率で合併するのは企業価値を損ねる。 」と反対されている。 陸上交通事業調整法の指定では、中央線以南が一ブロックとなっていたが 、この地区では東急のほかには京王が存続していた。 両社は関係会社であったが、既述の通り実態は反目し合う仲であった。 京王の大株主はのであったが、穴水は以前東京地下鉄道株を五島に譲渡したこともあり、今回も五島に京王株を譲渡することに異存はなかった。 しかしながら、穴水も事実上の実力者である井上の意向を無視できず、結局五島は井上の説得にかかった。 これまでも井上は「我が城(京王)は小さくともダイヤモンドだ。 東京急行は規模はでかいかも知れないが瓦礫の山だ。 」 と言って合併話に取り合わなかったものの、戦時統制の波に京王が抗しきることはできず井上も合併を了承。 1944年(昭和19年)遂に京王電気軌道は東急に合併した。 中央線以南ブロックでは、このほかに・などの系の電鉄会社があった。 これらの会社も東急の関係会社ではあったが、京王同様実態は競合関係にあった。 五島は南武の役員にはなっていたが、協力関係はほとんどなかった。 浅野系電鉄会社各社はで省線に組み入れられたため、大東急に加わることはなかった(ただし、この買収を仕掛けたのはに請われて運輸通信大臣に就任していた五島である)。 五島の公職追放やそれに伴う終戦後の処理が後手に回る等、大東急は経営が行き詰っていた。 東急本社では、戦災復旧、郊外への人口移動による輸送力増強などの喫緊の課題が山積し、資金調達問題も絡み、買収・合併により編入した各線が東急本社の重荷になっていた。 ここで東急社内や労働組合でも、事業規模を適正化して戦後復興を早めるべきとの声があがり、東急本社は大東急の分割再編成を決定するに至った。 1948年(昭和23年)に大東急から京急・小田急・京王の3社が分離することとなった。 なお、経営民主化を目的として一部傘下企業については、大東急の解体前後に東急の持株を当該企業の役職員が買い取って、大東急傘下から独立した。 この中にはのちに再び東急グループに復する会社(のちの日本貨物急送となる厚木通運など)や、一応独立するがしばらく東急の衛星企業で推移した会社(静岡鉄道 ・関東バス ・神奈川都市交通 など)、独立後小田急の傘下に入った会社(江ノ島電鉄・神中興業)、完全独立を果たした会社(相模鉄道・東部ネットワーク・王子運送 など)などがある。 日本交通のようにその後も名目上東急グループに長期間籍を置きながら、この時期に事実上独立を果たしていた会社もある。 大東急の名残 [ ]• 大東急の名残として、旧大東急系のである「 東京西南私鉄連合健康保険組合」の存在が挙げられる。 同健保組合は設立の「東横目蒲電鉄健保組合」を母体とし 、東急電鉄(東急)、京王電鉄、京浜急行電鉄、相模鉄道()、および関東バスの母体事業所および子会社等を包括した健保組合として存続している。 かつてはも参加しており、その後分離独立したものの、(平成15年)4月1日、健康保険組合との合併を経て現在に至る。 かつては、東急電鉄、京王電鉄、小田急電鉄、京浜急行電鉄、相模鉄道に勤務する正規職員に貸与されるや、職員の家族に貸与される家族乗車証は、自社の電車・路線バスのみならず、旧大東急系私鉄5社では公式に相互使用することができた。 かつての家族乗車証には5社の社紋が表記されていた。 現在は自社線のみでしか使用できない。 大東急を構成した路線 [ ] 鉄軌道路線 [ ] 1945年6月1日時点。 営業線 [ ] 渋谷管理部• : -• 渋谷駅 -• 渋谷駅 -• - ()• 二子玉川駅 - (砧線)• : -• : -• : - 品川管理部• (京浜線)• - ()• - () 横浜管理部• 横浜駅 -• - ()• - () 新宿管理部• : - 京王管理部• - () 相模管理部 (1945年6月1日よりから運営受託)• 横浜駅 -• 目蒲線:蒲田駅 - 間 1945年6月1日休止 京王管理部• : - 1945年1月21日休止 計画線 [ ] いずれも京浜急行電鉄が継承したが 久里浜線延長部( - 飯森駅間)以外は未成に終わっている。 横浜管理部• 湘南線• 金沢八景駅 - 鎌倉八幡駅(鎌倉線)• 湘南逗子駅 - 林駅 - (葉山線)• 湘南久里浜駅 - 飯森駅 - 三崎駅(三崎線)• (武山線): - 林駅 バス営業所 [ ]• 東京都(東京支部所管)• 中野営業所(現・)• 淡島営業所(現・)• 不動前営業所(1969年廃止)• 目黒営業所(現・)• 中延営業所(1981年廃止)• 神明営業所(現・)• 高輪営業所(京浜急行電鉄時代に移転。 現・羽田営業所)• 池上営業所(現・)• 国分寺営業所(京王帝都電鉄時代に移転。 現・)• 八王子営業所(現・)• 神奈川県(神奈川支部所管)• 川崎営業所(のちの。 2010年廃止)• 杉田営業所(現・)• 堀ノ内営業所(現・)• 衣笠営業所(現・京浜急行バス)• 久里浜営業所(現・)• 鎌倉営業所(現・)• 逗子営業所(現・)• 三浦営業所(現・) なお、このほかに、川崎住宅線(川崎駅 - 京町 - 川崎駅他1路線) 相武台線(南林間駅 - 相武台前駅他3路線)があり、運休中のまま前者は京浜急行電鉄、後者は小田急電鉄がそれぞれ継承したが、いずれも運行再開されることなくそのまま廃止された。 現在、前者沿線は(京急系)の、後者沿線は(小田急系)の手により、いずれも代替に近い形で運行されている。 鉄道車両 [ ] 大東急成立時に車両番号が旧各社で重複するため、一斉に改番を行った。 車両の一覧はを参照。 旧東京横浜電鉄() 1 - 999 旧小田急電鉄(井の頭線を含む) 1000 - 1999 旧京王電気軌道 2000 - 2999 旧東京横浜電鉄 3000 - 3999 旧京浜電気鉄道 5000 - 5999 大東急再編成後も、引継後の各社は大東急時代の車番を継承した。 すなわち、小田急旧1000系、京王旧1000系(井の頭線)旧2000系(京王線)、東急旧3000系などである。 なお、京浜急行は5000を引いた車番で継承した。 京急などがそれである。 また、再編成後の4社ともの記号として「デハ」を使用しているほか、再編成後の車両も(現・) で生産された。 注釈 [ ]• 2019年10月以降、法人格上は、鉄道事業者としてはに相当する。 に武蔵電気鉄道として設立された旧社ではなく、にとして設立された「新社」の方である。 東横は江ノ島電気鉄道を傘下に収めて同社の再建に尽力していたのに対し、京浜は大船から片瀬滝之口までの間に専用自動車道を有し、同区間に乗合バスを運行して江ノ電と競合していた。 また、京王も藤沢自動車を傘下に収めて藤沢 - 江ノ島間で乗合バスを運行して江ノ電と競合していた。 2019年3月現在も筆頭株主は東京急行電鉄(現・東急)である。 長い間東急専務の柏村毅が同社社長を兼任し、1970年まで東急と共に河口湖汽船を経営したりしていた。 2014年3月現在の筆頭株主は京王電鉄だが、には属していない。 は没するまで同社の社外取締役を務めていた。 また、2014年現在TOKYUポイントに加盟している。 2009年にの子会社となった。 『東京急行電鉄50年史』による。 『京浜急行八十年史』では1943年(昭和18年)に品川線と湘南線が統合され品川 - 浦賀間を湘南線としたとする記述があるが、『東京急行電鉄50年史』では営業局制から管理部制の変更の項、戦時中の駅休廃止の項、戦後の京急独立の項のいずれにおいても一貫して旧京浜線を品川線、旧湘南線を湘南線としており、1943年の路線名統合の記述はない。 また、「」など、京急側においても京急独立時まで「品川線」「湘南線」の区分けがあった資料が散見される。 再編成後の東急電鉄の車両は全て東急車輛製造で生産されていた。 また、東急車輛以外のメーカーについては、が小田急電鉄と京浜急行電鉄の車両を、が小田急電鉄と京王電鉄の車両をそれぞれ生産している。 出典 [ ]• 257-259。 、pp. 261-268。 269-274。 289-290。 275-284。 513。 276-279。 279-280。 、pp. 373-374。 、pp. 381-383。 、pp. 393-395。 、pp. 385-386。 167-176。 167-168。 、pp. 187-188。 、pp. 269-271。 178-180。 、pp. 220-223。 225-228。 247-249。 250-253。 、pp. 261-263。 東急沿線新聞編『東急外史 顔に歴史あり』105P、沿線新聞社、1982年発行。 917。 東京急行電鉄株式会社社史編纂事務局(編)『東京急行電鉄50年史』東京急行電鉄、1973年、289-290, 302, 384頁ほか。 京浜急行電鉄株式会社社史編集班(編)『京浜急行八十年史』京浜急行電鉄、1980年、161-162頁。 京浜急行電鉄株式会社社史編集班(編)『京浜急行八十年史』京浜急行電鉄、1980年、173頁。 394。 328。 参考文献 [ ]• 『東京急行電鉄50年史』東京急行電鉄株式会社、1973年4月18日。 関連項目 [ ]•

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充実する私鉄の座席指定…東急・東武・東京メトロでダイヤ改正 6月6日

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東急電鉄(東急)、東武鉄道(東武)、東京地下鉄(東京メトロ)は5月11日、6月に実施するダイヤ改正の概要を発表した。 いずれも実施日は6月6日で、東急では大井町発18時台から運行している大井町線の田園都市線長津田直通急行を17時台からに繰り上げるとともに、大井町線の有料座席指定サービス『Q SEAT』の運行本数(平日)を、現行の倍となる10往復に拡大する。 これにより大井町始発の田園都市線直通急行は現行の18時12分発から17時30分発となる。 ただし、『Q SEAT』は新型コロナウイルスの感染拡大を受けて4月27日からサービスを休止しており、その再開と運行拡大時期については、今後の感染状況や利用状況を考慮して決定するとしている。 時刻は久喜発が平日6時12分・8時13分、土休日8時13分・9時23分、霞ヶ関発が平日18時2分~22時2分の間1時間ごと、土休日16時2分~20時2分の間1時間ごと。 また日比谷線内では、平日に霞ヶ関行き8本を中目黒行きに、霞ヶ関始発7本を中目黒始発にそれぞれ変更。 土休日では8~9時台の北千住~中目黒間で1往復増発する。 これに伴ない、東急田園都市線でも一部列車の時刻や種別、行先、退避駅の変更が実施される。 このほか東武では、亀戸線の終電繰下げ、南栗橋~東武宇都宮間の直通運転と同区間でのワンマン運転、東武ワールドスクウェア駅(栃木県日光市)の全列車停車も実施される。 《佐藤正樹(キハユニ工房)》.

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